3-4
久しぶりの高校は生徒の姿がどこにも見当たらないことを除き相変わらずのようだった。校舎は何事もなかったかのように僕の知っている姿を保っている。
今日、僕は鈴木先生と話をするために高校に足を向けていた。
昨日、峯から鈴木先生の連絡先を教えてもらい早速話がしたいというメールを鈴木先生に送った所、翌日の十四時頃高校の職員室で話をしようと返信があった。
ちなみに峯とは六日後、つまり宇宙船に乗るか乗らないかを決める期日にもう一度会う約束をした。だから、互いにその日までにやるべきことをやろうという話をして昨日は別れた。
峯は行きたい場所へ行く方法を探し、僕は白谷さんのことについて調べる。
峯には改めてお礼を言いたい。なんだかんだ言って僕は峯と過ごした高校生活を満更でもないと思っていて、この二年間はそう悪くはなかったように思える。
「…………」
中庭を経由し、ぐるりと大きく回りながら校舎に入る。下駄箱に靴を入れ持ってきた上履きに履き替える。
当たり前だけれど校舎内には人一人いない。廊下はとても静かで物寂しい様子を見せていた。
そんな廊下を一人歩く。
職員室があるのは二階だ。思えば、僕はあまり職員室に行ったことがなかったような気がする。単に職員室という場所に行く用事がそれほどなかった。数回峯の付き添いで職員室の前までは行ったことはあったが、中に入ったことは一度もない。
鈴木先生が話をする場所に職員室を選んだということはまだ教師たちは高校で何か仕事をしているのかとも思ったのだが、しかしそういう訳でもないらしい。
職員室にたどり着き入る前に職員室内の様子を伺ってみたが教師の姿はそこになかった。前に見た職員室の様子とは全く違う。前はもっと人がいて、教師に怒られている生徒だとか、教師と仲よさそうに話をしている生徒だとか、もっと色々な光景が広がっていたものだったけれど、今はその面影すらない。
職員室のドアを開け「失礼します」と一言言って中に入る。
職員室には何も置かれていないデスクが並んでいる。何も書かれていないホワイトボードに黒板。それらに太陽の光が影を落とし、まるで絵画か何かの中に入り込んだような錯覚に陥る。それほど今のこの職員室に動きがなかった。
「秋村君、でいいのかな」
後ろからそんな声が聞こえる。振り返って目を向けてみると、そこには鈴木先生の姿があった。
「はい」
いつもはスーツを着ている鈴木先生だが、今日は普通の私服姿で、一瞬誰なのか分からなかった。だがその声と口調、独特な雰囲気は鈴木先生そのものだ。
鈴木先生は「客室で話をしようか」と言ってゆっくりと歩き始める。職員室の奥、扉の先、黒いソファと木製のテーブルが置かれただけの殺風景な部屋に案内された。
テーブルを挟んで鈴木先生と向かい合うようにソファに腰を下ろす。こうして鈴木先生と二人きりで話をするのは初めてで妙に緊張してしまう。
「鈴木先生、その、今日はありがとうございます」
「いいや、気にすることはない。どうせ何もすることがなくて暇だったからね。それに、そんなに硬くならなくていい。気軽に老人と話をする気分でいいさ」
鈴木先生はそう言って和やかな表情を浮かべる。授業中では見たことのない表情だ。それは太陽がとても似合いそうなものだった。
「で、相談というか、話したいこととは何かな?」
「先生は白谷源一と友人関係にあるって峯から聞いたんです。僕、白谷源一に会って聞きたいことがあるんですけど、紹介させていただくことは出来ないでしょうか」
「源一君ね。確かに、秋村君の言う通り私は源一君と親しい」
その一言が聞けて思わず息が漏れる。どうやら緊張していた原因は鈴木先生と話すからではなくて、本当に鈴木先生が白谷源一と親しいのか不安だったかららしい。
「秋村君に紹介することも出来る。というよりも、私の元に君が来たからには、私は君を源一君に会わせてあげなければならない」
「それはいったい」
どういうことだろうか。
