2-9
僕には兄弟姉妹がいない。両親の祖父母もいない。そして両親もいない。
兄弟姉妹がいないのは一家族に子供は一人だけという現代の常識の所為。祖父母がいないのは単純に寿命が尽きたから。両親がいないのは単純に自殺をしたからだ。
自殺をしたくらいなのだから墓参りなどしなくてもいいような気がしてきてしまうが、しかし世の中はそれを許してはくれない。今日はそういう日なのだ。きっと、この国中で僕と似たような境遇に置かれている人がそれなりの数いて、僕みたいに複雑な心境で墓参りに向かっている人もその中にはいる。そうであると思いたい。
電車に乗り、街から離れる。いつもならグルグルと回っているばかりの電車。その輪から離れる。何となく今日の電車の中は厳かな雰囲気に満ちている。黒い服を着ている人が多い。
電車で一時間。街を出て、昔住んでいた小さな町に着く。一年ぶりにこの町に帰って来たが、相も変わらず何もない。
街周辺に点在するこういった町は、それこそ中心に位置する街にあらゆる養分を吸い尽くされたかのような様子を見せている。ここには目の眩むようなビル群も、巨大な箱舟も、血管のように張り巡らされた線路もない。
かつての住宅、荒れ果てた田畑、昔ながらの公共施設。『世界の終末』という惨劇から生き残った過去の風景が今も残っている。
この国には、こういう取り残された町が点々と存在している。だが、そこで実際に今も暮らしている人間は数少ない。僕は三年前までそういう数少ない人間であった。
僕の両親はこの町で生まれ、この町で出会い、この町で結ばれた。そして僕がこの町で生まれた。両親からはそう聞いている。僕は未だ、どうして両親はずっとこの町で暮らし続けていたのかその理由を知らない。ともかく、そんな両親のおかげで僕はいつも電車で一時間という時間をかけて街の小学校、中学校に通っていた。
僕が小学校や中学校、あの街に馴染むことが出来なかったのは、馴染もうとしなかったのは、ずっとこの町で暮らしていた所為もあったのかもしれない。
街は僕にとって眩しすぎたのだ。この町に帰って来る度にそんなことを思う。
町に人の気配はない。生活感、とでもいうのだろうか、そういった空気は皆無だ。この町はもう死んでいる。
死んだ町を歩きある場所を目指す。小さな山の、その頂上。そこにはお寺がある。
階段を上る。昔はよくこの階段を両親と一緒に上っていた。
僕はこの山の頂上から夕日を眺めることが好きだった。今も気が付けば夕日を眺めてしまうのはきっとその所為だ。
遠くに見える街。夕日に染まる街。空は茜色から紫色、やがて紺色に変わる。その様子を僕は母親とここで見つめていた。
母親はよく「未来はとても輝いているの」と僕に言っていた。「こんな時代だからこそ、私たちは未来を思い描かなければいけないの」「私たちは今確かに生きているのよ」母親は、優しい声でよくそう言っていた。
ここから見ることの出来る街の様子は三年前とあまり変わらない。だが、もう母親はいない。父親もいない。僕はこの町を出て行った。あの頃とは何もかもが違う。
階段を上り切り、お寺に着く。
お寺の様子もあまり変わってはいなかった。
山門を潜り敷地内に足を踏み入れる。本堂の近く、そこに人影があった。
その人影は僕のことに気が付きこちらを振り向く。
「久しぶり、有紀君」
そう言って、綾さんは手を振った。
「お久しぶりです。綾さん、少し雰囲気変わりましたね」
長くふわりとした黒髪が優しそうな印象を持たせる。一年前は髪が短く元気なお姉さんという様相であったが、久しぶりに会う綾さんはとても落ち着いているように見えた。
「でしょ。髪伸ばしてみたんだ。ちょっとイメチェン、っていうのをしてみた」
とはいえ中身まではそう変わるものでもないらしい。昔と変わらない溌剌とした口調と明るい声を聞いて少しばかり心が和らいだ。
綾さんとはもうだいぶ長い付き合いになる。昔教師をしていた母親の教え子で、幼い頃から度々僕の遊び相手をしてくれていた。
