2-13

 生きるか死ぬかを決断する期間として、十日という日数は適切なのかどうなのかは分からない。

 おそらく、今日の話を聞いた直後、そのどちらを選び取るのか即決することが出来た人もいただろう。だが、少なくとも僕はそんな人達のように決断力のある人間ではなかった。

 それどころか、僕はもっと別のことを頭の中で考えていた。きっと、前もって八月七日に世界が終わることを知っていたからということもあるだろう。それにしたって生きるか死ぬかというこれ以上にないほどの選択肢を目前に吊るされようが、それには目を向けずよそ見をしているのだ。僕も随分と間抜けらしい。



 クラスメイトのほとんどは臨時集会後の帰りのホームルームが終わった後、教室から逃げ出すように帰って行った。

 昨日と比べ、今日の放課後はとても静かであった。声一つ、物音一つ聞こえてこない。おそらくほとんどの生徒が帰ったのだろう。静かなのも当たり前だ。

その帰っていった生徒の中に峯も含まれていた。僕としては世界が終わるという事実を知った直後、峯はどのような反応を示すのか気になっていたのだが、その反応は思いの外普通ではあった。



 峯は一言、「そうか、明日でもう学校来られなくなるのか」と、遠い目をしてそう言い残し、教室を出て行った。

 別段、峯が少しおかしな奴だから、おかしな反応をするのを期待していたという訳ではない。ただ峯も峯で、やはりああいう反応をするのだなと何となくそう思った。

 でも「どうしよう……」と慌てふためくわけではなく、あるいは何も言わず教室を出て行かなかった辺り、僕の聞いた峯の一言は確かに彼らしいものだなと感じた。

 この学校に来るのは明日で最後。授業をこの教室で受けるという行為自体はもう二度とやってこない。まさか、今日の午前中にぼんやりと考えていたことが数時間後に現実のものとなるとは思わなかった。



「…………」



 誰もいない教室。誰もいない廊下。今日は教室で受験勉強に勤しむ三年生の姿も、放課後雑談に興じる生徒の姿もない。

 廊下の窓ガラスから外に目を向けてみる。眼下にはちょうど中庭がある。昼時大勢の生徒がそこで昼食をとっていた。数時間前もそういった光景が広がっていたものであるが、今はその面影すら残っていない。誰もいない中庭の花壇に咲く色とりどりの花が、物寂し気に揺れているだけだ。

 誰にも見られることのない花が咲いている。きっと、自然という面から見ればそれが普通であることだろう。だが、「花壇の」という箇所からどうしようもなく「人」を連想させてしまう。花壇に咲く花、その様がとても不思議で、かつ魅力的なものに見えた。



 ふと、誰かがその花壇の花に水を上げているのに気が付いた。はっきりとその表情まで見ることは出来ないが、どうやら女の子らしい。その子は花に水をやった後、その場に屈み呆然と花壇に目をやっているようだった。

 この校舎に残っている人間はゼロではない。だが、限りなくゼロに近いだろう。

花壇の傍で身を小さくしている女の子から目を外し、屋上を目指すことにする。

 今日はどんな話をするのだろう。「今日で最後」と彼女は言っていたが、それは本当なのだろうか。

 分からないことは多い。知らないことも多い。ただ、今日で白谷さんと話すことが出来るのは最後であって欲しくないと思っているのは確からしい。

 白谷さんはどちらを選ぶのだろうか。生きることか、それとも死ぬことか。それを聞いたところで何だというところではあるが、何となく白谷さんには生きていて欲しいと思う。



「…………」



 どうして白谷さんには生きてほしいと思ったのか、僕は不思議に思った。

 その理由は?

 そんな疑問に差し当たったところで、屋上の扉の前にたどり着く。

 扉を開ける。

 変わらない、茜色の光が視界を追う。

 その暖かな色に包まれた景色の中、黒い髪を静かに揺らしている人の後ろ姿が浮かび上がる。

 扉を閉める。屋上には僕と彼女しかいない。

 彼女は振り返る。そうしてこう言った。



「秋村君、私はあなたに謝らないといけないことがあるわ」と。

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