2-3
週明けの学校。世界が滅ぶまで一ヶ月を切ったというのに、教室内は相変わらず平凡な空気を漂わせている。
昨日のテレビは何を見たか。今日までの課題は終わったか。お昼はどこで食べようか。そういった日常的会話が教室内を飛び交う中、僕は教室の窓からいつものように宇宙船を眺めつつ、隣に居る峯の話を適当に聞く。
七月十日。白谷さんと屋上で話してから三日が経過し、今日は火曜日。彼女からのメールはまだ届かない。宇宙船を眺めながら、彼女の話していたことを思い出す。
彼女、白谷さんの話によれば、あの宇宙船はおそらく明日には完成する。別に彼女のことを疑っている訳ではないが、もしもそれが本当に起こったのなら、三日前に彼女の話していた内容の信憑性が増すだろう。
つまり、本当に世界はあと一ヶ月ほどで滅び、多くの人間は地球と共に死ぬ事になるということだ。
「おい、秋村聞いてんのか?」
峯が肩を揺すって来る。世界が滅びるかどうか考えをまとめていたというのに、厚かましい事この上ない。
「聞いてる聞いてる」
「じゃあ俺がさっき何を言っていたか言ってみろよ」
顔の向かは変えずに峯に目を向ける。当然のことながら峯の話は聞いていない。どうせいつもの通り歴史について熱く語っていたのだろう。
「どうせ歴史についてだろ」
適当にそう答えると、峯は「ほら、やっぱり聞いてねぇじゃんか」と無駄に大きく手と顔を動かした。
「違うの?」
「違う。全く、せっかく俺が極秘情報を手に入れて、それをお前に話してやろうとしているのに、聞かなくていいのか?」
峯は人を苛立たせるのが上手い。
「で、何だよ」
「おう、驚くなよ」
峯は立ち上がり、僕の近くに寄り「到頭宇宙船が完成するらしい」と耳打ちしてきた。
「どうだ、驚いただろう」
確かに驚く。だが、きっとそれは峯の望む驚き方ではない。峯がどこからその情報を手に入れて来たのか、どうして峯がそれを知っているのか。僕はそのことに驚いた。
「あ、あれ? 意外と驚いてない?」
「いや、驚いてはいるよ」
これが、もしも白谷さんから同様の話を聞いていない状態で彼からこの話を聞いたのなら反応もまた変わっただろう。しかし僕は既にその話を白谷さんから聞いている。
峯の話は僕にとって大概どうでもいいものであるが、いずれもその話自体が嘘であったことはなかった。峯も峯なりに色々と調べ上げ、自身が確証を得たところで僕に話しているのだろう。今までの彼を見る限り僕はそう思っている。だから、今回の話もきっと彼なりに確証を得てからこうして僕に話したのだろう。
「峯、それは誰から聞いたの?」
「鈴木先生だ。昨日聞いたんだぜ」
やはり鈴木先生。峯の話は基本的に鈴木先生から聞いた話が土台となる。その土台に峯が自分で調べたことが積み上がり、それがこうして僕に伝わって来るのだ。
歴史の詳しい話だけでなく、こういった普通の人間は知らないであろう情報も、峯は鈴木先生から得ている。こうなると、鈴木先生は一体何ものなのだと思わなくもない。
「でな、俺も昨日ちょっと色々調べてみたんだが、とりあえず宇宙船がもうじき完成することは確かみたいなんだよ。先週の金曜日、白谷源一が視察に来ただろう? あれ、宇宙船がもうじき完成するから、わざわざ見に来たって話らしい。それに、ここ最近アメリカだとか中国、ロシアだとかの宇宙船も続々と完成しているらしいぜ」
峯は「ニュースじゃあ全然取り上げられていないけれどな」と続ける。峯の言う通り、毎朝見ているニュース番組でそう言った話題が取り上げられている所を一度も見たことがない。
「やったな。これでようやく俺達も放課後のかったるい作業から解放されるんだぜ」
峯が僕の肩をもう一度叩いてくる。ふと、先週峯と話をした部活動という活動が頭をよぎった。
「じゃあ、僕達は放課後何をするんだろう。部活動がまた始まるのかな」
僕がそう呟くと、峯は珍しく顎に手を添えて考える素振りを見せる。峯のその様子を見て、僕は随分と無意味な問いを彼に投げかけてしまったなと後悔した。どうせ一ヶ月もしないうちにほとんどの人間が死ぬ。当然峯はそのことまで知ってはいないだろう。
だが僕はそれを知っている。将来などもうないことを知っている。だから、どれほど未来の話をしようが、それは全て虚しい空想にしかならない。
峯は少しだけ考えた後、「そうだな。やっぱり俺は新しい部活動、歴史研究部を作るぜ」と珍しく照れたような表情を浮かべた。
その表情を見て、僕は罪悪感のような、寂寥感のような、どちらにせよあまり良いとは言えない思いが胸の中で燻ったのが分かった。
小学生の頃、担任の教師や同級生が夢について話していた時のことを思い出す。僕はこの世界に馴染むことが出来ないでいる。それは今も変わらない。どこか違うのだと、そう思っている節が僕にはある。
だけどそれは、馴染むことが出来ないのではなく、単に僕がこの世界に馴染みたくはないだけだったのかもしれない。こんな世界に馴染みたくはない。将来が無いなどと認めたくはない。死にたくはない。結局、僕はそう思っていただけなのかもしれない。皆が平気そうな顔をして将来を語ることが出来ていたのは、意識的であれ、無意識的であれ、皆世界に馴染もうとしていたからなのかもしれない。皆は馴染もうとしていた。皆が幼かったのではなく、幼かったのは僕であったのかもしれない。
「おい秋村、話聞いてるか?」
「え、ああいや、ごめん。何だっけ?」
「ったく。本当お前はどうしよもないな。この話を始めたのはお前だろ。だからな、もしも俺が歴史研究部を作ったら、お前に部員になってもらうって話だよ」
何ら変哲の無い、一見して無意味な時間が流れている。峯は相変わらず厚かましいし、教室は騒がしい。
「で、どうなんだ?」
峯は僕の顔をガキ大将みたいな顔をして見てくる。本当、僕は峯を心底羨ましく思う。
「そうだね。もしもそんな未来があったのなら、それも面白いのかもしれないね」
「お、だろ! そうか、やっと秋村も歴史の面白さに気が付いたか!」
屈託のない笑みを浮かべる峯を見て、認めたくはないが少し胸が痛んだ。
そうか、もう僕は、僕達は未来について話す資格を失ったのだ。
そのことに気が付いた途端、今この教室で繰り広げられているすべての光景がどうしようもなく儚く尊いものであるかのように感じられた。
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