3-6

 宇宙船を造り上げる作業をするために訪れていた場所。数週間ぶりに作業場に来た。夕暮れ時か夜遅くにしかここに居たことはなかったため、昼間に見る作業場はどこか新鮮に見える。

 今日はかつて作業場であった施設に用事があってこの場所に来た訳ではない。僕はある人の話を聞くために今日この場所に来ていた。



「秋村有紀君、で合っているかな」



 背後から聞こえた声に気が付いて後ろを振り返る。そこには茶色いスーツに身を包み、同じく茶色のハット帽子を被った白谷源一の姿があった。



「待たせてしまっただろうか」

「いいえ、僕も今着いたところですから」

「ならよかった」



 白谷源一は、「あそこのベンチに座ろう」と言ってすぐ近くにある木造のベンチを指さした。

 僕は「はい」と頷き白谷源一の隣に座る。白谷源一はベンチに座ると「今日は良い天気だ」と言葉を漏らしながらハット帽子を脱ぎ青空を仰いだ。僕もそれにつられて空を見上げる。

 確かに今日はいい天気だ。雲一つ見当たらない。

 一、二分ほど無言のまま空を見つめる。そうして白谷源一が「有紀君が知りたいことは、私の孫娘である妃和についてだろう」と口を開いた。



「はい。その通りです」



 白谷源一と目を合わせる。



「私は、もしも有紀君が私の元に妃和のことについて聞きに来たのなら、この話をしようと考えていた。逆に、もしも有紀君が私の元に来ることがなければわざわざこの話をあなたに聞かせようとは思っていなかった。今からする話はそういう話だ。はっきり言って、聞いていてもあまり良い気分にはならない話だ。それでもあなたはこの話を聞きますか?」



 それでも僕は彼女について知りたい。知らなければならない。だから僕は「はい」と時間を置くことなく頷く。決心はすでについている。

 僕が頷くと、白谷源一は一度目を瞑り、息を短く吐いた。



「話す前に、あなたは妃和についてどこまで知っているのか聞かせてもらいたい」



 僕が彼女について知っていることはごく一部に過ぎないだろう。数日前の公園で聞いたことしか僕は知らない。

 それは決していい話だったとは言えなかった。幸か不幸かのどちらかと問われれば、多くの人が不幸だと答えるような内容だろう。

 彼女の両親は彼女が生まれてすぐに離婚した。そうして彼女は小さな町で母親と二人きりで生活をするようになった。彼女は母親と過ごした日々がこれまでの人生の中でもっとも幸福な日々だったと語っていた。だけれど、そんな幸福な日々はそう長く続くことはなくて、彼女の母親はこの世を去った。

 一人きりになってしまった彼女は実の父親である白谷相馬に引き取られたが、しかしずっと部屋で籠りっきりの生活を送るようになり自殺を考えるようになった。そして、死に場所を求めるうちに彼女は僕と出会った。

 その後のことを僕は知らない。彼女から聞いた話はここまでだ。



「あなたの話す通り。妃和にはとても酷いことをしたと思う。妃和の母親が亡くなり、相馬に引き取られた直後の彼女の様子はとても見ていられなかった。私の後を継いだ相馬は妃和のことなど視界に入れていなかった。相馬の再婚相手も、妃和を気にかけるわけもなかった。妃和は本当に一人きりになってしまってね。私も私で、相馬には何も言えなかった。私はせめて妃和の話し相手くらいにはなろうと思った。だが、妃和は完全に心を閉ざしてしまっていてね。それに私も不器用であるから、どのように話しかければいいのか分からなかった」



 白谷源一はどこか遠い目をして、話を続ける。



「毎日妃和の分の食事を持っていく際、当たり障りのないことを話しかけたが、妃和は何も答えてはくれない。カーテンが閉められ暗くなった部屋の中で、ずっとベッドの上で丸くなっている妃和の姿は今でも忘れることが出来ない」



 そうしてある事件が起きたと、白谷源一は話す。



「一度も妃和と会話をすることが出来ないうちにそれは起こった。私はいつものように妃和の分の食事を持っていった。だが、その日部屋には妃和の姿がなかった。その当時、世間では自殺が多発していたから余計に不安になった。もしかしたら妃和は自殺をしに外へ出て行ったのではないのかとね。実際、その懸念は当たっていたわけだ。捜索願を出し、私も街中を駆けて妃和を探し回った。だが中々見つからない。結局、妃和が見つかる頃には、妃和が姿を消して一週間以上経過していた」



