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峯と喫茶店で話をした翌日。宇宙船に乗るか乗らないかを決める期日まで一週間を切った。世間はより一層深刻そうな表情を浮かべて時を歩んでいる。今日の天気は晴れているが、車内にいる人の顔は晴れず、不安の色が見て取れた。
スーツを来た大人はいない。皆私服でどこかへと向かっている。以前の日常はすっかり消え失せ、世界は確かにその形を変えていた。
数日ぶりの電車に揺られながら改めて車内にいる人に目を配らせる。その中で印象的だったのは、窓ガラスに張り付き無邪気に「見て、宇宙船!」と声を上げている小さな男の子とその母親の姿。周囲に居る大人は明らかにその男の子に対して言葉にし難い視線を送っていて、母親の方もそれを感じ取っている。しかし母親は何も出来ずにその男の子のことをとても遠くから眺めるように見守っていた。
きっとあの男の子は幸せなのだろう。あの男の子は何も知らない。世界がもう時期滅びることも、あの宇宙船が希望と不安をまき散らしていることも、周囲の大人が何に悩み、母親は何を思っているのかも、そのすべてを知らない。
無論、僕だってこの車内にいる大人や男の子の母親が何を考えているのかなど分からない。けれど、決して明るい未来について胸を躍らせていないことくらいは分かる。
これが今の姿。すぐにでも砕け散ってしまいそうなほど弱々しい。
朝のニュースではここ連日白谷相馬の今後に関する説明と世界の不幸な映像が流れ続けている。それは僕達視聴者に対し現実を突きつけているような気がしてならなかった。
世界は本当に終わるのだ。世界中に目を向ければすでに滅びかけている街もある。もういつ滅びても、いつ死んでもおかしくない。映像は僕達にそう訴えているような気がした。
「…………」
電車が停まり、進み、人が下りて人が乗り込む。それを繰り返し電車は止まることなく進む。
今のこの世界の状況は、いわば世界中の人間に余命通告がなされたようなものなのだろう。このまま何もしなければ確実に死ぬ。ある決まった日時に確実に死ぬ。それを回避する方法が宇宙船に乗ることなのだ。
病院の一室を想像する。時折何号室の誰々が自分と同じ病気で死んだという話が耳に飛び込んでくる。それを聞き、次は自分かもしれないと恐怖心を抱く。生き残ることが絶望的な状況。そんな中、奇跡的に唯一助かる方法が見つかる。そういう場面ならおそらく大半の人間がその方法に縋りつくのではないのだろうか。たとえその方法が真新しく抵抗感を抱かずにはいられないものであっても。
おそらくそれと同じだ。だからきっと宇宙船に乗る人間の方が乗らない人間よりも遥かに多いのだと思う。そうなるように世界が仕向けている様にさえ思う。
僕はそれを否定するつもりはない。死を回避することそれ自体が本能のようなものだ。生きるか死ぬかの二択を迫られた時、本能的に生を選ぶのがむしろ普通なことなのだろう。だから宇宙船に乗ることを選択するのも、世界が生を選び取りそれを総意としたことも、そう考えれば不思議なことではないのだと、今僕は思う。だたそれがすべてではない。
本能に人間たらしめる理性が絡まった時、その人は傍から見れば不可解な行動を取る。僕の両親のように自殺がその一例にあたるのだろう。それがとても厄介で、ただ同時に良くも悪くも人らしいと言えるのかもしれない。
考えることで理性が絡まる。理性を外し、本能に従えば物事はたちまち単純なものに変わる。昨日の僕がまさしくそれだった。
生死を決める日数は一週間と数日。おそらく、より多くの人間を宇宙船で救うためにあえて考える暇を与えていないのかもしれない。
僕はまだどちらを選ぶか決めかねている。決めるのはこれからの話を聞いてからだ。
「…………」
電車が停まる。立ち上がり、電車を降りる。
降りた後、何となく振り返って車内に目を向けた。
その時、無邪気な男の子と一瞬目が合った。
そうして電車はドアを閉めホームを走り去っていく。
僕はそれを最後まで見届けて、外を目指す。
おそらく、もう二度とあの男の子と会うことはないだろう。
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