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 作業場での仕事は徹頭徹尾静かなものだ。人の話し声などは聞こえて来ず、僕達は黙々と仕事をする。

 バスに乗車していたあの強面の男性が僕のクラスの作業を取りまとめている担当者なのだが、その担当者は今日もどこでどのようなことをするのか指示をする。その指示を受けた後、各々灰色の作業着に着替え、顔全体を覆う黒いヘルメットを被り、指示された場所に向かう。かれこれこのルーティンを一年以上続けているのだから、よくも続けていられると我ながら思う。



 正直なところ、半年ほどこの作業をしたところで飽きたのだが、そこから二か月ほど経過したところで、その退屈さにすら慣れてしまった。惰性で続けるというのはきっとこういうことを言うのだと思う。

 そもそも、ここで仕事をしたとしてもアルバイトのようにお金が貰えるという訳でもないのだし、こんなことをしていても僕にとっては何のメリットもない。あえてメリットがあるとすれば、作業効率が良く、おまけに学業成績も良い連中だけだ。噂によるとそういう成績優良者は高校卒業後、この宇宙船開発を請け負っている会社にそのまま引き抜かれるらしい。

 でも、それは宇宙船開発に携わる仕事をしたいと思っている連中か、もしくは野心家な連中にしか得がない。だからどちらでもない僕にはこの仕事をしたところで何も得をすることなどなかった。



 それに、僕が実際にこの宇宙船に乗ることが出来るのか不明なのだ。

 宇宙船に関する情報はあまり公には出ていない。来るべき終焉に向け箱舟を作っている、あとは教科書に載っていること、それくらいしか一般的に知られていない。

 実際にこの宇宙船が世界にはいくつあるのかだとか、どういう仕組みで動くのかだとか、搭乗者数が何人なのかだとか、そういうことは知られていなかった。

 ただ、噂でなら聞いたことがある。どうやらこの宇宙船の搭乗者数は約三百人で、日本に限った話をすれば、宇宙船は七隻ほど造られているのだと。以前そのような噂話が世間で話題を呼んだ時期があった。

 この噂が真実なのか分からないが、ともかくこれが真実だったとしよう。そうだとしたら、宇宙船に乗ることの出来る人間は約二千人でしかないということになる。

 ここまで話を聞けば、小学三年生くらいの子でも気が付くだろう。つまり、どれだけ『希望の船』だと言おうが、世界中の人間が助かるわけではないのだ。日本に限った話をするならば、現在この国の人口は約三千万人。その三千万人に与えられた未来への切符は二千枚。スプーン一杯分の人間くらいしか救われない。そうなると、そのスプーンが救い上げるものは一体どうやって決まるのか気になって来るが、そんなことを僕が知ったところでどうしようもない。



 そもそも、そこまでして生き残りたいとは思っていない。高校生風情が何を言っているのかと思われるのかもしれないが、事実僕はそれほど生に執着がなかった。むしろ、どうして世界が生き延びることを五十年前に決めたのか不思議で仕方がない。地球と一緒に滅ぶ。そういう道もまたあっただろう。僕ならばその道を選ぶ。



『Gパーツを指定の位置に設置してください』



 AIの音声で我に返る。顔全体を覆う黒いヘルメット。

 僕の見ている景色、現実が拡張されている。今僕が見ている場所、そこには指定された部品をどのようにどの場所に設置するのかを説明するグラフィックが表示された。

 僕はその指示通りに、言われたものを言われた通りに設置する。作業が静かであるのは、このヘルメットを被っている所為もあるだろう。

 このヘルメットを被っている間、僕はただ宇宙船を作るロボットでしかない。いま作っている、組み立てている物が一体何なのか僕にはわからない。言われたことを言われた通りにする。これをロボットと言わずして何と言うのだろう。おまけに、少しでもさぼろうとするのなら、AIが勝手にそれを検知し、酷く耳障りな警報を頭の中に響かせる。一度峯の所為でそれを経験したことがあるのだが、あんなものは二度と御免だ。

