2-6

 天気予報によると午後からは雨が降るらしかった。その予報は外れることなく、昼休みが過ぎ五時間目の授業、その最中に青空を見せていた空に分厚い雨雲がどこからかやってきて、その雨雲は街に雨をもたらした。始めの内はシトシトと小雨であったが、放課後を迎えるころには雨脚は強まり、本格的に雨が降り始めたのだった。



 宇宙船造りの作業が終わった初めての放課後は雨。クラスの雰囲気は少しばかり暗く、隣に居る峯は「雨か~」と残念そうな表情を浮かべながら雨雲を眺めていた。

 雨。天候の変わり目に時折頭が痛くなることや、外を出歩く時傘を差さなければいけない事を除けば、僕は雨が嫌いではなかった。

 場所はどこでもいい。雨を凌ぐことの出来る場所、教室や自室、屋根の付いたバス停やシャッターの下りた店先、そういったところで雨を凌ぎ、雨音を聞くのが僕は好きだ。規則的に聞こえる音と、その中に混じる不規則な音、それらを雨の日に漂う独特の匂いと共に感じる。晴れの日もいいだろうが、雨にもいいところはある。



 峯は予定通り鈴木先生と歴史博物館に行くと言って教室を出て行った。僕も僕で、白谷さんとの約束を果たすために屋上へと向かう。

 教室を出る。雨音が聞こえ、廊下の窓ガラスには雨粒が乱雑にこびり付いている。

 白谷さんはどうしているだろうか。雨が降っているのだし、屋上には出ていないと思う。居るとしたら、屋上へと続く扉の前か、もしくはその扉を出てすぐの所、申し訳程度に付いた屋根の下で座っているかのどちらかだろう。

 階段を上り屋上を目指す。生徒たちの姿はあまりない。皆放課後を迎えると共に峯と同じようにどこかへと行ってしまったようだ。残っている生徒と言えば三年生くらいのもので、教室でノートと教科書を開いていた。そんな先輩たちの様子を見て、その努力は決して実ることがないのだと思ってしまい言い難い気持ちに襲われる。

 階段を上り、屋上へと続く扉の前にたどり着く。そこに白谷さんの姿はなかった。

 扉についている小さな窓から屋上の様子を見てみると、白谷さんは僕の予想したもう一つの場所で座っていた。



 扉を開ける。すると、すぐそこで座っている白谷さんと目が合う。僕が「こんにちは」と言うと、彼女は座ったまま「こんにちは」と返してくれた。

 扉を閉め、彼女に対し隣に座ってもいいか尋ねる。すると、彼女は少しばかり右にずれ、僕が座れるだけの空間を開けてくれた。

 その開けてくれた空間に座り込む。かといってとても狭い。上についている屋根は扉と同じくらいの幅しかない。肩こそ触れ合ったりはしないが、しかし前回屋上で話をした時よりは近い。



「雨だね」

「そうね」



 揃って雨雲を見つめる。当分雨は止みそうにない。



「何時くらいからここにいたの?」

「雨が降り始める頃かしら」



 というと、ちょうど五時間目の授業辺り。だいぶここで待っていたということではないのだろうか。



「じゃあ、結構待たせちゃったかな」

「別に気にしないでいいわ。私がそうしたかっただけだから」



 白谷さんの横顔を見ながら、果たして彼女はどうやってここまでたどり着いたのか疑問に思った。五時間目の授業が行われている中、ひっそりと校舎に忍び寄ってここまでやって来たのかもしれないが、それにしたってよくも誰かに見つかることなく屋上まで上がって来られるものだ。着ている制服だって違うのだから、目立ちそうなものであるのに。



「どうかした?」

「何でもないよ」



 そんなことを気にしたところで意味はないだろう。



「白谷さんは、雨は好き? それとも嫌い?」

「嫌いではないわね」



 白谷さんは視線を変わらず雨雲に向けたままそう答える。「秋村君はどう」と聞かれたから、僕も「嫌いではないよ」と答えた。



「白谷さんは、雨のどういうところが嫌いではないの?」

「そうね、少しだけ世の中が静かになったような気がするからかしら」



 雨の日は雨粒の落ちる音が日ごろ街に溢れる人の話し声や、自動車や電車などの走る音を優しく包み込んでくれる。だから好きなのだという。



「日ごろ街に溢れかえる音というのは、すべて乱雑にそこら中から鳴っているものでしょう。それが、雨の日になるとすべてに水の音が関わるようになるの。統一感、とでもいうのかしら。街に溢れる音に水の音という共通項が生まれて、それが少しだけ世の中を静かにしてくれているような気がするわ」

「じゃあ、今の世の中には雨が降っているのかもしれないね」

「つまり?」

「世界は宇宙船を造り宇宙を目指すという共通した目的を持っているわけでしょ。加え、その目的によって世界の争いは無くなったと友人が話していた。つまり宇宙船造りという共通項が、世界を静かにさせたんだと、そう言えるんじゃないのかと思ってね」