「その前に秋村君、少しだけ老人の話に付き合ってはくれないだろうか。私はね、もしも機会があったのなら一度個人的に君とこうして話がしてみたかったんだよ」
「構いませんけど、どうして僕と?」
僕にとって鈴木先生は単なる歴史の教師だ。その鈴木先生がどうして僕なんかと一度話がしたいと思っていたのだろうか。思い当たる節がない。
次に鈴木先生は僕が思っても見なかった人の名前を口にした。
「秋村夏芽。この名前の持ち主であった人は君の母親で合っているかね?」
それは確かに僕の母親の名前だった。どうして鈴木先生がその名前を知っているのだろう。
「夏芽君は教師をしていたでしょう。私は夏芽君と一緒に同じ高校で働いていたことがあったのだよ」
それは十数年前のことだと鈴木先生は話す。僕がまだ生まれて間もない時のことだった。
「夏芽君とは、二、三年という短い期間だったが一緒に教師の仕事をしていた。人一倍明るくて生徒にも好かれていた、とてもいい教師だった。夏芽君は私と同じ歴史の教科を担当していたから度々話す機会があったんだ。その度に夏芽君は最近生まれたのだというお子さんの写真を私に見せて来てね。それはとても幸せそうな表情をしていたものだった」
そうして鈴木先生は「だから、本当に彼女のことは残念だったと思う」と僕のことを優しく、それでいてしっかりと見つめながらそう漏らす。
「未だに私は夏芽君が自殺をしたという事実を信じることが出来ない。こんなことを君に尋ねるのは心苦しいが、本当に彼女は自殺をしたのかい?」
「……はい」
僕の知る限りではそういうことになっている。両親が死んで数か月後、僕は見ず知らずの大人に「事件性は見当たらない。自殺で間違いないだろう」と言われた覚えがある。
「そうか。こんなことを言ってはいけないのかもしれないが、もしかしたら何か理由があったのかもしれない」
僕は何も言えなかった。自殺をしなければならなかった理由。そんなものがあるのだろうか。
「私はね、夏芽君が愛おしそうに見つめていた写真に写る君が気がかりだった。だからこの高校で秋村君のことを始めて見かけた時はほっとしたものだった。よかった、生きていてくれたとね」
「僕がその子供だって、どうして分かったんですか?」
「ああ、名前は夏芽君から聞いていたし、なにより顔がそっくりだ。夏芽君の面影がある」
鈴木先生はそう言って元々細い目をさらに細める。
「君は、両親がどうして自ら命を投げ捨てたのかその理由にきっと悩んでいることだろう。亡くなってしまった今、それを知る手段はほとんどない。だが、君は確かに母親から愛されていたと、私は思うよ。夏芽君が君の写真を見ている時、彼女は本当に幸せそうだったからね」
分からない。だけれど鈴木先生の言うことは合っているのだと思う。容易に僕の写真を眺めて笑っている母親の姿がどうしようもなく想像出来てしまう。
「私が個人的に話したかったことはこれだけだ。では本題に入るとしようか。先も話した通り、私は源一君と古くからの友人だ。だからと言って私もすべてを知っている訳ではない。私の知る範囲で、どうして私が先ほど会わせなければいけないと言ったか、その理由を話そう」
話は二年前から始まる。ちょうど僕がこの高校に入学する頃のことだ。鈴木先生の言うことには、その頃に源一から一つ頼まれたことがあったのだという。
「頼まれたこと、ですか」
「そう。彼にしては珍しく真剣な声色であったからよく覚えている。名前も知らないある男の子を探していると、そう言っていた。どうして源一君がそんなことをしているのか分からなかった。聞いても答えてはくれなかった。でも、余程重要で大切なことなのだというのは何より彼の声から伺うことが出来た。だからとりあえず話を聞くことにした。すると、どうやらその男の子は今年この高校に入学してくる生徒の中にいるはずだと、彼はそう言ったんだ。頼まれたことはね、その男の子を探し出してほしいというものだった。理由は分からなかったが、それでも彼には世話になったものだから、私は協力することにした」