 五十五分、脳を殺して作業をした後、十分間の休憩が与えられる。

 AIが『休憩時間です』と抑揚のない声で休憩時間の訪れを知らせた。

 黒いヘルメットを脱ぐと、いつの間にかすぐ近くにまで峯がやってきていた。



「お疲れさん」

「まだ作業は残っているよ」



 僕達は近くにあるベンチに移動し、そこに座り込む。周囲に目を向けてみると、皆も僕と峯の様につるんでいる奴らと一緒になって座り、つかの間の休息を過ごしていた。

 改めて思うけど、やはりこの作業場の規模はかなりのものだ。現代において、世界中でもっとも盛んな分野が宇宙開発の分野。宇宙開発の最終目的が宇宙船の建造。宇宙船は、いわばこれまで積み重ねて来た人類史における一つの終着地とも言える。そう考えれば、この作業場の並外れた規模も分からなくはない。

 殺菌室のように、あらゆるものの侵入を拒むような作業場。白を基調とした外壁に、整頓された無数の道具。僕等高校生が組み上げている部品が複数ある鉄のテーブルの上に置かれている。時間からしてみれば完全に陽は落ちてしまっているのに、ここは昼間の様に明るい。天井はどこまでも高く、一面ガラス張りになっている。だが、部屋の明るさの所為で見えるはずの星も見ることが出来ない。



「秋村、そういえば、今日はお偉いさんが視察に来るらしいぞ」

「お偉いさん?」

「白谷だ。白谷源一。どういう訳か今日ここに来るらしいぜ」



 白谷源一。十年ほど前までこの宇宙船開発を担っている企業のトップであった人物の名前だ。今、社長はその息子である白谷相馬に変わっていて、源一と相馬とではその開発の方針に差があるらしく、時々ニュースでその話題が取り上げられているのを見たことがある。日本における宇宙船開発を実際に進めている企業の元トップなのだし、その名前を知らない人間などこの国にはいないだろう。

 これまでにそういった、言うところ偉い人がここに来たことなどなかったため、珍しいことだと言えばそうなる。しかし、かといってそれは何ら不思議ない話だろう。ただ気になるのは峯がその情報をどこから手に入れて来たのかということだ。とはいえ、大方予想はつく。



「その情報、誰から聞いたんだ?」

「鈴木先生」



 やはり鈴木先生だった。峯の怪しい情報源は大体鈴木先生だ。ただ、今日この場に白谷源一がやって来るという情報を鈴木先生が持っていてもやはり不思議ではない。鈴木先生は一応僕達の通っている高校の教師だ。おそらく、教師全員にはこの情報が伝わっているのだと思う。それは担当者も同じだろう。今日、担当者がいつもよりも苛立ちの色を見せていたのはもしかしたらこの所為だったのかもしれない。



「でもそんなものは僕達に関係ないね」



 誰か偉い人がここに来ようが、僕のやることは変わらない。指示通り、宇宙船の部品を組み立てることだけだ。それに視察に来るとは言えこの作業場は巨大施設だ。僕達が作業している場所に来るとは必ずしも断言できないだろう。



「そりゃあそうだ。俺達には関係ない」



 時刻は十八時を回る。休憩時間も残りわずか。鞄から水筒を取り出し、温くなった麦茶を流し込む。鉄に似た臭いが鼻を抜けていく。

 隣で座っている峯に目を向けると、峯はガラス張りの天井を見上げていた。そうしてポツリと「一体宇宙船はあとどれ位で完成するんだろうな」と呟いた。

 話によると、この宇宙船を作り始めてもう十年以上は経過しているらしい。長いなと、そう思う。それまでの間、どれほどの高校生がこうして僕達のように放課後宇宙船造りに汗を流してきたのだろうか。



「さて、そろそろ俺は作業場に戻るな」

「うん」

「そんじゃあ、後半も頑張ろうぜ」



 峯はそう言い残し、腕を目いっぱい伸ばしながら作業場へと戻っていく。

そんな峯の後ろ姿を見送る。僕もあまり悠長にしてはいられない。休憩時間が終わったのならすぐに作業に戻らなくてはならない。あの例の黒いヘルメットはその辺りのことも管理しているらしく、少しでもさぼっていたのなら担当者がすぐにそれを把握し、後日厳重な注意を受ける羽目になるという話だ。



