第十六章その3 荒涼たる蝦夷

 蝦夷を目指して日本海を北上する最中、俺たちはいくつかの港で休憩と商品の仕入れを行っていた。だが蝦夷に関しては情報が少なく、何が必要とされ商売につながるか今ひとつ予想できなかった。


 現代では北海道と言えば酪農に夕張メロンにジンギスカンにと様々な名産品で有名だが、それらの多くはこの時代にはまだ日本に到来していない。


 聞けば現地では農耕はほとんどされていないらしい。栄養分の乏しいわずかな表土にはここぞとばかりに針葉樹が根を張り巡らせ、土地の開墾は困難を極める。たとえ作物を育てたとしても、冬には連日氷点下という気候の前では努力に見合うだけの収穫は得られない。


 現在の北海道が農業王国として揺ぎ無い地位を築いているのは、明治以降の開拓民たちの血の滲む努力の賜物なのだ。


「ねえねえ、これなんか売れそうじゃない?」


 立ち寄った新潟の港の市場、その露店で珍しい物を見つけ、俺は手代に見せびらかした。


 新田開発によって大量の米を生産し、さらに北前船の拠点として日本海側最大の港として発展していたここは大坂と同様、全国各地の商品が集まっていた。


「ジャガイモですか? 食べられるのですか、それ?」


 手代は俺の手に握られたジャガイモを訝しげに見つめる。


 1600年頃、南蛮貿易により日本に持ち込まれたジャガイモは当初、食用としてでなく観賞用として認知されていた。ジャガイモの芽が毒を持つことは現代では常識だが、この時代はなぜジャガイモで中毒症状が起こるのか、その原因が一般に知られていなかったためだ。


 ちなみに逆に本当に毒を持っているのにおとなしすぎる性格のせいで近年まで有毒であると認識されていなかったヤマカガシというヘビもいるが、それについてはここで語る必要は無いだろう。


「うん、これって焼いたらホクホクして美味しいんだよ」


 溶けかけのバターと合わさったあの味を思い出すと、涎が溢れてきそうだ。


 だが手代はじっと疑いの目を俺に向け続けていら。味もたんぱくで調味料のバリエーションも乏しい民衆には、美味しく食べる方法が無かったのも一因だという。


「本当だって! せっかくだし蝦夷でも栽培して食べよう。おじさん、これちょうだい」


 俺は店主からじゃがいもを30両、およそ1キログラム分だけ購入した。米も育たないという蝦夷だが、じゃがいもなら何とかなるだろう。


 植え方やうねの作り方については大学の初等生活科教育の授業で実際にジャガイモやトマト、トウモロコシを栽培したのでだいたい覚えているぞ。




 各地で工芸品や米などを購入しながら海を渡り、俺たちはようやく蝦夷の松前藩に到着した。


 北海道の最南端、渡島半島の先端部に置かれた松前藩は小振りながらも蝦夷地という特権を認められた藩だ。対岸には本州の津軽半島を望み、北海道でも最も温暖な気候であるため和人(本州の人々)の定住も早期から実現できたという。


 船を寄せた俺たちはすぐに港近くの役人を訪ね、蝦夷における商売の許可状をもらうことができた。


 松前藩の治世は、他の藩とはその手法が大きく異なっていた。一般的に藩は農民から米を租税として集め、藩士たちの給与として支払っている。しかし寒冷ゆえに米の獲れない蝦夷において、藩士は土地や漁場を与えられ、そこで漁業やアイヌとの交易を行い収入を得ていた。


 以前までは取り扱える品の量や時期など様々な制約が設けられていたが近年では徐々に緩和が進み、中には商売に関しては商人に一任する藩士も現れた。俺たち本州の商人が蝦夷まで進出できるようになったのも、そういった事情があったからだ。


「俺たちに割り当てられたのは……厚岸あっけし?」


 宿に泊まった俺たちは、囲炉裏の傍で身を寄せ合ってもらったばかりの許可状を眺めていた。


 北海道は先住民であるアイヌの言葉をそのまま漢字に当てはめた地名が多く、日本語としてはいささか変わった響きのに感じる。


「ええと……蝦夷のだいぶ東部ですね」


 棟弥さんが広げた地図を指差す。現在の釧路くしろにほど近い太平洋に面した地域だ。


「やっぱり出遅れたからかなぁ、もっと松前の近くなら良かったのに」


 俺は口を尖らせ、不満を垂れる。


 この当時は蝦夷地の東部はまだ未開発の地域も多く特に内陸は和人にとって未知の領域だった。当然ながらその地域に定住するアイヌの人々も数多くいたが、その人数さえも正しくは把握し切れなかったという。


