第十四章その3 店主の心、親心

「これが私たち白石屋が各地を歩き回って集めた品々です」


 荷車に載せた商品の数々を、俺と白石屋の手代たちは宿の前まで運んだ。


 ここに宿泊していた高砂屋の店主はその内の箱のひとつを開けると、中から現れた漆器を手に取りしげしげと眺め始める。


 うちの主力商品のひとつである日野椀だ。


 他にも元々白石屋で扱っていた藍染や京友禅、和紙やアケビ蔓細工など手元にあった商品を一通りサンプルとして用意した。中には光琳さんの描いてくれた掛け軸用の絵もある。


「ふむ、さすがは京に近いだけあって、緻密な仕事をしている物が多いな。だが、価値を決めるのは俺ではない、異国の商人たちだ」


 高砂屋の店主はゆっくりと箱を閉める。そして白石屋の手代2名に荷車を引かせ、去っていったのだった。


 残された俺と手代たちは店主の背中が見えなくなると同時にふうとため息を吐いた。


「サブさん、本当に大丈夫?」


 丁稚の吉松がじっとこちらに目を向ける。その視線が俺には妙に痛かった。


「たぶん、きっと、おそらく……」


 手代が尋ねるも、俺の返答はだんだんと小さくなっていく。


「本物の阿蘭陀オランダ人に見てもらうなんて、もう話が飛びすぎて。福岡に店を出すとは聞いていましたけれども、まさか長崎貿易に関わるなんて思いもしませんでしたよ」


 手代のひとりが半分呆れた様子で言い放った。


 聞けば高砂屋はこれから長崎まで品々を運び、知り合いの役人に頼んで出島に持ち込むらしい。


 そして実際に阿蘭陀オランダ人の目で見てもらって、貿易の代物替しろものがえに使えるかどうか判断してもらおうというのだ。


 だがいざ啖呵を切って白石屋自慢のラインナップを用意したものの、相手はヨーロッパ、特にこの17世紀には貿易で黄金時代を迎えていたというオランダ人だ。世界の珍品名品には日本人以上に詳しい。


 現代ではサッカーの強い風車の国、程度が一般的にオランダに抱かれるイメージであろうが、この時代のオランダは東インド会社によるアジアへの進出、商工業の発達、推し進められた干拓事業により、ヨーロッパを席巻していた。文化芸術の分野でも、微生物学を切り開いたレーウェンフックや青の色使いの特徴的な画家フェルメールなど、多くの著名人を輩出していた。


 つまりこの当時のオランダは世界で最も影響力を持った国のひとつだ。


「そこはまあ、成り行きというかね」


 まあ、ここまで来たのも彦根藩から反本丸について頼まれたという降って湧いたような話なのだから、明確な計画があったわけでもない。行き当たりばったりで福岡出店だけでなく長崎貿易参入の機会を得られたのだから、十分にラッキーだと思おう。


「考えても仕方ない、これからは福岡で商品になりそうな物を探そう。みんなも観光するなりお菓子食べるなり、好きなことしていたらいいよ。吉松はどうする?」


「俺は貝原先生の所に行くよ。宗仁さんも待っているし」


 そう言う吉松の目には強い光が宿っていた。





「昨日は俺たちも聞いていたのですが……もう何のことかさっぱりです」


 お邪魔した貝原先生の屋敷にて、手代たちは座敷で温かいお茶を飲みながら『ぼうろ』と呼ばれる焼き菓子を齧っていた。南蛮貿易時代にもたらされた西洋のお菓子が後に日本で独自に発展を遂げた姿だろう。


 俺も彼らと一緒になって甘いクッキーのような生地を堪能しながら隣の部屋の会話に聞き耳を立てる。


「先生、『気』が養生をもって高まることはわかります。ですが言葉や礼節にも左右されるとは、あまり実感がわきません」


「ほっほっほ、吉松君ももう少し大きくなれば身をもってわかるようになる。『気』はありとあらゆる物の根源、目に見えるだけがすべてではない」


「吉松君、『気』という文字の入る言葉をいくつか挙げてみてください。元気、気を付ける、気が散る……ここでいう『気』は、身体だけでなく心の持ちようも表しているのですよ」


 隣の部屋には吉松、貝原先生、そして宗仁さんの3人があれこれと話し合っている。その白熱具合はまるで大学のゼミで開かれる輪読会のようだった。


 内容から推察すれば朱子学の講義なのだろうが……うん、よくわからん。


 それを噛み砕いて説明できる貝原先生、そして年上の手代にも難解な教えを理解できている吉松。ハイスペックなふたりが相乗効果を起こして、講義のレベルは凄まじくインフレしていた。