「ふ~」



 思わず息を吐く。

 水筒を鞄に仕舞い、作業場に戻ろうと立ち上がった所、正面に随分と重々しい雰囲気を放ちながら迫って来る人の塊が見えた。全員が光沢の良い高そうなスーツで身を包んでいる。塊は先頭にいる人物を中心にして扇形に広がっていた。

 僕はその中心にいる人物のことを知っている。いや、きっと僕だけでなく、この場にいる全員が知っているだろう。

 どうやら峯の話は本当だったらしい。テレビの画面越しで見るよりも威圧的な空気を身に纏っている。

 白谷源一だ。不運なことにどうやらこの辺りを視察に来たようだ。白い髪をオールバックにし、鼻の下にわずかな髭を生やしている。七十歳は超えていると聞いているけれど、年齢を感じさせない顔と体格だ。

 目前に迫る塊の横を通り抜けて作業場に戻るのは少し気が引ける。だけれど、もうじき休憩時間が終わってしまう。休憩は十八時五分まで。その時間までにあのヘルメットを被らなければ、後日担当者に呼び出されて無意味で嫌な説教を聞かなくてはならなくなる。



 結局、迫り来る塊とすれ違って作業場に戻ることに決めた。



 別に白谷源一が何だという訳ではないのだが、どうしてか身を屈めてしまう。自然と早足になる。

 すれ違う瞬間、何となく顔は向けずに目だけを白谷源一の方に向けた。だが、そうしてしまったことを後悔する。偶然白谷源一と目が合ってしまった。そして、どういう訳か白谷源一は立ち止まり、その細く鋭利な目で僕のことを観察するかのように見てきた。

 何も言えない。黙って俯き、その場に立っていることしか出来ない。



 周囲にいる高校生の視線だとか、真横にいる多数の大人たちの視線が刺さっているのがよく分かる。正直言って最悪だ。早くどこかに行ってくれ。

 ヒソヒソと話し声が聞こえて来る。それと同時に、担当者が駆け寄って来るのが分かった。

 担当者は僕と白谷源一の間に割り込んできて、「す、すいませんでした!」と勢いよく頭を下げる。そうして僕の方に振り返り、「お前! 何したんだ!」と怒鳴り散らす。

 僕の方こそ教えてほしい。一体僕が何をしたのだと言う。ただ目が合っただけだ。それだけでこんな目に遭わなければいけないのか。

 担当者は僕の答えを待っているらしく、無駄に近寄って威圧的に見下ろしてくる。



「どうした! 何か言わんか!」



 担当者はそう言って拳を振り上げる。直後、背中と頬に熱い痛みを感じ、僕は壁を背に座り込んでいた。どうやら殴られたらしい。以前にも他の生徒が担当者に殴られている場面を見たことがあったが、まさか自分が当事者になるとは夢にも思わなかった。

 殴られた箇所が悪かったのか、すぐに立ち上がることが出来ない。

 担当者はさらに僕のことを責め立てようと迫り来る。だが、それを白谷源一が止め、代わりに彼が僕の元に近づいてきた。

 白谷源一は床に落ちた眼鏡型のウェアラブル端末を拾い、どこからか機械を取り出して僕の端末に繋げた。



「壊れてはいないようだ」



 そう言って白谷源一は僕の端末を渡してくる。それを受け取り身に付ける。彼の言う通り、端末は変わらずに機能しているようだ。



「君、名前は何という」

「秋村有紀、です」

「そうか。悪かったな」



 白谷源一は立ち上がり、何事もなかったかのように人の塊を連れてこの場を去った。僕と担当者は取り残される。

 完全に白谷源一の姿が見えなくなると、担当者は我に返ったかのように「ほら! さっさと作業に戻れ!」と周囲の高校生に怒鳴った。



「秋村! ちょっと来い!」



 思わず出てしまいそうになるため息を呑み込む。今日は厄日だ。

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