3-7
ドーム型の建造物。お世辞にも綺麗だとは言い難く、外壁の塗装が所々剥がれ落ちている。周囲に建ち並ぶビル群と見比べれば、今の時代にこんな建物が存在していること自体酷く場違いであるような気がしてならない。
荒れた芝生の中で建っているのは歴史博物館。その建物自体がまさしく歴史を物語っているようで、未だに過去に囚われているように僕には見えた。
ここ、歴史博物館には小学生だった頃に一度だけ両親に連れられて訪れたことがある。もう随分と前のことであるから、正直な所どんなものが展示されていたのかは思い出せない。覚えていることと言えば、熱心に展示物の解説をしていた母親の姿と、そんな母親の話を楽しそうに聞いていた父親の姿くらいのものだ。
峯はこの歴史博物館が好きで度々足を運んでいたらしいけれど、僕はむしろ真逆でこの歴史博物館のことがあまり好きではない。
時代遅れも甚だしくて、過去に取り残されたこの建造物を見ていると僕はとても寂しくなる。
「…………」
街はそのほとんどの機能を止めた。電車やバス、飛行機と言った公共交通機関はすでに働いておらず、電気やガス、水道水といったライフラインもストップしている。毎朝放映されたニュース番組も終わり、今はテレビをつけることすらできない。
そうなると、大半の人間が宇宙へと旅立った後、残った人たちはどのようにして一週間と少しの日数を生きて行けばいいのか不安になるが、しかしまあ何とかなるだろう。街のスーパーなどに残った物資等は好きにしていいという話らしい。電気は電池がある。食料は缶詰がある。その気になればどうとでもなるはずだ。
宇宙船に乗るか乗らないか、今日はその答えを出す期日。言うまでもなく僕は送られてきたメールに対し「乗らない」と回答して返信した。
一体どれほどの人間がこの地球に残るのか知る由もない。
ただ、「乗らない」という選択をしてメールを送信した後、妙に清々しい心地になった。
事前に聞いている話によると、宇宙船に乗ることを決めた人間は明日、明後日と二日にかけて冷凍睡眠に入り、三日後の正午この地球を旅立つらしい。
白谷源一の話によると、白谷さんは宇宙船が旅立つちょうどその時に目を覚ますらしいから僕は宇宙船が宇宙へと飛び立っていくのを見届けたすぐ後、白谷源一に教えてもらった彼女が寝ている場所に向かうつもりだ。
その後のことは正直考えていない。白谷さんの体がどれほど衰弱しているのか未知数だ。
とはいえ、そもそも彼女と再会できた時点で僕の目的は果たされる。
最期の時まで彼女と一緒に過ごす。それさえ叶えることが出来ればそれだけで十分だった。
ただ唯一僕にやりたいこと、やらないといけない事があるとすれば、それは綾さんに会いに行くことぐらいだろう。僕は綾さんに世界が終わる頃また会いに行くと約束をしてしまった。
気がかりなのは綾さんが宇宙船に乗らずに地球に残ることを選択しているかどうか不明だという点だ。今はもう電話やメールのやり取りもすることが出来ないため、綾さんの元に行く以外確かめる手段がない。こんなことになるのならまだ電話やメールが使えるうちに確認しておけばよかったと、今朝方後悔した。
ともかく、今日はこの歴史博物館で峯と会う約束をしている。しかしまだ彼の姿はない。
電車が利用できなくなってしまったから僕は久しぶりに自転車にまたがってこの歴史博物館までやって来た。家からそれなりの距離があったから、足が重い。
近くにあったベンチに座り峯が来るのを待つ。特にすることもないためベンチに横たわって雲の数を数える。昨日、今日と大きな地震も発生することなく、天候も穏やかで、今日も晴れやかな青空が広がっている。あと一週間ほどで世界がどうしようもなく崩壊するとは思えないほど、和やかな空気が漂っている。
「…………」
眠気が緩やかに身体を包み込み始めた頃、遠くからエンジンの音が聞こえて来た。すぐさま閉じそうになっていた瞼を擦り上半身を起こす。すると、原付バイクにまたがりこちらに手を振っている人の姿が視界に入った。律儀にヘルメットを被っているため顔を見ることは出来ないが、あれはおそらく峯だろう。そう言えば、いつだったか原付の免許を取ったのだと話していたことを思い出した。
原付バイクは僕のすぐそばで止まる。ヘルメットを外し「久しぶり」と言って峯はヘルメットを外すのだった。
「すごい荷物だね」
原付バイクの荷台にはかなりのサイズのリュックやら何やらの荷物が括りつけられている。よく見ると、それら荷物は荷台を大きくはみ出していて、無理やりロープで固定されていた。
「当たり前だろ。これから旅に出るんだからな」
そう言う峯の様子を見る限り、おそらく彼は目的地に向かう手段をなんとか見つけ出すことが出来たのだろう。
「で、どうして集合場所が歴史博物館なの? もう閉館しているみたいだけど」