「ですがまあ、それだけ人の手が入っていない分、商機はあるということですよ。聞いた話では森が多く漁港もあるそうです。材木や海産物を得られれば高く売れますよ」


 屈託なく笑う棟弥さん。思うところはあるだろうに決して顔には表さない彼の強さに、俺も「そうですね」と答えて頬を緩めた。


 運が悪いとくよくよしても状況が好転するわけではない。何事も前向きに、だ。


 翌日、松前の港を発った俺たちはさらに海を東へと進んだ。そして2日ほどかけて到着した厚岸の港は厚岸湾の奥に設けられ、想像以上に多くの家屋や人で賑わっていた。


 灰色がかった海とは対照的に、陸の上には緑や赤など色彩豊かな植物と針葉樹林が茂っている。紀州とも九州とも異なる、北の海ならではの自然の様相だった。


「船をこっちに寄せてくれ!」


 厚岸の港に接岸しようとしたとき、桟橋で手を振って叫ぶ男を見て、俺たちは思わず「あっ」と叫んだ。


 骨太な体格に髭を長く伸ばし、髷も結わずに伸ばした髪はちりぢりとパーマがかかったよう。そして衣服に描かれた独特の幾何学模様。


 見るからにアイヌの男という出で立ち。その物珍しさに俺や手代たちは興奮して、男が綱で船をつなぎとめる姿を眺めていた。


 そんなこんなで陸に上がった俺たちだが、町の様子を見てさらに驚き足を止める。


 本州から来た商人に松前藩の家紋を背負った武士、そして伝統的な模様の衣服を着込み顔に入れ墨を刻んだアイヌ。さまざまな人々が行き来し、声を交わし、笑い合っている。北の彼方の片隅に、不思議な居心地の良さを感じる集落が形成されていた。


「まるで異国ですね。蝦夷に来たという実感がようやく湧きましたよ」


 棟弥さんが感激してぽつりと漏らす。


 だが直後、船から降りるなり茫然としている俺たち一行を怪しんだのだろう、港近くの小屋から人影がもぞもぞと這い出てきたのだった。


「おや、見ない顔だな」


 やさぐれたような顔つきの若い武士だ。脇に差した刀には松前藩の文様が描かれているので、この地を管理する藩士だろう。


「はい、近江から来ました日牟禮会です」


 俺がぺこりと挨拶する。若い武士はぽりぽりと頭を掻いて「あー」とだるそうに俺たちの顔を眺めていた。


「ああ、そういやそろそろ来る頃だと思っていたよ。何も無い所だけど、まあ頑張ってくれや」


 武士はそうとだけ言うとのそのそと小屋に戻っていった。あまり仕事熱心ではないようだ。


 だがそのやりとりを見ていた別の人物は俺たちに興味を持ったようで、手を振りながらこちらに近付いてきたのだった。


「すみません、もしかしてあなたたちが近江の方々ですか?」


 高価な着物を着込んだ初老の男だった。アイヌの男数名を従え、米や乾物で満載した荷車を引かせているので、本土の商人だろう。


 俺たちが挨拶をすると、男は「やはり!」と言いながらぱあっと顔を明るくした。


「ようこそ厚岸へ、ここは昆布と鮭の名産地ですよ。申し遅れました、私は大門おおかど屋と申します」


 聞いて俺と棟弥さんは顔を見合わせた。互いに心底驚いた顔をしている。


「大門屋といえば、あの日本各地に支店を置いている、あの?」


 棟弥さんが訊き返すと、店主は「はい」と頷いた。


 大門屋は伊勢をルーツに持つが海運事業に成功し全国各地に支店を持つ大商家だ。今の本店は江戸に置かれている。


「あなたたちが来られることは以前よりお聞きしていました。水牧様は……あ、先ほどのお武家様ですね。あの方はここには何も無いと話しておられましたが、この蝦夷は豊かな海と獣の棲む森に囲まれた土地で、珍しい品に溢れています。同業者としてもがっぽり稼げるのを願っていますよ」


「ええ、こちらこそ」


 俺たちは頭を下げ返した。どうやらこの人がこの厚岸の実質的な商売の元締めのようだ。今の内に良好な関係を築いておけば、困った時にも頼りになるだろう。


「そういえばこれから私たちは市場に向かうのですが、よろしければ道案内も兼ねてご一緒しませんか? ここでは本土とはまた違った商売の方法がありますので」


「ありがとうございます」


 本土とは違う方法って、何だろうな?


