2-14
屋上から望む、夕日に染まった街の様子は変わらない。だが、少しばかりいつもよりも静かであるような気がする。
白谷さんはそんな街の様子を高いフェンス越しに見つめながら、「秋村君、数十分前の知らせは聞いたかしら?」と問いかけて来た。
「聞いたよ。体育館でね。別に白谷さんのことを疑っていたわけではないけれど、本当に君の言う通り世界は八月七日で終わってしまうようだね」
僕が「今日でこんな風に話をするのは最後だというのは、今日のそれが関わっているのかな」と尋ねると、白谷さんは何も言わず、フェンスに背を向け静かに体を預けた。
「白谷さん?」
白谷さんは一度目を閉じ、「そうね。でも、それだけではないの」と言う。
「それだけではない?」
「そう。だけどその話は最後にしましょう。今は、別の話をしたいのよ」
白谷さんは「これが最後のわがままだから」と小さな声で呟く。
「秋村君。とても短い期間だったけれど、それでもこの数日間あなたと話すことが出来て私はとても嬉しかったわ。そうね、母親と過ごした日々を除けばこれまで生きて来た中で最も楽しい時間だった。とても幸福だった。今この時もそうで、私は幸福に包まれているのだと思う。だから、私はあなたにありがとうと、そう言いたいの」
彼女はそう言い、頭を一度下げる。そうして少しばかり不安の色が見える声で「秋村君は、どうだったかしら?」と尋ねてくる。
考えるまでもなく僕も楽しかった。自然体でいるというのはきっとこう言うことで、何というか、彼女と話をしていると心が落ち着き、心地よくなる。
「そうだね。僕も楽しかった。実の所、僕も白谷さんといつかこんな風に話をしてみたいって、そう思っていたんだ。前に白谷さんが言ったようにこればかりは僕がそうしたいからと思ったとしか言いようがない。理由を考えだしたらそれはすべて後付のようなもので、多分それは無粋なことなのだと思う」
「そう。そんな風に言ってもらえて、私はとても嬉しいわ」
僕も、白谷さんにはありがとうとそう言いたい。だけれど、どうしてもその一言を言うことが出来ない。だってその一言は、こうして出会って話をすることは今日で最後だということを決定づけてしまうような気がするから。
白谷さんの表情は変わらない。だが彼女はとても苦しそうに、悲しそうに左手で右腕を抱え自身の体を支えている。彼女の後ろには、今まさに水平線に沈んでいく夕日がある。
「私、きっと幸せ者だったのよ」と白谷さんは茜色の空を見上げて話す。
「辛いことは沢山あった。今だって、秋村君から尋ねられた質問の答えを出すことが出来ないでいる。だけれど、私は幸せだった。母親と、決して長いとは言えないけれど、幸福な時間を過ごすことが出来た。秋村君と、こうして話すことが出来た。あなたとはもう一生話すことが出来ないと思っていたのに、それが叶った。だから、私はもう充分なの」
白谷さんはそれがまるで過去の出来事であったかのような口調で話す。充分というのはどういうことか。だった、と言うのはどうしてか。どうして、幸せだと言うのに、どうしてそんなにも、今にでも泣いてしまいそうな顔をしているのだ。
「秋村君。あなたは宇宙船に乗る? それとも乗らない?」
僕は果たしてどちらを選ぶのだろう。僕のような平凡な人間は、きっと宇宙船になど乗り込めるわけがないと思っていたから、これまで自分が生き残ることについて全く考えては来なかった。
生き残ったところで、将来には何が待っているのだろうか。きっと、宇宙船に乗るということは、不安定で確実性のない、永久に続くかもしれない旅の始まりを意味する。その旅の果てに何があるのだろうか。そもそも、そこまでして生きることに何の意味があるのだというのだろう。
おそらく白谷さんは宇宙船に乗ることになるのだと思う。だって、白谷さんはあの白谷相馬の娘だ。
もしもそうなら、僕も彼女と一緒に宇宙船へ乗り込み生きて行くのもいいのかもしれない。僕はそう思った。それはなぜだろう。
僕も空を見上げる。空の先、宇宙を見るように。この先のことを見るように。
やっぱり僕は、これを最後にはしたくない。
「白谷さんがもしも宇宙船に乗るのなら、僕は宇宙船に乗ろうと思う。でも、もしも白谷さんが宇宙船に乗らないのだとしたら、僕は乗らないよ」
それが本心だ。思えば、僕はずっとそう思っていたのかもしれない。数十分前、白谷相馬の知らせを聞いた時も、数日前、白谷さんから話を聞いた時も、頭の中にあったのは白谷さんのことだった。
視線を空の先、空、そうして白谷さんに戻す。僕はそこにいる白谷さんの顔を見て、言葉を失った。
白谷さんは静かに泣いていた。とても静かに、表情を変えず、ただ涙を流していた。
「秋村君。それは、出来そうにないわ」
「どうして?」
どうして出来ないと、そう言い切ってしまう。
「秋村君。私はね、あなたにとても酷いことをしているの。あなたの気持ちはとても嬉しいわ。私も、そうしたいって思う。そうすることが出来れば、どれほど幸せなのか。でもね、それは決して叶わないの」
だからごめんなさいと、白谷さんは深く頭を下げた。
「秋村君。私は、宇宙船に乗ることが出来ない」
乗らない、ではなくて、乗ることが出来ない?
「秋村君。私は、あなたに生きていて欲しいとそう思うわ。生きていればきっとあなたが私に尋ねた質問の答えも導くことが出来ると思う。あなたは宇宙船に乗って、そうして生きて、見つけてほしい。生まれて来た理由だとか、生きる理由だとか。これは私のわがまま。だけれど、そうして欲しいの」
どうして、そんなにも悲痛な表情をする。
風が強く吹く。彼女の髪が大きく靡く。
「秋村君。私はね、もう死んでいるようなものなのよ」
何を言っているのか、僕にはわからない。それは何かのたとえ話なのだろうか。それとも。
「秋村君、あなたの付けているその端末、外してみてもらってもいいかしら。そうすれば、きっと分かるはずだから」
何を、言っているのだろう。端末を外す?
自分の手が震えているのが分かった。でも、彼女の言う通りにする他、彼女が伝えようとしていることを理解することは出来ない。だからそれに手をかける。
ウェアラブル端末を外す。今日の日付や今の時刻、天候の情報といった表示が視界から消え、目の前に広がる、拡張されていない本当の現実だけが視界に映る。
「どういう……」
目の前に居るはずである白谷さんの姿だけは見えなかった。彼女はそこに居なかった。
何がどうなっている。眼鏡をもう一度かける。目の前に白谷さんがいる。だが外すと、そこに彼女の姿はない。
「どう、なっているの……」
「秋村君。本当にごめんなさい。きっと、どれほど謝っても許されることではないと思う。きっと、今私がしていることは自殺することと大差ないのだと思うわ。私はとても自分勝手で、あなたのことを酷く傷つけてしまう。許してほしいとは言わない」
白谷さんは「だけどどうか、秋村君には生きてほしい。宇宙船に乗って欲しい。そして、私のことは忘れてほしい」と、そう言う。
夕日が沈む。茜色から紫色、そうして紺色へと変わる。すべての色が混ざり合って、黒へと変わっていく。
何がどうなっているのか分からない。死んでいるのと同じ?
「秋村君。本当にありがとう」
――そして、さようなら――
「待って!」
手が伸びる。自然と体が動いた。だが、白谷さんの体に触れることは出来ない。手が、彼女の体をすり抜ける。
夕日は沈み、夜が来る。
白谷さんの姿はもうない。彼女は僕の目の前から消えてしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます