2-12


 きっと、これから僕が行うすべてのことに「最後」という言葉が付随するようになるのだと思う。電車に乗るのはこれで最後。国語や数学、英語や歴史といった授業を受けるのはこれで最後。購買のパンを食べるのはこれで最後。隣にいる峯と馬鹿話をするのもこれで最後。

 僕はあと何度朝を迎えることが出来るのか。何度眠ることが出来るのか。最後の時というのは確実に近づいてきているようで、数時間前にもそれなりに大きな地震が起こり、授業が途中で中断されるということがあった。

 これで今日は帰れるか? などという平和極まりない声が上がったものだが、結局そういったことにはならず今なお日常が繰り広げられている。



 昼が過ぎ午後の授業。鈴木先生は今日も眠り歌のような声で授業を行っており、隣にいる峯はそんな話を熱心に聞いていた。

 僕は峯のように鈴木先生の授業を熱心に聞くことが出来ないでいる。それはこの授業だけでなく、午前の授業も全く集中することが出来なかった。昼の休み時間に峯から「お前、今日はなんか変じゃねぇか?」と言われる始末だ。自分でもどこか上の空であることを自覚している。そして、その理由を僕は自覚していた。

 白谷さんは「次で最後だ」と三日前にそう言って消えた。自分でも何を言っているのかと思うが、あれは消えたとしか言いようがない。あの荒れ果てた道路に隠れることの出来る路地は無かった。白谷さんが走り去っていったというのも無理があるように思う。

 今日、というよりはここ数日心が浮いているのはそのことが気がかりになっているからだというのもある。それだけではなく、単に白谷が今日で話をするのは最後だと言い残したから、だとか、白谷さんのおかげで気持ちが随分と救われたから、だとか。いずれにせよ、白谷さんに関することで僕は随分と頭を悩ませている。



 正直なところ考えをまとめ上げることが出来ない。ただただ白谷さんと交わした言葉がグルグルと頭の中で浮かんでは消えて行く。

 僕はおそらく三日前のあの日、白谷さんに救われたのだろう。もしもあのまま白谷さんが公園に現れなかったら、僕は本当にその気になっていたかもしれない。

 幸福は幸福の中で見つけ出すことが限りなく難しい物。本当に白谷さんの話していたことは的を射ていると思う。

 僕は、僕達はとてつもなく不安定だ。魔が差すなどという言葉があるけれど、きっとあの時のようなことをまさしくそう言うのだろう。



「…………」



 歴史の授業が終わる。

その後、何の前触れもなく一つの知らせが校内中に伝わった。

 六限目に入る前の休み時間、唐突に校内放送が入り、「本日、六限目の時間に緊急の全校集会を行ないます。全校生徒は体育館に集合してください」と知らせが響いた。

 教室にいる同級生がざわつく。峯も少しばかり興奮しているらしく、「お、なんだなんだ!」と騒がしくしていた。

 今日の午前中に起こった地震についてだろうかと、何となく内容の予想を立てながら峯と共に体育館へ向かう。周囲からは色々な声が上がっていて、僕と同じような予想を立てている人もいれば、「もしかして、宇宙船関連?」などと言っている人もいた。



 体育館に着いてみると、高校に居る教師全員がすでに揃っていた。体育館中はどういう訳かとても物々しい雰囲気に包まれており、何となく嫌な予感がした。

 異様だったのが正面の檀上、そこに巨大なスクリーンが張り出されていることだ。僕の記憶からしてこの高校の体育館にあれほど巨大なスクリーンは無かったはずだ。ということは、あの巨大なスクリーンは今回のためにわざわざ準備をしたということになる。

 一体何のために? と疑問が過る。

 全校生徒が体育館に集合し、点呼が済むと壇上に校長が立った。

 そして校長は「日本時間、本日十七時より、全世界で同じ内容を知らせる放映がなされます」とまずそう切り出した。

 全世界で? 一体どういうことだ。



 騒がしくなる体育館内。校長は咳払いを一つし話を続ける。



「内容自体、我々教師陣も知りません。ただ知っていることは、本日十七時、世界中で生きるすべての人間に対し、その放映を見るようにと通達があったということです。ですから、こうして緊急の全校集会を開く運びになりました」



 校長は「以上」と言って檀上を降りる。校長自身も事態の把握が出来ていないのか、随分と慌てている様子が見て取れる。

 その後、生徒のざわめきが膨らむ中、暗幕が落ち体育館内は暗くなり正面の巨大なスクリーンに光が当てられる。

 そのスクリーンには毎朝見ているニュース番組が映し出された。お馴染みの司会者が随分と眉を顰めて「本日、日本時間にして十七時。大変重要な知らせがなされるということですが」と、専門家たちに話をしている所であった。

 並んでいる専門家もいつも見ている人達だ。ただ唯一違うことがあるとすれば、白谷さんの父親、白谷相馬がそこに居ない点だろう。



 嫌な予感、というよりはむしろついにその時が来たのではないのだろうかとそう思った。

 白谷さんが言っていたではないか。世界は八月七日をもって滅ぶと。それまでの間、世界が動かないわけがない。

 白谷さんは今後世界がどのように動いて行くのかは知らないと言っていた。それがこれから知らされるということではないのだろうか。

 こんなこと、例え世界が近々滅ぶことを知らなくとも予想が付く。皆口には出さないが、しかし心の底で「ああ、ついにその時が来たのだな」と、そう思っているのだろう。スクリーン映る人々の表情には恐怖や不安と言ったものが混ざり合っている。体育館に居る教師陣の表情も似たようなもので、周りに居る生徒達の顔も同じだ。

 世界中の人々が同じ知らせを同じ時に聞く。朝を迎えたばかりの人も、昼頃を迎えた人も、夕方や真夜中の人も、全員がこの時、ある知らせを耳にするのだ。



 時刻は間もなく十七時。ニュース番組の司会者の顔を最後に、スクリーンに映し出される映像が変わる。

 真っ白な背景。そこに木製の机と椅子が一つずつ置かれている。体育館内にある時計の針が丁度十七時を指し示すと、一人の男性が姿を現した。

 その男性は言うまでもなく白谷相馬だ。彼は一度深く頭を下げた後、椅子に浅く腰掛け話し始める。

 それまで騒がしかった体育館内は、呼吸をすることを忘れてしまったかのように静まり返る。皆スクリーンに目を向け、白谷相馬の話に耳を傾けていた。

 白谷相馬はまず宇宙船について話を始めた。宇宙船が最近になって完成したこと。『世界の終末』から五十年、人類はついに成し遂げたのだと、静かながらも熱のこもった声で話した。



「本題に入りましょう。私は、皆さまにお伝えしなければならないことがあります」



 息を飲むのが分かった。きっと世界中の人がそうしただろう。

 白谷相馬は淡々と、「八月七日。この日を持って、我々の住む地球は崩壊します」と語る。続けて、「しかしながら、怯える必要はありません。我々には宇宙船があります」と話す。



「宇宙船には生き残ることを希望する方全員が搭乗可能です。我が国に存在する宇宙船の数は十五隻。その十五隻の宇宙船には、この国に住まう方々全員を搭乗させ余りあるほどのキャパシティがあります」

「十日間です。十日間で皆様方にはご決断していただきたい。宇宙船に乗ることを希望するのか、それとも希望しないのかを」

「詳しい説明は今後様々な場を設け行ってまいります。以上です」



 スクリーン上の映像が変わる。白谷相馬の姿は消え、再びいつも見ているニュース番組の映像が流れ始める。

 スクリーンに浮かび上がる大人たちは皆一様に夢でも見ているかのような随分と間抜けな面をさらしていた。

 世界の期限を伝える放送は時間にしてわずか三分ほど。その経った三分間で多くの人の価値観というか、人生観というか、そう言ったものを狂わせただろう。積み上げられた多くの本が崩れ落ちて行ったであろう。

 そして選択肢が与えられた。生き延びるのか、共に死ぬのか。

 今日この時、世界は静寂を極めたはずだ。少なくとも今僕のいる場所はそうであった。



 スクリーン上の映像は消え、夕日の光が体育館を包む。

 その静寂の中、校長が壇上に立ち、今後の学校について語り始めた。どうやらこういった知らせがなされた際どのように動くのかは前もって決められているらしい。

 色々なことが話されたが、まとめるにどうやら明日を持って僕はこの学校に通うことが出来なくなるようだった。

 学校が終わる。自身の日常が変化するという現実を知ることで、周囲の生徒は何かを思い出したかのように声を震わせ始めた。どこからか女子生徒の泣き声も聞こえてくる。

 混乱し始めた体育館内。きっと、世界中でこういった光景が繰り広げられている。

 そんな中で僕が思ったことは、ある種の現実逃避とでも言えるようなことだった。

 その時僕は、白谷さんが「次で最後」と言った理由はこう言うことだったのだろうかと、そんなことを考えていた。

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