 それは、おそらく僕が公園の小さなトンネルで彼女と一緒にいた時のことだろう。死に場所を求め歩き続けたと彼女が話していたことを思い出す。



「警察に保護された妃和の姿は酷いものだった。体はやせ細っていて、着ていた服もボロボロだ。だが、目だけは姿を消す前と比べて幾分か明るさを取り戻していた。そうして妃和は一言私に「ごめんなさい」と言ったんだ。その時は、年甲斐もなく泣いてしまったよ」



 白谷源一は「妃和はきっとあなたと出会って光を取り戻した。本当、感謝してもしきれない」と頭を下げる。僕は何も言えなかった。



「その後、少しずつ妃和は私と話をしてくれるようになった。部屋にずっと籠っていた妃和は、いつしか高校に行きたいと、そう私に話してくれるまで立ち直った。私は嬉しかった。どうして高校に行きたいと思ったのかその理由は聞かなかったが、おそらくあなたにもう一度会うためにそんなことを言ったのだろうと今なら思う。それから妃和は勉強を始めた。あなたも知っている通り、妃和は中学校にもあまり行っていなかったし小学校にもまともに行っていなかった。だから勉学において同学年の子達と比べてだいぶ劣っていた。だが、妃和は必死になってその遅れを取り戻していった。私も時間がある時に妃和の勉強を見ていたが、本当に少し前の妃和の様子からは想像できないほど人らしさを取り戻していた」



 そこまで話し終え、白谷源一は小さく息を吐く。



「こんな世界だ。終わることが決定づけられた、どうして生まれて来てしまったのかも分からない世界だ。そんな世界の中でどれほど不条理な目に遭おうと妃和は立ち上がった。妃和はとても強い子だった」



 そして、徐に次の一言を放った。



「妃和の命がそう長くは持たないことが分かったのは、妃和が中学三年生の時、冬がもうじき終わる頃だった」

「それは」



 白谷さんが最後に「私は死んでいるようなものなの」という言葉が、夕日に染まった屋上の景色と共に脳裏に浮かぶ。



「妃和は私が思っていた以上に衰退していたようでね、気が付かないうちに臓器の一部が重大な疾患を持っていた。もともと体が弱かったと聞いている。もっと妃和のことをしっかり見ていたら、取り返しのつかないところまで進行してしまうのを防げたかもしれない。だが、そんなことを考えた所でもう遅かった」



 彼女が最後に残した言葉の意味はこういうことだったらしい。



「それでも妃和は折れなかった。当時、妃和は既に数年後には世界が壊れてしまうことを知っていた。妃和は「死期が少しだけ早まっただけだ」と話していたよ。だが妃和を襲う不条理、理不尽さは止まらない。妃和の命がそう長くないと知った途端、相馬が「運用テストに付き合って欲しい」とそう持ち掛けて来た」



 何の運用テストなのか想像がつく。僕が予想していたことは当たっていたらしく、白谷源一は「冷凍睡眠、仮想世界の運用テストだ」と口にした。



「その時ばかりは自分の息子の馬鹿さ加減に呆れてしまった。もともとあんな風に育ってしまったのは私の所為でもあるのだろう。だが、相馬が言ったその一言はあまりにも酷い。相馬が妃和のことをただの道具のようなものとしか見ていないことを決定付けるような言葉だ。もちろん私は反論した。実の娘の命が危ないというのに、どうしてそのようなことを平然と言えるのだと。相馬は「だからこそだ」と言った。冷凍睡眠により病の進行を遅らせ、出来る限り生きていられるようにする狙いもあると、そう言った。確かに相馬の言うことも一理あった。だがそれはこじつけに過ぎない。本来の狙いは運用テスト。何が起こるか分からない。危険であることには変わりなかった。相馬は妃和をすぐさま連れ去ろうとした。私の知らないところで妃和が冷凍睡眠、仮想世界のテスターになることが決まってしまったらしくてね。私は何もすることが出来なかった」



 気が付けば白谷源一の声に熱が入っている。白谷源一は一度落ち着かせるかのように深呼吸をし、話を続ける。



「妃和にも拒否権はなかった。だが妃和は諦めなかった。一日だけ、一日だけ待って欲しいとそう言った。猶予の一日、妃和は外へ出かけた。妃和が外で何をしていたのかは分からない。帰って来た時、もう陽は暮れていた。そして妃和は私にあるお願いをしてきた」



 白谷源一は僕の顔を見る。



「ある一人の男の子と話がしたい、とね。その男の子とは言うまでもなく有紀君、あなたのことだ」



 分かっていることは二つ。一つは、ある高校に今年入学するであろうということ。もう一つは淡い青色のしたガラス玉の付いているストラップを身に付けているかもしれないということ。