「面白いわね。そうね、秋村君の言う通り、今の世の中は不気味なほど静かなのかもしれない。確かに今、世界には雨が絶えず降り続いている。秋村君は、雨のどういうところが好きなの?」

「そうだね。僕は、雨の音が好きかな」



 改めて、どうして雨の音が好きなのかと、その理由を尋ねられたら僕は答えられない。具体的な理由などない。何となく良いなとそう思う。



「例えば、屋根の付いたバス停、自室、僕以外誰もいない教室、そういったところで何も考えず、規則的な雨の音を聞くのが好きなんだ。あと、規則的な雨音の中に時折聞こえる不規則的な音が聞こえるのも悪くない。例えば教室であれば不意に遠くから誰かの話し声が聞こえて来たりするかもしれない。そんな声を聞くと、僕は少しだけ得をしたような気分になる」



 自分だけの居場所、というのだろうか。雨の音がそれを生み出してくれているような気がする。誰もいない僕だけがいて良い場所。そんな場所に外部の音が時折やって来るのだ。



「それはちょうど今のような状況、という訳かしら」



 白谷さんは僕の方を向いてそう言う。確かにその通りだ。今この状況こそ、まさしく僕好みの状況と言えるだろう。



「そうだね。それに、こうして誰かと取り留めの無い話をしているというのも、僕は嫌いじゃあないらしいよ」



 思えば、これまで僕は峯を除き友人らしい友人はおらず、こんな風に思ったことを思ったまま話すことの出来る相手などいなかった。



「そうね。私もあなたとこうして話をしていて楽しいわ」



 白谷さんは笑った。雨の日に似合う笑顔だと、そう思った。顔すべてで笑うのではないのだ。微笑むという訳でもない。些細な幸せや楽しいこと、そういったことに偶然出会った時、自然と頬が緩むような、そういう笑顔だ。



「あなたの友人は、世界が宇宙船を造るということを決めたことで世界は少しばかり静かになったと、そう言ったの?」

「いや、そうじゃあないよ。白谷さんは宇宙船が『世界平和の象徴』と呼ばれているのは知っているようね」

「ええ」

「僕は、どうして宇宙船がそんな風に呼ばれているのか疑問に思っていたんだ。ちょうど一年くらい前かな、その理由をある友人が解決してくれたんだ」



 僕が、「どうして宇宙船が『世界平和の象徴』だと呼ばれているか分かる?」と尋ねると、「今日まではその理由を私は知らなかった。だけれど、今日分かったわ。さっきあなたが話してくれた内容が理由でしょ」と白谷さんは雨の中に浮かぶ宇宙船を見ながら答えた。



「そう。宇宙船を造ることで世界は争わなくなった。だから宇宙船は『世界平和の象徴』なんだ。言われてみればとても単純な話だった。どうして気が付かなかったんだろうって思ったよ」



 白谷さんは「きっと、私たちが生まれた時から宇宙船は存在しているし、世界も大概平和であったからだと思うわ」と話す。

 僕等が知っているのは、これまで生きて来た十数年の出来事でしかない。しかしその十数年は、過去何十年、何百年という時間を積み重ねた上で成り立っている。僕等は実際に『世界の終末』を経験していないし、その直後の様子や、それ以前の様子を実際に経験してきたわけでもない。

 そういう意味で、何もかもが希薄になっているのかもしれないなと、そう思った。峯が僕の疑問に答えを出すことが出来たのは、何より峯がそういった積み重なっている歴史を深く知っていたからかもしれない。普段は厚かましいだけの峯だが、そう考えると彼の見方が随分と変わる。



「白谷さん、これから世界はどうなっていくんだろう」



 宇宙船は完成した。ではその次はどうなる。誰が宇宙船に乗り、いつ地球を捨てるのだろう。

 白谷さんは依然として遠くにある宇宙船に目を向けている。彼女はそのまま「分からないわ」と呟いた。



「私が知っていることは、数日前に話したことだけ。これからどうなっていくのか、それこそ私の方が教えて欲しいわね」



 そう言う白谷さんの表情はどこか不安げで、とても悲しそうだった。



「今朝、偶々白谷さんのお父さんが出ているニュース番組を見たんだ。その時の話によると、これから色々と決めて、僕達に知らせるという話だったんだけれど」



 僕がそう言うと、白谷さんは顔を俯かせる。そうして「私、何も知らないわ」と、か細い声を漏らす。そうしてただ一言、「私、あの人はとても嫌いなのよ」と、そう言う。彼女のその声は鋭利な刃物のようだった。



「ごめんなさい。忘れて」

「いや、僕の方こそ、何か気に障ることを言ってしまったのなら謝るよ」

「いいえ、あなたが謝る必要はないわ」



 白谷さんは、「それよりも、話の続きをしましょう」と言う。

 雨は止まない。雨は、止む気配を見せず降り続く。

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