第三章
3-1
世界は八月七日をもって滅びる。その知らせが世界中に知れ渡った日から三日が経とうとしていた。
この三日間僕は何をしていたかと言うと、別段特に何もしてはいなかった。
白谷さんが僕の目の前から消えたあの日、僕はしばらく屋上から動くことが出来なかった。完全に沈んでしまった夕日をそれでも探すように、ただじっとその場で座り込んでいることしか出来なかった。
夜の冷え込んだ空気で我に返り、夜空には少しも欠けることなく明るく満ちた月が暗い世界に浮かんでいた。そうして、やっとのことで立ち上がり、僕は屋上を後にした。
階段を降りすっかり暗くなった校舎を出て、歩き、電車に乗り、家に帰る。その間、僕は僕の目にした出来事を何度も頭の中で再現し、何が起こったのかを考えた。だけれど、どうしたって分かるはずもなかった。
家に帰り、寝て、起きて。高校へ最後の登校をし、その後はずっと一人で部屋に籠っていた。
白谷妃和。彼女は確かにいたはずだ。それほど多くの言葉を交わした訳ではなかったけれど、僕は確かに彼女と出会い、彼女と話をした。僕は彼女とのやり取りを思い出すことが出来る。
「…………」
やけに天井が高く感じられる。今日はどうやら雨が降っているらしく、カーテンの閉まった外から雨音がポツポツと聞こえてくる。
今日の日付と、室内の気温、話題となっているニュース、それらが表示され視界に映り込む。こうしてウェアラブル端末をつけていれば、もしかしたら再び白谷さんと会うことが出来るのではないのかと思ったが、この三日間もう一度彼女が僕の目の前に現れることはなかった。
ウェアラブル端末を外す。日付や気温といった表示が消える。高く暗い天井。それしか見えない。もう一度ウェアラブル端末をつける。だが、僕が見たいと思うものは決して映り込むことはなかった。
僕が今まで見て来た白谷妃和という少女は一体どのような存在だったのか。彼女が消えた当日、その翌日の間はそんなことを考えることが出来ないほど困惑していたが、昨日からは少しはマシになって頭もそれなりに働くようにはなった。
確証は持てないけれど、もしかしたらと思えるものが一つ。その答えはテレビの中にあった。
今日の朝、三日ぶりにテレビをつけてニュース番組を見た。まず初めに取り上げられたのは、ある国のある都市が、大地震により壊滅的な被害を受けたという話。崩れ落ち瓦礫と化した高層ビル。泣き叫ぶ男性。汚れた人形を抱きしめた女の子。そういった光景を、僕はテレビの画面越しに眺めていた。ニュース番組に出演しているいつもの面々は、そんな光景を目にして大層悲しそうに眉を歪ませていた。その映像は宇宙船に乗らなければお前たちもああなるのだと、そう伝えているような気がした。
そうしてニュースの後、白谷相馬が登場しある説明を始めたのだ。
「宇宙船がどのように我々を救い出すのか。その説明をさせていただきます」
どうやら、白谷相馬は同じような説明を何度も様々な媒体を用い行っていたらしい。SNSには「昨日も聞いたけど、本当かよ」「ちょっと怖い」「でも、乗らないと死んじまうんだよな」といった発言が見受けられた。
白谷相馬が話した内容。どのようにして何千万人という人間を救い出すのか。一言で言えばそれは冷凍睡眠だった。
冷凍睡眠をさせることで、人が必要とする食料といったものを最小限に留め、かつすべての人間を救い出すことを可能にさせるのだと、そう言った。
そもそも宇宙船は地球を捨てた後どこへ向かうのか。それは、どうやら白谷相馬の話によると遥か遠くにある地球によく似た惑星を目指すのだという話だった。それは途方もない時間を要する旅となるらしく、そういった面でも冷凍睡眠は役立つだろうと彼はそう言った。
とはいえ旅をしている間ずっと冷凍睡眠状態のままだという訳でもないと言う。どうやら数か月、あるいは数年という間隔で決まった人数を冷凍睡眠から呼び起こすらしかった。
ここまでの話、正直なところ僕にしてみれば現実の話だとは思い難い内容で、SNSでも同じように感じている人がそう少なくない数いるように見えた。
だが白谷相馬の話す内容は事実らしい。現に世界中で同様の説明がなされ、すでに冷凍睡眠に入っている人もそれなりの数いるようだった。
心構えはしていたつもりだけれど、しかし世の中はとてつもない速さで進んでいた。
