第二章その5 川辺屋の若頭
急いで川辺屋まで来ると、荷物を満載にした手押し車が店の前に置かれ、店の中へとその荷物を白石屋の人々が運び込んでいた。
「店主さん!」
「おお、栄三郎さん。用事は終わったのかい?」
俺は「はい」と答えながら立ち止まる。
荷車に積まれているのは木箱ばかり。いずれも白石屋の所有していた高価な品々が収められている。
強い喪失感に襲われながらも、俺も木箱のひとつを運び込む。
中では木箱の中から陶器や掛け軸を広げ、何人もの店の男たちが一点一点じっくりと目を凝らして品定めをしていた。
座敷に板張りにと所狭しと積まれた木箱に座り込む男たち。言いようの無い緊迫感が店の中に漂っていた。
「今ちょうど値段を決めてもらっているんだ」
わざと明るく、湖春ちゃんの父親は教えてくれるがその目は相変わらず灰色がかかっていた。
「お
丁度品定めを終えた若い男が手を挙げた。まだ子供のようにあどけない顔つき、年齢で言えば中高生だろう。
そこに「今行く」と男の声がかかり、少し離れた場所で皆と同じように査定を進めていた一人の男が立ち上がった。
お頭……川辺屋の店主か! 俺は荷物の山を調べる人物を睨みつける。
だが並べられた品々を踏まないようつま先立ちで歩いて行ったのはあの肥満体の親父ではなく、俺と同年代くらいのすらりと背の高い若い男だった。
爽やかな印象で、現代ならイケメンと呼ばれている顔立ちだ。こんなのが大学にいればさぞかし女の子にモテモテだったろうに。
「うん、なかなか良い値を付けた。でもここをよく見てごらん、小さいけどヒビが入ってる。使っている内は気付かないけれど、ある日突然パキッて割れちゃうよ。値を下げて6匁にしよう」
かなり細かいところまで目を配る性格のようだ。
そんな若頭は元の場所に座り直すと、手に取った掛け軸を広げて苦虫を潰したような顔をこちらに向けた。
「白石屋さん、よろしいのですか? これって床の間に飾っていたお気に入りの掛け軸じゃないですか」
「いいんだ、川辺屋には本当申し訳が立たない」
白石屋の店主は首をゆっくり横に振りながら答えた。
若頭は「それでは」とあまり乗り気でない様子を見せながらもじっと掛け軸に見入る。
その若頭をじっと見ている俺に気付いて、瓦版売りの惣介が顔を近づけてひそひそと話し始めた。
「あの人は川辺屋の跡取り息子の
そう言えば彼のことは比売神様も話していたなと、その会話を思い出す。
確かハンサムで良識もあって云々とかなんとか。女神様が言うのだから今日出会った親父と違って悪人ではないのだろう。
「店主はどこに?」
「出かけているらしいぜ。得意先との付き合いだそうだ」
惣介が親指と人差し指を丸めてくいっとお猪口を飲む真似をする。
そう俺たちが小声で話を続けている間も、若頭の棟弥さんは次々と品定めを終えていた。
そしてついにある箱の蓋をそっと外すと、中身を見るなりピタリと固まってしまい、じっと見守る白石屋の店主に視線だけを動かしたのだった。
「白石屋さん、これって……」
「ああ、棟弥なら価値もわかってくれるはずだ」
若頭は震える手をゆっくりと箱に突っ込むと、中から灰色がかった美しい茶碗を取り出した。
湖春ちゃんも大切にしていたあの大越の茶碗だった。
「これは白石屋の家宝でしょう? 湖春ちゃんも話してましたよ、白石屋がその名を全国に知らしめていた証だって。店の看板、白石屋の魂じゃないですか。だめですよ、私にはとても買い取れない」
若頭はすぐに茶碗をしまい、厳重に蓋をした。
だが白石屋の店主は頑なに断り返した。
「いや、店を失うのに比べれば何ということは無い。湖春もそれはわかってくれたはずだ。それよりも川辺屋さんには既に数え切れないほどの恩がある。だからこれ以上頼む、この通りだ」
「白石屋さん……」
頭を下げる店主を前に、若頭は困惑する。
だがしばらく頭を掻いた後、引き吊った表情が緩んだかと思おうと「いえ、困ったときはお互い様です」とぼそっと言い放った。
「この荷物、すべて買い取ります。ですがまたお金ができたらうちに来てください、その時にこの茶碗はお返しします。それまでは何があっても私はこれを手放しません」
「すまない」
白石屋の店主は目を腕で拭った。
結局、換金できたのは117両とちょっとだった。それを川辺屋の若頭は商売仲間だからと120両で引き取ってくれたのだ。
「さあ、今日はもう何も考えずに寝よう。明日からまた働けばいい」
布団を取り出して座敷に敷きながら、わざと明るい声で店主は言った。
その隣に布団を敷いて座り込んでいた寝間着姿の湖春ちゃんは、むすっとした顔で父親を睨みつけた。
「でもお父ちゃん、120両なんて大金、どこで用意するのよ?」
「湖春、今日は遅いからもう寝なさい。またみんなで考えればいい」
借り入れた240両の半分は返済の目途が立ったが、もう半分はまだ返す当ても十分に立っていない。
湖春ちゃんは父の言葉にため息を吐くと、開け放たれた縁側から外に出た。厠かわやにでも行くのだろう。
そこを俺は呼び止め、マツムシの鳴き声が聞こえる夜の庭でひそひそと話し始めた。
「ねえ湖春ちゃん、この辺りに珍しい物とか面白い物って、無い?」
「え、どうしたの突然?」
当然、訝し気に尋ねる。
「うん、ちょっと思いついたことがあってね。ねえ、何か無いかな?」
「そんなこと言われてもなぁ……あ!」
うーんと頭をひねらせていた湖春ちゃんだが、一瞬ほんの少しだが顔が明るくなった。
「
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