仮に姉という存在が僕にいたとしたら、綾さんがそれに当てはまるだろう。
「街での暮らしはどう?」
「別に、大して変化はありませんよ」
「そうなの? でも、最近あの宇宙船が完成したんでしょ?」
「それはそうですけど。でも、だからと言って何か劇的な変化が起こるわけでもないですよ」
放課後に自由時間が生まれた。変化と言えばその程度だろう。
綾さんは少しばかりつまらなそうな表情を浮かべ「ふ~ん」と気の抜けた声を出す。相変わらず感情が表情によく出る人だ。そういった面では、綾さんは峯と少しだけ似ているのかもしれない。
「まあいいや。とりあえず行こうか」
「そうですね」
綾さんの後を追って目的の場所に向かう。
その目的地とは、このお寺の敷地内にある墓地だ。その墓地に僕の両親が眠っている墓がある。
初めて綾さんと一緒に墓参りをしに行ったのは昨年のこと。
そもそも僕は両親の墓参りへは行きたくなかった。現に今もそう思っている。実際、両親が自殺した一年後、今から二年前の今日は墓参りには行かなかった。だが、その翌年に綾さんから墓参りに来るようメールが届き、去年は半ば強制的に墓参りに行く羽目になったのだ。
「よく今年は来てくれたね」
「仕方なく、ですよ」
昨年初めて両親の墓参りをしに来た時、正直うんざりするほど綾さんから「これから毎年墓参りを一緒にすること」と言われた。だから、もしも今年行かなかったのなら、後日うんざりするほどメールやら着信やらが来そうだと、そう思った。
今年素直に墓参りに来た理由の半分がそれだ。そしてもう半分は、もうじき世界が終わるからだ。
もう二度とこの町に来ることは出来ない。そう思った途端、不思議なほど、この町のこの山から見える景色を眺めたくなった。変わらずこの町で暮らしている綾さんと話をしてみたくなった。それが、今日こうして両親の墓参りに来たもう半分の理由だ。
「ほら、これ持って」
綾さんは水を溜めた手桶と柄杓を僕に渡してくる。そうすると綾さんは「私、お花とか持ってくるから先に行ってて」と言ってどこかへと走っていった。
仕方がないので先に両親の眠っているお墓へと向かうことにする。
秋村家と掘られた墓石。手桶をその場に置き、墓石に触れる。少しヒンヤリとしている。こんなに冷たかっただろうか。
「…………」
もしかしたら、こうすることが出来るのもこれが最後になるのかもしれない。
母さん、父さんはどうして自殺という道を選んだのだろうか。呆れるほど将来に対して希望を持っていた両親だ。口癖が「未来はとても明るい」だった両親だ。それなのに、どうして自らそれを投げ捨てたのだろうか。
口に出す言葉と本心は全く真逆であるということが間々ある。最近になって気が付いたけれど、きっと僕は心の底では将来を信じていたかったのだと思う。
幼い頃、僕は両親から毎日のように未来に対し希望を持ちなさいと言われ続けて来た。だからこそ、僕は将来を信じることが出来なくなった。
本当は将来の夢を描きたい。未来は明るいものだと信じていたい。しかし、現実はそうではない。いつかは世界が終わる。そう遠くないうちに世界は滅ぶ。大体、そんな状況でどうやったら未来を信じることが出来る。
つまり、僕は諦めてしまったのだ。将来を夢見ることを、未来は明るいのだということを、そのすべてを諦めた。
もしも両親が僕と同じように歪んだ思いを抱いていたのだとしたら、僕の両親は心の底から未来を信じていなかったということになる。まだ生きていた頃の両親の様子を思い返せば、決してそのようなことは思えないけれど、両親であれ人間であることに違いはない。人間、一体何を考えているのか分からないものだろう。
そうではなくて、本当に両親は心の底から未来を信じていたとしよう。だとしても、結局両親は自殺という、それらを否定する行為をしたのだ。