冷凍睡眠自体は正直どうでもよかった。問題だったのはその後に聞いた話だった。
白谷相馬はそこまで話した後、一台のノートパソコンを持ち出しこう切り出した。
「また、冷凍催眠中の人間でも、このようにして起きている人間、あるいは冷凍睡眠中の人間同士でコミュニケーションを取ることが可能です」
ノートパソコンの画面に浮かび上がっているのは、立体的に表示された家の内部と人。ちょうど一人称視点でその家の中に入ったかのような映像が映し出されている。画面の中にいる人はソファに座り読書をしていた。
白谷相馬が「橘君」とマイク越しに声をかけると、画面の中で読書をしていた人が立ち上がりこちらを向く。そうして白谷相馬はそのキャラクターと話をし始めた。
白谷相馬が言うことには、その仮想世界は本当にもう一つの世界みたいなもので、地球で暮らしていた時と何ら変わらない生活がそこではできるらしい。高校生は高校へ、社会人は会社へ、時間の流れは現実の何万分の一らしいが、ちゃんと歳もとるし仮想の体もその仮想世界の時間の速さで成長する。子供は大人になって行く。仮想世界は国単位で生成され、それらは繋がっているのだという。
白谷相馬は「冷凍睡眠と仮想世界。この二つにより、宇宙船は我々を救い出します。この十日間を通し、これらのことを実際に体験することも可能です。ぜひ、その身をもって安全性などを確認してください」と言ってその話は幕を下ろした。
それを聞いて僕は思った。もしかしたら彼女という存在がそういうものだったのではないのかと。
彼女は白谷の関係者だ。加え、冷凍睡眠だとか、仮想世界だとか、そういったものを運用テストも無しに導入するはずもない。だから彼女は既に冷凍睡眠状態で、僕はウェアラブル端末を通して彼女のいる仮想世界と繋がり話をしていたのではないのだろうか。どういう仕組みで僕のウェアラブル端末が仮想世界と繋がっていたのかだとか、そういったことは分からない。だけれど考えられなくはない。
それが一つの可能性。もしそうならば彼女はまだ死んではいないということだ。その気になれば、もう一度会うことが出来るかもしれない。
もしくは僕が仮想世界に入ることで彼女ともう一度話すことが出来るのではないのか。だとすれば、僕は宇宙船に乗ることに決める。動機などそれだけだ。彼女に会う。会って話をする。この際地球が終わるだとか、冷凍睡眠だとか、仮想世界だとか、そんなものはどうでもよかった。ただ、それだけでよかった。
そんなことを今日は朝からずっと考えている。僕は宇宙船に乗るのか乗らないのか。彼女と会って話をするにはどうすればいいのか。
結局、僕は彼女のことしか考えてはいないのだ。いつからそんな風になってしまったのかは分からない。気が付いたらそんな風になっていた。
明確に彼女のことを意識するようになったのは、おそらく数日前の公園での出来事以来だろう。誰かと会話をして心が軽くなったのはあの時が初めてだった。
体をベッドから起こし机の上に置いてあるガラス玉の付いたストラップを手に取る。
そのストラップを見ているとどうしてか胸が詰まる。僕はまだこのストラップを彼女に帰すことが出来ていない。
彼女は最後に「生きて欲しい。宇宙船に乗って欲しい」とそう言っていた。冷凍睡眠までして、偽りの現実まで作り出して、そうまでして生きる理由があるのだろうかとそう思ってしまう。
今朝の白谷相馬の話を聞いて言葉にし難い抵抗感のようなものを感じた。その抵抗感は慣れてしまえば消えるものなのだろうか。
不意に、自殺した両親のことが思い浮かんだ。死ぬことは生きることの真逆。両親はどうして死ぬことを選んだのだろう。その理由が分かればもしかしたら生きることの理由も分かるのではないのだろうか。
「…………」
両親のことを考え始めると途端に狭い場所で縮こまりたくなる。
僕は惨めだ。僕はどうすればいい。ただただ寂しい。ただただ彼女に会いたい。
少しだけ滲み始めた視界に一通のメールが届いたことを告げるアイコンが表示された。
もしかしたら彼女なのかと思いすぐさまそのメールを開いたがしかし違った。でも、それは差し伸べられた手のように感じられた。
送信者は峯だ。文面は彼にしては珍しく「今から会って話でもしないか?」という簡素なものだった。
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