「ずっとあんな様子で、俺たちと話すときと声も顔もまるで違うんですもの。本当、店のこともあるというのに、何がおもしろいのやら」


「いいや、吉松にとっては今の時間が一番面白いんだよ」


 俺は手代を諫めた。


 今の吉松はフロー状態、つまり時間の経過さえも忘れるほどの没頭状態にある。それは他のふたりも同じだ。


 このフロー状態は創造性や能力を高める上で最も効果的な状態であるとも言われている。一見すると俗説のようだが、これはチクセントミハイという心理学者が提唱した立派な学説であり、世界の先進的な教育プログラムでは積極的に取り入れられている。


「光琳さんが絵を描いている時が一番活き活きしているのも同じだ。他人にとってはまるで退屈に思えることが、その人には至上の喜びになる。でも残念ながら、その喜びを感じられないまま人生を終える人だってたくさんいる」


 フローに移行するには何かしらの活動に没頭することが条件となるが、その活動と人生の中で巡り合えるかどうかはわからない。たとえピアノ演奏の才能と興味を持って生まれても、音楽に関心の無い家庭で生まれ育てばそれに気付く機会は一生訪れまい。


「吉松は幸運にも出水宗仁さんと知り合えたことがきっかけで初めて学問の世界に踏み込むことができたし、貝原先生にも出会えた。だから俺は思うんだ、せっかく自分の内なる欲求を知ることができたのだから、この喜びをもっと知ってもらうためにも、吉松には店の手伝いをさせるだけじゃなくてもっと広い世界を見せるべきじゃないかって」


 俺はそう思った。この生まれによって職業も決まる江戸時代、せめて学問くらい精一杯享受できる機会を与えたいと思うのは店主として間違ってはいないだろうか?




 さて、高砂屋からの返答を待つ間にも、他に新たな商売を切り開くのが近江商人魂というもの。


 だがさすがは福岡、日本という国体の出来上がる以前から繁栄した港町なだけあって余所者が新たな商機を見出すには付け入る隙が無い。


 いかなる農産物も工芸品も、販路や仲間同士のネットワークが確立されていて俺が介入する余地が残されていないのだ。そもそもここは日本中のあらゆる物資が集まる貿易港なので、物に溢れこそすれ不足することはまず無い。


 思索を巡らせるも良いアイデアは浮かばない。ここ数日、港近くに空き店舗を見つけたので家主から支店として購入する約束をこぎつけた以外はこれといった進展も無く、櫛田神社や住吉神社など各地の有名な社寺に立ち寄ったり、高菜やからすみなど福岡の風味を大いに楽しんで過ごしていた。


 そもそも九州まで運んできた商品の多くを高砂屋に渡してしまったせいで、福岡藩内で売り込みをかけることができなくなってしまったというのも、まああるっちゃあるんだけど。


 その間も吉松はずっと貝原先生から講義を受けていた。さらに先生は知り合いの和算家(数学者)も呼び、より難解な内容まで教えているという。


 何事もスポンジのように吸収してしまう吉松は学者たちにとっても教え甲斐のある子なのだろう。次の日から毎日、和算家は自ら菓子を持参してまで先生の屋敷に通ったほどだった。


 今は仕事も特に無いので、俺は吉松を貝原先生の家に預けていた。こうして吉松は24時間、いつでも偉大なる先生とともに過ごせる。彼にとってこれ以上の喜びは、滅多に無いだろう。


 そんなある日の朝、福岡城からの書状がようやく届き、俺たちは正式に福岡城下での商売の許可を得たのだった。


「やったぁー、これで白石屋もさらに大きくなれるよ!」


「やりましたねサブさん!」


 宿の一室ではしゃぐ俺と手代たち。


 だが突如そこに宿の女将が現れ、来客を通したのだった。


「栄三郎殿、しばしよろしいですかな?」


 その客とは貝原益軒先生だった。傍らには吉松もいる。


 ただ二人とも神妙な面持ちで、何か言いたげであってもまごついているようだった。特に吉松の方は叱られる子供のように、随分としおれていた。


 事情を察知した宿の女将はちょうど空いていた別の部屋に案内する。


 そして誰も泊まっていない殺風景な座敷の中、俺は吉松、そして貝原先生と向かい合って座ったのだった。


「先生、どういったご用件でしょうか?」


 まさか吉松が何かやらかしたのか?


 俺は不安に思い焦っていた。貝原先生は名高い福岡藩の藩医だ、調子に乗った吉松がもし無礼を働いたのが知れ渡れば、白石屋の評判は地に落ちるかもしれない。


 だがあまりの予想外の事態に、俺は完全に固まってしまった。


 俺の目を見据えると貝原先生は畳に両手を突き、まっすぐに頭を下げてこう言ったのだった。


「栄三郎さん、率直にお願い申し上げます。吉松君を我が家の養子に迎え入れさせてください!」

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