4-2

 誰もいないホームに立ち、誰もいない駅内を歩き、動いていないエレベーターに独特な違和感を覚えながら下る。

 駅内はそれなりに広い。喫茶店やファストフード店、レストランだとか雑貨屋など、様々な店が建ち並んでいるのだけれど、今やそのすべてが固くシャッターを下ろしている。放課後の作業の帰りに度々立ち寄っていた本屋もそれは同様だった。



「…………」

 人がいないだけでこれほどまで見える景色が変わるものなのかと、もう何度目かもわからない感想を抱く。

 異質なのだ。同じ場所なのに同じ場所じゃない。誰もいない高校の校舎に行った時にも感じた。まるで絵画か何かの中に迷い込んでしまったかのようだ。

 動きがない。音が聞こえない。時間すら見失ってしまいそうになる。

 決して開くことのない改札口を越え、駅内から外へ。その先に広がっている光景はやはり僕の良く知っているようで知らないものだった。

 これまではため息すらどこかへ飛んで行ってしまうほど駅前には人で溢れ返っていたものだけれど、今はその面影はない。付近にあるいくつかの巨大なデジタルサイネージには何も表示されておらず、ただの黒い板に成り変わっている。

 もしも世界から誰も人がいなくなった時、世界はどのように見えるのかと考えたことあった。誰もいない高校の校舎はどこかとても魅力的に見えたものだけれど、街のそれは魅力的な光景を通り越し、得体の知れない不安感や恐怖心を煽り立てる



「どうかしたのかしら?」



 そんな感情が表情に出ていたのか、隣に立つ妃和が僕の顔を覗き込んでくる。



「ううん。何でもないよ。それよりも行こうか」



 ここから作業場近くの池までそう時間はかからない。

 静まり返った街を歩く。時々どこからかカラスの鳴き声や猫の鳴き声が聞こえる。人が発する様々な音が全く聞こえない分、そういった人以外の生き物たちの音がよく聞こえて来るらしい。

 隣で並んで歩いている妃和が「不思議なものね」とそう呟いた。

 ほどなくして目的地の池にたどり着いた。言うまでもなく周囲には誰もいない。水面は静かで時折吹く風に揺らいでいる。昼間の時間帯にこの場所に来るのは初めてだ。僕は夜中の姿しか知らなかった。欲を言えば池を囲っている桜の木が満開の時の様子を見てみたかったけれど、そんな様子を見ることはもう叶わない。



「どうしてこの場所に来てみたかったの?」



 妃和の問いかけに僕は上手く答えることが出来ない。あえて言うのであれば、一度昼間の池の様子を見てみたかったからだろう。それと、妃和と再会した場所だからもう一度来たかったというのもある。



「実際に来てみて、どうかしら」

「どうだろう」



 ただ、あの時のことを思い出す。真夜中、妃和と再会した時のこと。



「妃和はさ、ここで僕達が再開した時のことを覚えている?」



 僕が最近まで接していた妃和は仮想世界にいた妃和だった。だから、現実に今目の前に居る彼女がその時の記憶を持っているのかどうか僕は少し不安だった。

 僕がそんなことを尋ねると、妃和は目を閉じ優しくクスリと笑い、あの夜の時と同じ場所にまで歩く。



「ちょうど、この辺りだったかしら」



 左側。風に長い黒髪を靡かせ、どこか遠くを見据える彼女。そんな彼女の姿を見ていると、誰もいない街を見ていた時と同じようにどうしてか不安になる。



「有紀君は、不安?」



 妃和は長い黒髪を手で押さえながら僕の方を向く。どうやら僕の心情などお見通しらしい。



「その、さっき誰もいない街を見たでしょ。それでちょっとね」



 取り残されたと、そんなことを思ってしまったのだろう。自分だけ世界の流れから取り残されたのだと。

 きっと、誰かが僕のことを残しどこか遠くへ行ってしまうことが怖いし不安なのだ。

 母親や父親のこと。妃和だってそうだ。高校の屋上で妃和が「さようなら」と言って僕の目の前からいなくなってしまった時、僕はとても怖かった。



「妃和はもう、どこにも行かないよね」



 僕は無意識のうちにそんなことを呟いていた。地球が終わるまで残り数日。八月七日になる前に、妃和が病気によって先にこの世を去ってしまうということはないだろうか。もしそんなことがあったとして、例えそれが、世界が終わる一日、数時間前だったとしても、僕はきっとどうしようもなくなってしまう。そんなことは考えたくもない。



「有紀君、あなたは寂しがりやで臆病なのね。それでいてとても優しい」



 気が付くと、妃和はそんなことを言いながら僕の傍に来て僕の手を両手で優しく包み込んでくれた。



「心配しなくても大丈夫よ。どこに行ったりはしないわ。何より、私がそんなことしたくないもの」



 妃和は「だから大丈夫よ」と何度も僕に言い聞かせてくれる。



「私ね、本当に嬉しかったのよ。もう絶対に会えないと思っていたから。夕暮れ時の屋上であなたと話をしていた時、私はこれで最後だと思ってあなたに話しかけていた。あなたがいない、誰もいない世界で一週間ほどの日々を過ごすことを考えると、私も怖かった。だけれど、今はあなたがいるわ」



 僕は妃和に謝らなければいけないことがある。妃和はあの時、僕に生きていて欲しいと話していた。だけど僕はそうしなかった。



「妃和、僕は一つだけ謝らないといけないことがあるんだ。妃和は最後に僕には生きていて欲しいと話していたよね。だけど僕はそうしなかった」



 妃和は何も言わず、頷く。



「上手く言えるか分からないけれど、僕は生きる為に死を選んだ。僕は妃和ともう一度こうして一緒にいたかった。ただそれだけだったんだ。「この世界で生きる意味はあるか」その答えを僕は見つけた。前に妃和が話していた様に、きっと僕達には生きる意味なんてないんだ。生まれてくることを望んだわけではないから。だから、もしもこの問いの答えが見つかった時、それは自身で意味を見出したことになる。それが妃和だったんだと、僕はそう思った」



 僕は「それが答えだよ」と、妃和に告げる。上手く話すことが出来ただろうか。

 少しの間妃和はじっと僕の手を握ったまま俯いている。しばらくして妃和が口を開いた。



「私も一緒よ。あなたが研究所のあの部屋に来てくれた時、嬉しかったなんて一言では言い表せない位に私は満たされた。私の答えもあなたと同じ。だから謝らなくていいのよ」



 そうして、妃和は僕に体を預けてくる。僕はそれを受け止めた。



「誰かに見られたらって思うと、ちょっと恥ずかしいね」

「大丈夫よ、大半の人間はもうこの星に居ないのだから」



 それもそうだと、僕は思った。

 誰もいなくなった街で、池のほとりで、僕達は瞬きほどの間、唇を触れ合わせる。たったそれだけで不安や恐怖は姿を消し、心はただただ暖かく彼女に包まれた。

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