第一章
1-1
金曜日、その六限目。週最後の授業を飾ったのは歴史の授業だった。
高校の授業は一コマ六十五分。入学して間もない頃は苦痛に感じて仕方がなかったけれど、あれから一年以上も経過した今となっては流石に慣れた。
しかしながら、慣れてしまうと退屈に感じるようになるのが道理のようで、まだ六限目が始まって十分も経っていないのだが、クラスメイトの数名は机に伏して寝てしまっている。それも無理はないと思う。ただでさえ金曜日の六限目、加えて歴史の授業を担当しているのが鈴木先生、という年配の男性教師なのだ。疲れがピークに達している僕達にしてみれば、鈴木先生の柔らかい話し方はただの子守歌にしか聞こえない。さらに、鈴木先生は授業中に何か生徒に問いを投げかけるなどといったことはしてこない。一方的に世界の歴史を語るだけなのだ。であるから、むしろ寝るなと言う方が難しいし、熱心に彼の授業を受けるクラスメイトの方が珍しい。そんなクラスメイトなど、この教室内では一人くらいしかいないだろう。
その一人が僕の隣の席に座っている峯だった。
僕は頬杖をつきつつ峯に横目を使う。峯は熱心に鈴木先生の話を聞き、ノートにその内容を書き留めている。
そんな峯は僕の視線に気が付くと、「話聞けよ」という具合に人差し指で前を指すのだった。そんな彼の姿に、思わずため息がこぼれてしまう。
峯とは高校一年生からの付き合いなのだが、正直に言って彼はだいぶ変わっている。この歴史の授業に限ってなら、彼は理想的な生徒と言えるのだろうが、しかしそれ以外は全くダメなのだ。歴史を除いた授業は基本的に寝ている。成績もあまり良くない。性格だって、よく言えば情熱的と言えるのかもしれないが、僕にしてみれば単に厚かましいだけだ。
彼は歴史に対し並々ならぬ興味を持っているらしく、暇さえあれば僕に歴史の話をしてくる。正直、どうして僕は彼とつるんでいるのか分からない。単に入学当初偶然にも席が隣であったから、いつの間にか彼が付き纏う様になっていて、それが今なお続いているに過ぎなかった。
「…………」
視線を峯から机の上にある教科書へ向ける。ちょうど開いていたページの『世界の終末』という太字が目に留まる。それは教科書の最初の項目。『世界の終末』という項目のある書物と言うと、教典か何かのように思えてしまうが、しかしこれはれっきとした歴史の教科書だ。
『世界の終末』と呼ばれる出来事については、かれこれ小学生、中学生、そして高校一年生の時と、うんざりするくらいに教えられている。だからどれほど頭が悪かろうとこの出来事については誰もが知っていた。加え僕の場合は隣にいる峯からより深い話を何度も聞いている。
世界、あるいはこの地球は一度滅びかけている。
ある日、唐突に、世界規模で地殻変動が起き、世界はその姿を大きく変え、今の姿になったのだという。それは今から五十年ほど前の出来事らしい。だが、僕には到底それを信じることが出来ない。こうして僕は生きているのだし、世界はまだ終わってなどいない。
今この教室で繰り広げられている光景がそれを証拠づけている。ゆったりと時間が漂い、間抜けなほど穏やかだ。
だけれど、『世界の終末』は実際に起こった出来事だと訴えかけてくる、どうしたって目を逸らすことの出来ないものがあった。
教科書から窓の外に目を向ける。夕暮れに染まる街。ビルが栄え、電車が入り乱れ、忙しなさそうに街が動いている。
その街の中心。そこにはどこからでも見て取れる巨大な宇宙船があった。
地球は近いうちに終わる。それが世界の常識で、僕等の未来。馬鹿らしいのは、その近いうちというのが、一体あと何年後なのか分かっていないという点だろう。世界が終わる、地球が終わると言い始めて五十年も経っている。もしかしたら世界が終わるのは明日かもしれないし、今この瞬間かもしれない。