「それだけの情報で、たった一人の男の子を見つけるのは難しいと思った。だが、初めて妃和が誰かを頼り願ったことだ。私はそれに全力を尽くすことを決めた。せめてもの罪滅ぼし。何も出来なかった、一人息子にも十分に愛情を注ぐことが出来なかった、私の最後の罪滅ぼしだ」



 白谷源一の目に光るものが溢れる。



 それから、白谷源一は彼女のたった一つの願いを叶えることだけに全力を注いだのだという。白谷相馬にばれぬよう、ウェアラブル端末を介して仮想世界にアクセスできる手段を確立し、僕のことを探し始めた。結果、鈴木先生を介して白谷源一は僕を探し出した。

 そして、白谷相馬が行っていた運用テストが終わり次第、白谷源一は白谷妃和の願いを叶えた。

 作業場の視察に来たあの日、白谷源一は僕の端末に細工をし、白谷妃和と僕を現実と仮想の壁を越えてもう一度引き合わせた。



「…………」



 彼女が得た一日。おそらく、僕が電車の中で偶然にも彼女と出会った日のことだろう。あれは決して偶然ではなかった。偶然ではなかったが、出会うことが出来たのは奇跡的なことだったのだと思う。

 乗っていた車両が一つでも違っていたら、僕が電車に乗っていなかったら、僕が彼女の残していったストラップを拾わなければ、どれか一つでも成り立っていなければ、きっと僕と彼女は再会出来なかったはずだ。

 彼女はあの時どのような気持ちで電車に一人で乗り、どのような気持ちでこんな僕のことを待っていたのだろう。そのことを考えると胸が苦しくなる。会えるのかもわからない。むしろ、会えない確率の方が高い。あるかもわからない、あったとしてもそれはとてつもなく細い糸。それに縋りつくことしか出来なかった彼女は、一体どのような気持ちで僕と話しをしていたのだろうか。

 最後に見た彼女の表情が離れない。幸せそうに、そして悲しく涙を流す彼女の顔。



「妃和さんは、今どうしているのでしょうか?」

「まだ寝ているよ。今は目覚めるための準備をしている所だ」



 白谷源一の話によると、彼女は宇宙船に乗ることなく、この地球に残ることになっているらしい。元より彼女の命は残り少ない。難しいことはよく分からないが、冷凍睡眠といっても完全に身体を凍らせるわけではなく、実際には身体を冬眠状態にするのだという。ニュース番組で聞いた話でもあるが、宇宙船に乗った冷凍睡眠中の人間は定期的に目覚めることになっている。だから彼女が宇宙船に乗ったとしてもそう遠くないうちに命を失うことになる。

 誰もいなくなったこの星で、彼女は一人で最期を迎えるつもりなのだろうか。



「妃和さんはまだ生きているんですよね?」

「ああ、妃和はまだ生きているよ」



 その言葉が聞けただけで十分だ。白谷さんが宇宙船には乗らないということと、彼女はまだ生きているということ。それだけが分かれば僕の取るべき行動は決まる。

彼女は僕に「宇宙船に乗って生きてほしい」と願っていた。どうやら僕はそんな彼女の願いを叶えることが出来そうにない。



「話していただき、ありがとうございました」

「感謝される資格はない。むしろ私は蔑まれるべきだ」

「いいえ、それでも僕は感謝しています。だって、あなたのおかげで僕は妃和さんと話をすることが出来たんですから」



 白谷源一がいなければ、僕は彼女と再び出会って話をすることが出来なかっただろうし、これほどまでに彼女を思うこともなかっただろう。僕がこうして何かを自分で決めることも、誰かのために必死になることもなかった。



「だから、本当にありがとうございました」



 僕がそう言うと、白谷源一はどこか安心したような表情を浮かべ優しく静かに笑った。



「私も、あなたにこの話をすることが出来てよかった。少なくとも一つだけ、心残りを解消して宇宙へと旅立つことが出来そうだ」



 白谷源一は流れ落ちそうになっている涙を隠すようにハット帽子を被り、立ち上がる。



「あなたは宇宙船に乗るか乗らないか、そのどちらを選ぶつもりなのだろうか」



 僕も立ち上がる。僕の心はもう決まっている。



「僕は乗りません。僕は彼女に感謝の言葉すら言えていませんし、このストラップも返せていませんから」



 淡い青色をしたガラス玉。そのガラス玉の向こうで、僕は彼女の顔を思い浮かべた。

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