第二章その4 女神からの助言

 月明りに揺れる八幡堀。そこに立てられた鳥居をくぐって橋を渡ると、日牟禮八幡宮はもうすぐそこだ。


 昼間は参詣客で賑わう境内も、夜はわずかな灯篭だけに照らされおどろおどろしい異界へと変貌していた。すぐ背後に山がそびえていることも相まってさらなる恐怖感を演出する。


 踏み込む砂利の音が異常に響いて聞こえるが、俺はまっすぐに本殿を目指した。


 月の光でうっすらとだけ輪郭の見える本殿の前に立ち、しっかりと2礼2拍1礼を済ませる。


「あら、早かったわね」


 直後、背後から優しい女性の声が聞こえた。


 安心して俺は振り返る。そこにはしっかりと比売神様が優しい微笑みをたたえて佇んでいた。


 こんな真っ暗な空間の中でも、その衣服の淡い桃色まではっきりと見えた。まるでその身体自体が内側から発光しているように、闇黒の中で浮かび上がっている。


 だがそんな女神様はカーペットの上にちゃぶ台を載せ、食器を並べてご飯を食べていたのだった。


「何してるんですか?」


「何って、お供えの鮒寿司を食べていたのよ。乳酸菌が良い感じに発酵して、とっても美味しいんだから」


 ホクホク笑顔で皿に盛られた鮒寿司の切り身に箸を伸ばし、一口放り込む。途端、その美しい顔にも皺が走る。


「酸っぱい、けど美味しー! これならご飯何倍でもいけちゃう」


 濃厚なチーズにも似た滋賀県名物を堪能しているようだ。


 だが今はそれどころではない。俺は「失礼ですが」と切り出した。


「比売神様、大変なのです。白石屋の船が沈み、多くの損害が出てしまいました。それで出た借金を返す良い方法はありませんか?」


 女神様は静かに箸を置き、音も立てずに立ち上がる。そして妖艶な瞳を俺に向けた。


「私は皆の願いを聞き入れる女神、あなたへの助言はできても介入することはできないわ。そもそも未来について語るのは神様であってもタブーとされているの」


「そんな、手も足も出ないからここに来ているのに……」


 俺は口を尖らせる。


 だが女神様は人差し指を立てると俺の口に押し当てた。内心ドキッとしたのは内緒だ。


「あなたならどうする? 借金を返すにはまず何をすればよいかしら?」


「そりゃあ、まずはお金を作らないと」


「そう、お金を作る。つまりは稼げばいいのよ、あなたが」


「ええ、俺が!?」


 なんて無茶な提案をするんだ。だがこっちが反論をする前に、女神様はよく通る声で俺を圧倒する。


「よく聞きなさい。なぜ近江商人が歴史に名を残し、明治以降も成功し続けたか。近江商人について知っていることってある?」


「ええ、全国に物を売りまわっていた、というのは聞いたことがあります」


「そうね。じゃあなぜ彼らは成功を収めたのか? それは自分の足で様々な地域を回り、その風土を知っていたからよ。どの土地ではどのような産業が育ち、別の土地では何が必要とされていたか。その需要と供給をうまく見出して、産地で大量に買い込んだ商品を別の場所で売って歩いたのよ」


 なるほどなと俺は納得して頷く。


 近江商人は天秤棒をかついで全国各地を行脚し、その土地土地でいろいろな品物を大量に買い込んで別の町で売りつけたという。そのためには地域の産業や流通に精通していなくてはならなかった。


 江戸時代は東海道や中山道といった街道が整備されて物流は向上したがそれは大都市の話、地方までは十分に物資が回らないこともしばしばだった。そこで近江商人は各地に赴き、どの土地では何が欲されているかを読み解いて行商を行い、莫大な富を築いたのだ。そしてその財力を元手に江戸や大坂、さらには仙台と全国各地に店舗を構え、さらに販路を拡げたという。


「近江の産物を売っていただけではないのですね」


「そうよ。元々は地域の人が知っているだけだったのが、近江商人のおかげで全国に広がった名産品だってたくさんあるの。あなたも先人に学び、アイデアをひねり出しなさい!」


 俺は少しばかり上を向いて考え込む。


 つまりは何か白石屋だけが販路を持っている商品を作れってことか……それも地域に隠れた産業を。


 よし、やってやろうじゃないか! うまくいけばあの茶碗も売らなくて済むかもしれない。


 拳を握りしめ、決意を新たにした。


「比売神様、ありがとうございます! うまくいくかわからないけど、やるだけやってみます!」


 女神様に向き直る。


 だが既にその姿はそこに無く、ただ闇が広がっているだけだった。




「お帰り」


 意気揚々と白石屋に帰って来た俺を出迎えたのは、背を柱にもたれさせて座り込む湖春ちゃんだけだった。


「ただいま……店主さんは?」


「お父ちゃんなら物を売りにみんなを連れて川辺屋に行っちゃったわ」


 湖春ちゃんは目を逸らしながらぼそぼそと答えた。


 そんな、仕事が早いな!


「俺も行くよ! 湖春ちゃんは?」


 俺の問いかけに、彼女は黙ったまま目を伏せた。


 こうしちゃいられない。俺は再び夜闇へと飛び出した。

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