宇宙船は『希望の船』、『世界平和の象徴』などと呼ばれている。『希望の船』というのはまだ理解できるが、しかし『世界平和の象徴』などと呼ばれる理由が僕には分からなかった。
小学校、中学校、そして高校の歴史の教科書にはもれなく「宇宙船は別名『希望の船』『世界平和の象徴』と呼ばれている」と書かれている。だが不思議なことに、どうしてそう呼ばれるのかという理由については説明されていなかったのだ。その不思議さも相まって、宇宙船が『世界平和の象徴』と呼ばれる所以が、僕にとって長年の疑問だった。
だがその疑問は、隣に居る峯のおかげで解決された。いつだったか、その所以を聞いてもいないのに勝手に説明してくれたのだ。
峯の話は大抵どうでもいいようなことばかりで、大体はすぐ忘れてしまうのだが、しかしその話だけはよく覚えている。彼がこれまで僕に語り聞かせて来た話の中で、それは最も面白く、最も可笑しい話だった。
高校一年生、昼休みの何気ない時間。あの時峯は「あの宇宙船が、『世界平和の象徴』って呼ばれている理由、知ってるか?」と、そう切り出した。もちろん僕が知っているわけなかった。
いつもなら適当に受け流す所であったが、峯の言う『世界平和の象徴』という言葉に僕は不本意ながら反応してしまった。その時見せた峯の得意げな顔は、この上ないほど気色が悪かった。
峯はニンマリと口角を上げ、「世界的に宇宙開発が始まる前は、国同士の争いが絶えなかったからさ」と言った。
それくらいは僕も知っていた。争いの理由など様々だったが、特に僕が印象深く覚えているのは、領土や領海の奪い合いによる争いだ。人間は自分勝手に地球を線引きし、陸地や海を奪い合って来た。時には地球を傷つけ、沢山の人間が沢山の人間を殺し、奪い合った。だけれど、その線引きは『世界の終末』によって崩壊したのだ。なんとも間抜けな話だと僕は思っている。
峯は「話は単純さ。逆を言えば、宇宙開発を行うようになって国は争わなくなった。宇宙開発のシンボルといえばあの宇宙船。だから、宇宙船は『世界平和の象徴』なのさ」と、自慢げに語った。
峯のその言葉に、言われてみれば確かにそうだなと、僕は思った。今にしてみれば、どうしてそんな単純なことに気が付かなかったのか不思議で仕方がない。何より、そのことに気付かせたのがあの峯だというのが気に食わなかった。
でも次に、どうして人間は宇宙開発を行うことで争いをやめたのかと疑問に思った。その答えは思いの外すぐに見つかる。
僕の思い浮かんだその理由は、どこまでも人間らしい愚かなものだった。
利害の一致。それに尽きるのだと思う。『世界の終末』が起こり、当時世界人口の約半分ほどの人間が死んだ。そうしてまた同じことが近いうちに起こる。それも、もっと盛大に世界は壊れると言われたのだ。そうなれば、領土がなんだ、領海がなんだという話ではなくなるし、人間同士で馬鹿らしい争いをしている余裕も無くなるだろう。
かつて、どこかの大統領が「人間の英知を結集させ、我々は宇宙を目指す。ここで人類の歴史を途絶えさせるわけにはいかない」と言ったらしい。体の良い言い方だ。それはつまり地球を捨てるということだろう。
このまま地球にいれば確実に人は滅ぶ。だから地球を捨てる。歴史によれば、人間は地球の資源を採り、奪い合い、発展と言う名の行いによって環境を壊してきたのだと言う。地球をいいように弄び、都合が悪くなったから捨てる。つまりはそういうことで、それが今の世界の総意なのだろう。世界は地球を捨て生き延びるという共通項を得て手を取り合った。
その具体的な手段が宇宙船だ。希望という名の地球を捨てるための船、世界平和と言う名の醜い欲望の象徴。
そんな宇宙船を作り出しているのが僕達高校生だというのも、本当に笑えてくる。あんなものは『希望の船』でもなければ『世界平和の象徴』でもない。あれは巨大な欲の塊だ。
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