第六章その3 山奥の工芸集団

 野沢温泉は信濃の北端、飯山藩いいやまはんの所有する湯治場だ。


 毛無山の麓の斜面に貼り付くように温泉宿や飯屋が建ち並び、坂の町としての風情も漂っている。


「はぁー、いいお湯……だけど、あっつー!」


 源泉かけ流しの露天風呂。天然の温泉に手を加えて見事な温泉天国に改良されたこの温泉場は、長期滞在だけでなく通りがかりの旅人にも開放されて大いににぎわっていた。


 泉質は硫黄泉だろうか、白いもやもやとした湯の花が岩から頭を出し、温泉特有の硫黄の香りが鼻を突く。


「ここの湯は肩凝り腰痛胃痛胸焼けなんでも効果があるよ」


 熱すぎて胸までしか浸かれない俺の隣で、田助さんが農作業で鍛えた逞しい身体をザブンと肩まで沈めていた。彼にはこの熱さも慣れっこのようだ。


「あらぁ、今日は空いているわ。遠慮なく思いっきり浸かっちゃいましょ」


「そうね、髪だって遠慮なく洗えるわね」


 木製の仕切りの向こうから若い女性たちの声が聞こえる。


 江戸時代だからと若干期待したが、残念ながら混浴ではなかった。


「わー、広い!」


 この世に何の迷いも残していないような湖春ちゃんの声も聞こえる。


 そんな女性陣の声に、風呂場の男たちは老いも若きも皆黙って耳を傾けていた。いつの時代も男の反応は大体同じのようだ。


「サブさん、俺は今男として究極の選択を迫られているような気がする」


 田助さんがぼそりと呟いた。だがその声には並々ならぬ気迫がこもっていた。


「と言いますと?」


「現世にいながらこの世の極楽を垣間見て死ぬのと、慎ましやかに生きて死後極楽に行くのと。どちらが人として正しい道でしょうか?」


 こちらを向いた田助さんの目には魂の炎が宿っていた。めらめらと燃え盛り熱くたぎる、不屈の意思が。


 俺はため息を吐くと、そっと彼の頭に手を置く。


 そしてそのまま熱い温泉の中にぐいっと沈めたのだった。


「覗きは良くないですよ」




「ふう、さっぱりした」


 風呂上がりに冷たいお茶は最高だ。温まった身体を冷やし直してくれる。


 さらに温泉で洗ったばかりの野沢菜もいただく。高温の源泉に浸した野菜は、気のせいか普通に茹でるよりも濃厚に感じられた。


「サブさん、しばらくここにいましょー」


 甘えるように言う湖春ちゃんに俺は苦笑いする。


「駄目だよ、明日には出るんだから」


「むうーん」


「湖春ちゃん、村でも美味い物食わせてやるから、是非楽しみについて来なって。今ならアケビも熟れて美味しい時期だぜ」


 田助さんも茶をぐびぐびと飲みながらカカカと笑っていた。


 そんな時、湖春ちゃんが自分の懐や袖など、身体中のあちこちをポンポンと触り始めた。


「……あれ?」


 きょろきょろと目を回しながら着物の上から触って確かめまくる。まるで財布でも落としたようだ。


「どうしたの?」


 尋ねると、湖春ちゃんは慌てて「ううん、なんでも!」と返した。




 野沢温泉からしばらく歩いた山間部に、田助さんの集落はあった。白川郷の合掌造りにも似た急勾配の茅葺き屋根の建ち並ぶ小さな村だ。


 山に囲まれたわずかな平地に田んぼを拓き、斜面もできる限り畑に利用する。


 まだ日差しのきつい季節だが、北からは肌寒い風も吹き始めていた。


「ここで米や蕎麦を育てているんだ。今は冬に備えて山で蔓を集めている」


 あぜ道の中俺たちの先頭を歩く田助さん。彼は収穫を控え作業に没頭する村人たちの後姿を見つけると、すうと深く息を吸って大声を上げた。


「おおいみんな、聞いてくれ!」


 山々をこだまする男の声に、村人たちは一斉に振り返った。


「この人は近江の商人で、俺たちのアケビ蔓細工に興味を持ってくださったんだよ! ちと村中見て回ってもいいか?」


 田助さんの言葉に、俺と湖春ちゃんは頭を下げる。


「近江から? そんな遠くからよくぞ来なすった、是非村を見て回ってくれ」


「何にもねえ村だけど、ゆっくりしていってくれや」


 村人たちはよそ者の俺たちを温かい言葉で迎え入れてくれた。


「よし、それじゃあ村を案内するよ。ついてきな」


 田助さんに率いられて、俺たちは再び歩き始めた。


 この村の近くにも温泉がわき出している。あまりに高温のため入ることはできないが、農民たちは野菜を茹でたり蒸したりと普段から使っているらしい。


 今も中年の男が植物の蔓を大量に持ってきて、束ねて温泉に浸していた。


「あれはアケビの蔓だ。ああすると皮がむきやすくなるんだ」


 田助さんが解説する。冬の訪れの早いこの村では、冬の支度をいかにこなしておくかが重要問題だ。食糧や仕事が確保できないと命に関わるとあって、村人は誰しも必死だった。


 田助さんの家に案内されると、俺たちは納屋に通された。


 そこには収穫されたばかりというアケビの蔓が束ねられ薪のようにうず高く積まれていた。冬の間はこれを少しずつ加工しながら商品を作るらしい。


