第二章

2-1

 いつ眠ったのかは思い出せないが、どうやら僕はベッドの上で眠りに就き、休日の始めである土曜日を無事に迎えることが出来たらしい。目を覚ましてまず初めに思い浮かべることは、今日も無事に朝を迎えることが出来たということだ。これは冗談などではなく、本当にそう思う。いつ世界が終わるか分からない。僕が寝ている間に世界が終わる可能性だって十分にある。朝のニュース番組は、大抵どこのチャンネルも「無事、今日という日を迎えることが出来ました。おはようございます」という朝の挨拶で始まる。



 僕は常々、本当にこの世界は可笑しいと思っている。世の中は矛盾だらけだ。

 一つ例を挙げるなら、人口の話。人間は世界が近いうちに終わることを知った後、子供を産むのなら一家族一人までにすること、と決めた。このおかげで人口の減少に拍車がかかったのは言うまでもない。理由は簡単で、世界が終わることで沢山の犠牲が出るのなら、そもそも新しい命を作らなければいい。宇宙船に乗ることの出来る人間は限られるならば、そもそも人間を増やさなければいい。そういうことだった。

 この決まりが出来た直後はそれなりに反発もあったらしいが、それも時が流れると共に消え去り、今ではそれが常識として世間に浸透している。浸透した理由として、皆心の底に「世界は終わるのだから新しい命が生まれることは酷く悲しい」という観念がどこかにあったからだと僕は勝手に思っている。

 人類の繁栄を途絶えさせないために宇宙船を作っている。であるのに、その人類を人類自ら減らす。そのしわ寄せが僕にまで到達し、放課後には宇宙船を造る作業をする羽目になっている。

 その昔、兄弟、姉妹という家族関係があったらしい。世界が一度壊れる前、親はどれだけ子供を作っても良かった。その時にあった家族関係だそうだ。だけれど、僕はそういった家族関係など知らない。そもそも、家族など今の僕には存在しない。



 誰もいない部屋。アパートの一室。ここで暮らすようになってもう三年が経つ。所々白い壁にはいつの間にか付いた染みが浮かんでいる。丸いテーブルとベッド。床には暇つぶしに買った書籍数冊と衣類が散らばっている。

 散らばっている衣類の中に紛れている制服を手に取り着替え、眼鏡型ウェアラブル端末をかける。時刻は午前九時。左上に新着メールが届いていることを告げるアイコンが表示されていた。

 新着メールは四件。二件はどうでもいい広告メール。一件は峯から。一応開いてみるに、「昨日何があったんだ?」という文字列。「何もなかったよ」と適当に返信する。何かあるとしたら恐らくこれからだ。

 残った一件のメール。差出人は不明。「あなたの通う高校の屋上で待っているわ」と一言。

 メールを確認し、食パンを一枚かじった後、ズボンのポケットに財布をねじ込み、鞄に付けていたストラップを外して胸ポケットに入れる。最後に洗面所で顔を洗った後、玄関の鍵を閉めて外に出た。



 気温十六度。この時期としては平年よりも低い気温で、街を歩く人達はそれなりに服を着込んでいる。気温に関していえば、ここ十年間低下し続けているらしい。世間では地球は長い冬眠、すなわち氷河期に突入するとも言われている。こうして実際に気温が低下している事実が、そう遠くないうちに世界は滅ぶという予想の信憑性を高めていた。



 まずは最寄り駅を目指す。アパートから最寄り駅までは徒歩十分ほど。進むにつれて人の数が増える。駅前に着いてみると、相変わらずどこから湧いて出てくるのか分からないほどの人で溢れ返っている。昨日の夜の様子が嘘であるかのようだ。

 鬱陶しい雑踏をかき分け改札を潜る。駅のネットワークに自動で接続されたウェアラブル端末が遅延等の情報を知らせてくれる。どうやら遅延は起きていないらしかった。

 ホームで電車が来るのを待つ。周囲にいる人たちの話し声は遠くへ行き、ビル群の隙間を塗り潰しているかのように見える青空を眺めながら、しかし意識だけは昨夜のあの場所に引き戻される。



 長い黒髪。水面に映り込んだ月。桜の葉。星。夜風。僕と彼女の距離は数メートル。僕は一目見て彼女はあの時電車で出会った彼女であると確信した。

 そう確信し、真っ先に頭の中に浮かび上がったのはストラップのことだった。僕は彼女にストラップを返したかった。

 あの時のことを覚えていますか。二年前の夕暮れ時、電車の中で僕達は出会っていますよね。これ、その時に見つけた物です。君のだよね。二年もかかってしまったけれど、返すことが出来て良かった。

 頭の中では言うべきセリフが浮かび上がる。だが、それは上手く口から外へ出ていかなかった。要は柄にもなく昨夜は緊張していたのだと思う。あまりにも唐突な再会であった。加え、彼女に僕は目を奪われてしまった。あの時の彼女の姿は、一言でまとめてしまえばとても幻想的だった。彼女と周囲の物、池や星、そららが一つの完成された絵画か何かのようで、現実離れしていた。

 しばらく僕達は互いの目を見つめ合った。そうして彼女の口が小さく動き、「久しぶりね」と聞き覚えのある抑揚のない声が確かにはっきりと聞こえたのだ。



 その後のことは、正直あまり覚えていない。互いに目を離すことなく、その場から一歩も動くことなく、そう多くない言葉を交わしたと思う。

 その中で彼女は「あなたにお願いがあるわ」と言った。だが、「今日は時間が無いから、また明日改めて会うことは出来るかしら」と続け、その日は別れた。彼女は夜に紛れるように僕の目の前から去って行った。



 今朝届いたメールをもう一度開く。「あなたの通う高校の屋上で待っているわ」

 電車がやって来るのとメールを閉じたのはほぼ同時。

 電車のドアが開き、多くの人間が降り、多くの人間が乗車する。

 ドアが閉まり、電車は走り出す。

 車内の様子は今この場に彼女がいないことを除き、二年前と大して変わらない。

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