第一章 その2 おっさん、女の子たちとカフェに行く

 この王都は海に面しており、大規模な港湾が整備されている。そのために長距離を航海する船舶が毎日のように出入りし、世界各地の珍しい産物が集まる。


 特に熱帯の国からもたらされるコーヒー豆は王国内では収穫されないにもかかわらず、貴族平民問わず口寂しくなれば嗜むほどに生活に密着していた。


「本当、ここのコーヒーは絶品ね」


「店主が良い豆を選んでブレンドしているらしいわ。お菓子も美味しいし、これから毎日通っちゃいそう」


 東洋の陶磁器や南国の植物の種子など異国の産物が飾られた学園近くの人気コーヒー店『赤の魔術師の館』に集い、白のローブ姿のまま楽しげに会話する回復術師科新入生の女の子たち。女の子が甘いお菓子とお洒落な店を好むのはいつの時代どこの国でも変わらない。


 その傍らにはおっさん新入生ことハイン・ペスタロットも静かにコーヒーをすすっていた。


「ハインさん、お口に合わなかったですか?」


 ここに来ても口数少ないハインを気遣い、ナディアが尋ねる。


「いいや、とても美味しいコーヒーだよ。僕は苦味が強いのはそこまで好きじゃないんだけど、これならすいすい飲める」


 が、当のハインは意外にも気さくに答えたのだった。


「え、意外。ハインさん苦いの苦手なんですか?」


「むしろ甘党だね」


「そんな、見た目ムキムキだからもっと苦いのとか辛いのが好きかと思ってたわ」


 ナディア以外にも数名の女の子も加わり、ハインの周囲にはたちまち女の子の人だかりができ上る。話しやすそうな相手だとわかれば警戒も幾分か解けるものだ。


 それは彼女たちにとっては今まで気になりつつも切り出すタイミングを掴めなかった話も、遠慮なく訊ける段階に到達したことも意味していた。


「ハインさんは入学するまで何をされていたのですか?」


「ずっと石工をやっていたよ。教会や貴族から仕事を受けて、石像や噴水を作ってたんだ。5年前に王都大聖堂の改修があっただろ。あの時には正面入り口の聖人像を1年がかりで作ったんだよ」


「ええ、あの細かい彫刻、全部ハインさんが作ったのですか!? 凄いです!」


 きらきらとした眼差しをナディアが注ぐ。


「私、郊外の田舎から出てきて一人で暮らしているから、寂しくなったらよく大聖堂に行くんです。そこでいつも彫刻を見ては神様はいつも私たちを見守ってくださるんだって思っていたのですよ。あの彫刻のおかげで私、いつも頑張っていられるのです、ありがとうございます!」


「それは良かった。そう言ってもらえて僕も嬉しいよ」


 年若い女の子にここまで感謝される機会も珍しいせいで、ハインも思わず照れ笑いする。


 だがそこから少し離れた席に陣取った8人ほどの女子生徒たちは皆、嬉しそうに同級生たちと話すハインを冷ややかな目で眺めていたのだった。


「年甲斐もなくデレデレしちゃって。私にはわからないわ」


 長く美しい金髪の少女はサファイアのような碧眼をハインに向けながら音もたてずコーヒーを飲む。


 彼女の名はマリーナ・モンテッソーリ。回復術師科の新入生では唯一、男爵の爵位を持つ家の生まれだった。


「そうね、それに石工なんて汗まみれで汚らしい」


「よく文字が読めたものね。自分の名前が書けるのが奇跡だわ」


 取り巻きの女子たちもくすくすと笑う。


 彼女たちは皆貴族とまではいかないまでも商人や軍人、そして回復術師の家の子だ。平民階級の中では高給取りである彼らの間には、魔術を使う資格も無く肉体労働で日銭を稼ぐ労働者たちを見下している風潮もはびこっている。


 一言に平民と言ってもその中にはさらに細かく目に見えない障壁が横たわっているのがこの国の実情だった。


 そんなやり取りを知ってか知らずか、ハイン達のグループもさらに盛り上がりコーヒーのおかわりを注文していた。




 結局なんやかんやあってハインのおごりでかぼちゃのパイをおごってもらった女子生徒たちだが、陽も沈み始めた頃合いでカフェ会はお開きとなった。


 夕陽に赤く染まる王都の石畳を各々が歩いて帰っている最中のことだった。


「ナディア、ちょっといい?」


 頬が落ちるようなパイの味を思い出しながらひとり上機嫌に帰宅していたナディアを、後ろから鋭い声が呼び止める。


 立っていたのはマリーナ・モンテッソーリと取り巻きたちだった。彼女は入学早々、派閥の形成に成功していた。


「あなた、これ以上ハインに親しくするのはやめなさい。そもそもあんなおっさんは学園に似つかわしくないわ」


 冷淡に告げるマリーナ。突然の忠告にナディアは「ええ!?」と面食らった。


「そんなぁ、ハインさんも私たちの同級生なんだし、もっと仲良くしようよ」


「私たちは仲良しごっこをしたいんじゃないの、立派な回復術師になるために学園に通っているのよ。だいたいおかしいじゃない、何で回復術師科にあんなおっさんが入学してくるのよ?」


「でも入学試験さえ通れば、誰でも入学はできるはずだよ」


「そんなの建前でしょ。そもそも回復術師というのは自らの魔力をもって人命を救う誇り高い職業よ、あんなむさ苦しいおっさんがするような仕事ではないわ」


 マリーナが一歩前に出ると取り巻き立ちも歩調をそろえてナディアに迫る。


 その圧力にナディアは後退し、何も言い返せず身震いしてしまった。


 その時、取り巻きのひとりがふと視線を変えた先を見てあっと驚くと、すぐさま笑いをこらえるように口元を覆う。


「ねえ、あれって」


 指差して知らせると、皆が一様に顔を向ける。


 そこは酒場で、ガラス越しにビールを飲んでバカ騒ぎする男たちが集っていた。その男たちに混ざっている一際大きな影、間違いなくハインだった。


 制服のローブをたたんで椅子の上に置き、巨大な樽のジョッキを片手に工場帰りの薄汚れた男たちと肩を組んで大合唱している。


 たまらず笑いだす取り巻きたち。マリーナは呆れたようにふんと笑うと、絶句するナディアに当てつけるように言い放ったのだった。


「やっぱりただのおっさんじゃない。いくらコーヒー飲んでおしゃれ気取っても、結局はお酒の好きな自堕落なおっさんなのよ」

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