「これがアケビの蔓を一年間乾かしたものだ。紐代わりにくくれば屋根の建材を支えるくらいに丈夫なんだぜ」


「屋根をですか? じゃあこの茅葺き屋根も」


「ああ、この蔓で木材を組んで支えているんだ。しっかりくくって囲炉裏の火でいぶし続ければ数十年持ってくれる」


 俺たちは渡されたアケビの実を食べながら田助さんの話を聞いていた。


 じゅるっとした果肉の中にぷちぷちと小さな種が隠れている。味としてはほんのり甘いバナナに近い。


 砂糖も滅多に手に入らない山奥の農村では貴重な甘味だ。


「作った品物は無いのですか?」


 アケビを食べ終えた俺が尋ねると、田助さんは納屋の奥の小部屋に通じる引き戸に手をかけた。


「もちろんあるとも。ほら、見てみな」


 そして勢いよく戸を開く。


 その中の様子を一目見た瞬間、俺は「うわあ!」と歓声を上げた。


 籠、葛籠、鍋敷き、さらには毬まで、ありとあらゆる日用品が蔓で編まれ、保管されている。しかもそれらはすべて一切のほころびが無く、様々な太さの蔓をうまく組み合わせて幾何学模様のように美しい肌面を形作っていた。


 民俗学系の博物館のお好きな方なら垂涎ものだろう。


 籠や葛籠などしかないと思っていた俺の予想をはるかに上回るラインナップに、最早金属以外なら作れないものは無いのではないかと思ってしまった。


 つい小部屋に入って品々を見て回る俺の隣で、田助さんは小さな籠のひとつを手に取った。多少衝撃を受けてもどうってことない丈夫な品だが、まるで赤子を扱うようにそっと丁寧な手つきで。


「俺はずっとこんな物は日本中どこでも手に入るありふれた物だと思っていたよ。でもあんたたちと出会って、俺たちの蔓細工が良い物なんだって初めて知った。俺はこの貧しい村がより豊かになることを望んでいる。だから頼む、俺たちの技を広く伝えてくれ!」


 田助さんは頭を下げた。


 俺は「頭を上げてください、むしろ下げるのは私たちの方ですよ」とフォローする。


 もう俺の中で結論は出ていた。


「よく分かりました、この蔓細工は野沢の風土だからこそできるているんだって。それは他のどの場所でもできない、この村ならではの逸品です。この籠細工、白石屋が買い取ります!」


「サブさん、ありがとう!」


 田助さんは今にも泣き出しそうな顔で何度も頭を下げた。


「それじゃあ早速小さめの籠や葛籠を持って帰りましょう。大きな籠にできるだけ小さなものを詰めて。それから原料の乾燥させた蔓も。職人に売れば高く買ってくれるかもしれないですし」


 そんなこんなを話していた時だった。


「大変だ! 役人が来たぞ!」


 村人の男が大声で走り回る。


 田助さんの顔がさっと青ざめ、話の途中にもかかわらず納屋を飛び出した。俺たちもそれに続く。


 広場に集まった村人たちは、刀や槍で武装した役人たちに囲まれる。


 農民たちは皆血の気が引いたようで、ひどく怯えていた。俺自身もかつてない緊迫した空気に、ガタガタと震えていた。


 そんな役人の中でもでっぷりと肥えた男が声を上げた。


「この村に若い娘が一人、立ち寄っているはずだ、出てこい!」


 村人の視線が集中する。そう、それに該当するのは湖春ちゃんしかいなかった。


 え、私? とでも言いたげに自分を指差しながらも、湖春ちゃんは恐る恐る手を挙げて「はい」と正直に答えたのだった。


 役人がにやりと笑う。そして懐から何かを取り出し、見せつけた。


「お前、これに見覚えは無いか?」


「あ、それは!」


 思わず湖春ちゃんが口を開き、慌てて自分の口を押えた。


 そう、初めて俺がこの時代にやって来た日に渡したあのシルバーアクセサリーだった。


 明らかにこの時代では見かけない代物、誤解されるから人前で見せてはいけないと言って渡したあれだ。すっかり存在すら忘れていたが、まさか彼女はずっと肌身離さず持っていたのか?


 温泉で何かを失くしたような素振りをしていたが、よりによってこれだったとは!


「やはり情報は正しかったか。野沢温泉で着替えの最中に見ていたという女が届け出てくれたのが助かったわ。この娘は切支丹キリシタンだ、連れて行く!」


 ざっと男たちが近寄ると湖春ちゃんの手を乱暴につかむ。


「そんな、ちょっと待ってよ!」


 湖春ちゃんは抵抗するが、男に力で敵うはずが無い。ひきずるように連行される。


「違います、誤解ですよ!」


 俺も役人につかみかかろうとするが、一人が刀を抜いて刃を光らせると俺は言葉を上げることもできず、その場に固まってしまった。


 村人たちは男も女も老いも若きも、皆黙り込んで下を向いたままだった。下手に加勢して反対すれば自分も仲間だと思われてしまう。彼らの行動は至極当然だった。


 だがその時だった。黙り込んだ田助がその声を張り上げたのだ。


「お侍さん、その娘は切支丹じゃねえよ!」

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