 疑問に思いながらも俺たちは世間話をしながら市場へと向かった。


 港からほど近い市場にはにはアイヌたちの露店やテントが集い、多くの店が開かれていた。魚の干物や動物の毛皮、それに鷲わしの羽根など本土では見られない多くの珍品が並べられ、俺たちは皆目を奪われていた。


 そんなアイヌと和人で交錯する市場歩いていると、突如小屋の中から屈強なアイヌの若者たちが飛び出す。そして大門屋の主人の前に立つと、深く頭を下げたのだった。


「大門屋様、お久しぶりです!」


 声を揃えて大門屋を迎えるアイヌたちに目を向けることも無く、大門屋の主人は小屋の中に目を移した。


「頼んだ品はできておるかの?」


「もちろんです!」


 男たちはすぐさま小屋に戻り、中から縄で縛った大量の魚の干物を運び出した。


 いわゆる鮭とば、鮭の半身を海水で洗い、カラカラに乾燥させたものだ。このままでも食べられるが炙ったりご飯に混ぜても美味しい昔ながらの保存食だ。


 大門屋の主人はその一本を手に取るとじっと眺めて品定めする。そして納得がいったのか、ふむふむと頷くとようやくアイヌの若者たちに向かい合った。


「ふむ、それでは米5俵持ってきた。約束通り、鮭とば500本いただこうか」


「ご、500!?」


 新参者の俺たちは皆言葉を失った。


 米一表は確かに高価だ。だがいくら米でも割に合わない。とんでもない暴利だ。


 たとえば信州や高山など日本アルプスの内陸部の地域では、富山湾で獲れたぶりが正月のご馳走として運ばれてくる。交換の相場は米一俵に鰤一本で、腕の良い漁師は莫大な富を築くことができる。


 それに引き換えこちらは米一俵で鮭とば100本。魚の種類が違うとはいえ、あまりにも価値が小さすぎる。


 驚く俺たちを見て大門屋の主人は首を傾げた。


「ここでは米は育ちません。米を育てる代わりに他の商品で補うのは当然のことではありませんか」


 そしてさも当然のごとく言い放つ。


「いつもありがとうございます、旦那」


 アイヌの若者たちは何度も何度も平伏しながら、荷車に積まれた米五俵を急いで降ろし、そして鮭とばの束を積み上げた。


 最初よりもかさの大きくなった荷台を見て、大門屋の店主は不敵な笑みを浮かべる。


「さて、次は頼んでいた毛皮を取りに行くか。たしか漆器の椀ひとつと交換だったかな。ほっほっほ、いくら珍しいからと正しい値を知らぬばかりに、ぼろい商売だのう」


 そう言いながら道を行く大門屋の主人の背中を、俺たちは無言で見送った。あまりにも凄惨な搾取の現場を目にして、俺はショックで動けなかった。


「聞いたことはありましたが……まさかこれほどとは」


 棟弥さんがぼそっと呟く。どういうことかと尋ねると、棟弥さんは周りを気にかけながら小声で教えてくれた。


 蝦夷で大儲けできるというのは、アイヌを相手にした和人圧倒的有利の交易ができるためだった。


 かつてアイヌの人々は本土の人々とも自由貿易を行っていた。しかし江戸時代になって蝦夷の権利を松前藩が独占すると交易は藩を通したものに限られるようになった。本土の工芸品や嗜好品、米を得るためにはアイヌは松前藩に頼らなければならず、それを利用して藩はひどく不平等な相場で交易を行ったという。


「なんてこった……」


 蝦夷に来れば新しい商売ができる。それを信じて勇んでここに来たのに、その実態はアイヌを相手にした不平等な交易だったなんて。


 この時代は現代以上に民族差別はひどかっただろうに、何故それに気付かなかったのか。俺は今までの自分の考えが甘かったことをようやく反省した。

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