歴史博物館の扉は閉じている。開くかどうか試してみたが開くことはなかった。電気は止まっているのだし、大半の店もやってはいないのだから当たり前と言えば当たり前だろう。
「最後に建物だけでも見ておきたかったんだ。それだけだよ」
峯はすっかり廃れた歴史博物館を見つめながら「親父との思い出の場所だからな」とそう続けるのだった。
「で、秋村はこれからどうするか決まったのか?」
「まあね」
こちらも彼女の居場所を突き止めることが出来たことを峯に話す。宇宙船には乗らず、最後まで彼女と時間を過ごすつもりだ。
峯のことだから、何か茶化してくるのかと思えば別段そう言うこともなく、彼はただ「そうか」と言って笑うのだった。
「いよいよ、って感じだよな」
峯が何気なく呟くその言葉に、僕は「そうだね」と返す。
今朝からテレビもつかず、水も出ず、火も使えない。電車は走っていないし、道路には車一台だって走ってはいない。これまで広がっていた光景は確実に無くなり始めていて、どうしようもないほど世界の終わりを見せつけられているような心地だ。
「峯は後悔してない?」
「後悔? 何の?」
「宇宙船に乗らなかったことに」
峯ならば、「後悔なんてするわけないだろ」と言うかとも思ったが、実際の所、彼は「どうだろうな」と答えた。
「不安というか、怖いというか、そういうのが全くないってわけじゃあない。一応行きたい場所にまでたどり着く目安はついた。でも、実際にたどり着くことが出来るかどうかは分からないだろ」
峯は、「ただ、宇宙船に乗ることに決めていたとしてもそれは同じことだろうさ」と話す。峯の言うことは僕にもよく分かる。
「秋村はどうなんだ?」
「そうだね」
僕は後悔と言うより、白谷さんと再会した時に彼女が一体どのような反応をするのか少しばかり怖い。僕が選び取ったものは彼女の最期の願いを裏切るようなものだから。
「結局、その時になってみない限り分からないよ」
彼女がどんな表情を浮かべるのかはその時になってみないと分からない。その時僕が何を思うのかもその時になってみなければ分からない。
僕がそう言うと、峯は「違いねぇな」とケラケラ笑うのだった。
それから少しの時間、僕は峯と他愛ない話をした。主に高校で過ごした日々の話。懐かしい思い出話。峯とこうして話すのもこれが最後なのだと思うと途端に寂しくなる。
峯は言葉の切れ目で鼻を啜る。
彼とこれまで過ごした高校生活は悪くなかった。嫌なことが全くなかったという訳ではない。苦しいと思うことも、辛いと思うこともそれなりにあった。放課後毎日のように宇宙船の部品を組み立てる作業は苦痛でしかなかったし、担当者には度々怒鳴られ、理不尽だと思うことも多くあった。
でも悪くなかった。今そう思えるのはきっと峯のおかげなのだろう。峯がいなければおそらく僕は本当に一人きりで高校での日々を送っていただろうし、白谷さんと再会することだって難しかっただろう。
気に食わないし厚かましい彼だけど、本当に彼と友人になれてよかった。
「峯、僕達が初めて出会った時のことを覚えている?」
「覚えているぜ。俺が寂しそうにしているお前に声をかけたんだよな」
言い方が気に入らないが事実そうだ。唐突に、前触れもなく、入学式初日偶々席が近かった峯が僕のことなどお構いなしに声をかけて来た。
「最初、僕は君のことが随分と厚かましい奴だと思ったものだったよ」
「なんだよそれ。でもまあ、俺も最初はお前のこと随分と暗い奴だなって思ったよ」
ならお互い様だ。峯はやはりケラケラと笑う。
「峯、今までありがとう」
「おう。俺の方こそ、ありがとう」
峯はどこか照れくさそうに鼻の頭を掻く。そうして「じゃあ、時間もねぇし、そろそろ行くわ」と原付バイクにまたがった。
「…………」
最後に一つだけ彼に聞いてみたいことがある。
「峯はさ、こんな世界だけど、今まで生きて来て意味があったと思う?」
終わりが決定づけられた世界。そんな世界に僕達は生まれた。彼はその意味を見つけることが出来たのだろうか。
峯は「なんだそれ、今まで一度も考えたことなかったぞ」なんて、どうしようもなく彼らしい言葉を口にする。
「本当、最後まで峯は峯だな」
「それ、俺のこと馬鹿にしているだろ」
「いいや。本当に羨ましいって思うよ」
なんだかおかしくて、僕と峯は揃って笑った。
「はぁ……。それじゃあな」
「うん。元気でね」
原付バイクのエンジンが付く。峯はヘルメットを被り、握手を求めるように手を伸ばしてきた。僕はそれに応じる。
そして、峯は原付バイクを走らせる。彼は彼の目的のため、旅を始めた。
彼の姿が見えなくなる。
「…………」
峯、ありがとう。
そしてさようなら。
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