鈴木先生は「しかし、その男の子の情報があまりにも乏しすぎたから探し出すのは難しいだろうとも思った」と話す。
「分かっていたことと言えば、この高校に入学してくる男子生徒でもしかしたら淡い青色をしたガラス玉が付いているストラップをつけているかもしれないという位のものだ」
「それって」
二つ目のストラップの話。僕はそのストラップに心当たりがある。
「なんとまあ、不思議な縁というのかな、私はその男の子を探し当てることが出来た」
鈴木先生はどこか楽しそうな表情で僕の目を見て来る。
「源一君に男の子を見つけ出すことが出来たと話した後、彼からもう一つ頼まれたことがあった。「もしもその男の子が私に関する話をしに来たら、その男の子を私に会わせてほしい。私はその男の子に話さなければならないことがあるだろうから」とね。それが先ほど私が君を源一君に会わせなければならないと言った理由だよ」
白谷源一が僕を探していた。それはどうしてだろう。
「私も源一君が何のためにあれほど必死になって君を探していたのか分からない。源一君と君に何の接点があるのかも私は知り得ない。だけれど、そこには源一君にも、君にとっても重要な事柄が含まれているのだろうね」
「だって、世界が終わる間際でこれほど必死になれることなのだから」と、鈴木先生はどこか遠い目をして呟いた。
鈴木先生はかつて起こった『世界の終末』から生き延びた数少ない人間だ。ふと、先生は宇宙船に乗るのか乗らないのか、どちらを選択するのか尋ねてみたくなった。
「先生は、宇宙船に乗りますか? それとも乗りませんか?」
僕がそう問いかけると、鈴木先生は窓ガラスの外に目をやった後、「私は、乗らないつもりだよ」とそう答えた。
「秋村君。私はね、あの惨劇から生き残ってしまったんだ。私は『世界の終末』と呼ばれているあの悪夢のような出来事で、家族も、親しい友人も、好きだった人も、そのすべてを失った。失ったんだよ」
「これ以上生き残っても、あまり意味がないような気がするからね」と、そう続けた。
「意味がない、ですか?」
「そうだね。何と言うのかな、私の生きている時は『世界の終末』から止まってしまっているのだと、そう思う。疎外感とでもいうのだろうか、私はここで生きているはずなのに、常に視線は別の所へ向けているような気がしている。そうなってしまってはもう何をしても手遅れなのだろう。それに何より、この地球には私の家族や友人や好きだった人が眠っているから私は離れたくない」
その言葉の意味が僕には分かる気がした。
「とはいえ、生き残ったことで出会えた人達もいる。そういった意味では、『世界の終末』後に過ごした五十年も悪くはなかった。君にも会えたし、峯君という面白い生徒にも会えたからね」
「実は、君が例のストラップを持っているというのは峯君から教えてもらったんだよ」と、鈴木先生は話す。
「そうなんですか」
本当、僕の知らないところで僕は峯に助けられていたらしい。鈴木先生は「いい友人を持ったね」と笑う。僕はその言葉に対し、素直に頷くことが出来た。
「秋村君。君がどちらを選ぶかは君が選びなさい。私から言えることはそれくらいだ」
「はい」
最後に、僕は鈴木先生から白谷源一の連絡先を教えてもらった。
「私の方からも源一君には話をしておくよ」
「ありがとうございます」
僕は立ち上がり、頭を下げる。
鈴木先生はもう少しだけ高校に残っているということだったから、僕は鈴木先生を残して職員室を後にした。
最後に見た鈴木先生の顔の裏にどのような思いが隠れているのか僕は分からない。だけれど、決して悪い思いを抱いている訳ではないことだけは分かった。表情はとても穏やかで、その目はきっと過去に向けられているのだろうと、僕はそう思った。
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