どちらにせよ、僕の両親は未来を、生きることを放棄した。それは揺るぎようのない事実だ。
もう、どうしたって両親の本心を知ることは出来ない。死ぬということはそう言うことで、死んだ人間は僕のような残された人間に対し、永遠に解くことの出来ない疑問を植え付けてしまう。
それはある意味で呪いとでも言えるのかもしれない。永遠に解くことの出来ない疑問の答えを自分で考えて納得するしかない。
色々と考えた。それほど賢くはない頭で考えた。両親のことを通し、周りで起こることを通し、頭を働かせた。
そうしていつも決まった疑問が浮かび上がり思考が止まる。一年前の今日、二年前の電車の中、三年前の公園。
ふと、白谷さんの声が聞こえてくる。「あなたは、こんな世の中で生きていく意味があると思う?」
その質問を両親に投げかけたら一体どのような答えを返してくれるのだろうか。墓石の上から水を流す。水は摂理に従って流れ落ち、墓石は色を変える。当たり前だが、答えが返って来るわけもない。どこからか聞こえる木々の葉が風で揺らぐ音か、夏の虫の鳴き声くらいしか聞こえては来ない。
街では聞かない自然の音を聞く。その声に紛れて綾さんの声が聞こえて来た。
綾さんは綺麗な紺色の花束を抱えている。去年にも綾さんは同じ花を墓の前に供えていた。
「はい、有紀君」
紺色の花、スターチスの花の束を半分に分け、そのうちの片方を僕に手渡してくる。僕はそれを受け取る。
「去年もこの花でしたよね。何か理由があるんですか?」
目を細め、昔のことを思い出しているかのような表情で花を供えている綾さん。綾さんは一言、「有紀君のお母さんが好きだった花なんだよ」とそう言った。
「知ってた?」
「いいえ」
そんなこと、僕は知らなかった。
スターチスの花を供え、線香に火を灯す。線香の先端が赤くなり、煙がゆらゆらと青空に向かって伸びていく。
「綾さん、仮にもうじき世界が滅んでしまうとしたら、どうしますか?」
「何それ? ゲームか何かの話?」
「いっそのこと、本当にゲームか何かの話だったら良かったんですけどね」
「そうだね。いや、本当にそうだよ」
綾さんは乾いた笑い声を上げる。そんな綾さんの横顔に目を向ける。綾さんは、それこそ宇宙でも見透かすように青い空を見上げていた。
「私は、特に何もしないと思うよ。例えばさ、明日急に世界が終わってしまうとする。あなた達に残された猶予は残り一日です。残された時間を有意義に過ごしなさい。なんて、そんなお知らせが世界中に伝わったとしようよ。でも、私は特に何もしない。すっかり寂しくなったこの町で、いつもと変わらない一日を過ごすんだと思う。というか、その知らせ自体私は信じることが出来ないかもしれないな。私、自分自身が経験してみないとどうしたって信じられない性分だからね」
「あ、でも。最後に有紀君にだけは会いたいな」と、綾さんは続けた。
「どうして、ですか?」
「ん~、なんというか。有紀君は心配なんだよ。ちっちゃい頃から無駄に冷めた考え方してるし。それに……」
綾さんと目が合う。じっと僕の顔を見つめてくる。
「有紀君は、大きくなったと思うよ。でも、やっぱりお姉さんとしてはいつまでも心配なんだよな」
綾さんは僕に近づいてきて、頭を乱暴に撫でて来た。
「何ですか、急に」
「何でもないよ」
綾さんには、正直なところ世話になってばかりだと思う。両親が自殺した後、その後にやらなければならない諸々のことをやってくれたのは綾さんだし、腐りきった僕の相手を未だにしてくれているのも綾さんだけ。
「綾さん」
「ん?」
「世界がもうじき終わってしまう、そういう時が来たらもう一度会いに来ます」
「そうか。なら、私はいつまでもこの町で待っているよ」
綾さんは笑う。こういった類の笑顔を僕は知っている。
母さんが昔浮かべていた笑顔に、綾さんのそれはとてもよく似ていた。
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