貴女の髪は罪の色
限界まで暴走した魔導書が奪ったのは、髪の黒、記憶。
そして、魔術の才能。
使いこなしていた魔術の使い方が思い出せないだけでなく、学校で習う初歩的な魔術の学習もうまく進まなかった。
記憶がないせいで、あれほど進んで読んでいた魔導書にも手を伸ばさなくなった。
魔術が得意だったことを誰かに言われると、困ったように笑ってばかりいた。
ーー全部、わたしのせいだ。魔術を使うハジメは、あんなにかっこよくて、すごかったのに。
病室で、白い髪のハジメを前に泣き出してしまった詩織に、彼女は慌てて「泣かないで、どこか痛いの?」とそっと抱きしめて、背中を撫でた。その手の温かさがいっそう詩織の胸を苦しめた。
そんな自分を、ハジメはもう一度友達にしてくれた。なんにも知らないまま、どこか間の抜けた笑顔で。
ハジメの両親も、誰も詩織を責めなかった。特に母親ーー零子などは、「これからもハジメと仲良くしてあげて」とだけ言って詩織の頭を撫でた。
いっそのこと誰かが咎めてくれたら、もっと楽になれたのだろうか。
ある日、男の子にからかれて泣いているハジメを見て、詩織は割って入り、その男子の頬を思いっきり張った。
守らなければならない。詩織のために記憶を、魔術の才能を喪ったハジメを。今まで自分が、黒い髪のハジメに頼り切りで何も出来なかったから。これからは、自分がハジメを助け、守り、傷つけないようにしなければならない。
誰にも、何にも、ハジメを脅かさないよう、しなければならない。他でもない、私自身が。
だから、詩織はハジメのために自分を変えた。男子に負けないよう気丈な口調を身につけた。ハジメが使っていた魔術を繰り返し練習し、自由に使えるようにした。勉強が苦手になってしまった彼女に、覚えるまで何度でも教えた。
ハジメはいつも覚えが悪くて、どこか間が抜けていて、ドジばかりで、詩織の言うことを何でも聞いて、いつも詩織に手を引かれていた。
――それでいいと思っていた。
「詩織はいいよね、わたしをいつまでも見下していられるから」
ぞっとするくらい冷たい声音に目を見開く。
真っ白な髪と髪の間から、底冷えのする光をたたえた目玉が詩織を真っ直ぐに睨んでいた。
「は、ハジメ? 起きてたの?」
白い髪に触れていた手を、慌てて引っ込める。
「わたしのこと、いつでもバカにしてるよね」
不自然なほど滑らかに体を起こすと、口の端を歪めた。それは詩織の知っている親友の笑い方とはかけ離れていて。
「どうせわたしはバカだよ、何をしても詩織にはかなわないよ」
嘲るように、蔑むように。
「でも、そうしたのは詩織だよね」
にたり、と。
「魔術と思い出を失くした槙野ハジメを、詩織は好きなようにしてきた」
嗤っていた。
「手を貸して、守っているようで、詩織は誘導してたんだよ」
「……違う、そんなことない」
歌うように呪いながら、
「詩織なしでいられないようにして、いつまでも詩織に守られているバカな女の子にしてきたよね」
「違うわ」
滑るように詩織の背後に立ち、腕が首の後ろから回される。
「そうやって詩織は槙野ハジメを都合の良いカタチに押し込めて、それで自分を慰めてきたんでしょう?」
耳元でそっと囁かれた言葉が鋭く胸を切り裂く。抱きすくめられた腕が冷たくて触れる肌が痛いほど。
「違う、私はただ、あなたを……ハジメを守らなきゃって……」
自分の口から出た言葉が、とても虚しく響いた。
「ハジメに、償いたかった。私が馬鹿なことをしたから……」
「本当に?」
白い指が顎に添えられ、横を向かされる。ハジメの瞳の中に、自分の青ざめた顔が映っている。
「本当に、わたしのためだなんて言い切れる?」
「それは……」
「違うよね。羨ましかったんでしょう? なんでも自分より上手く出来る槙野ハジメが。疎ましかったんでしょう、いつまでも敵わない槙野ハジメが」
目をそらしたいのに、頬を撫でる冷たい指がそれを許さない。
「才能のあった槙野ハジメが都合よくいなくなって、真っ白なハジメが残ったから、詩織は詩織に都合の良いアホの子ハジメを仕立てたの」
瞬きもしないハジメの瞳の闇に、吸い込まれていきそうになる。
「そうでしょう?」
「ちがう……ちがうのよ……」
声が震える。抱きしめられ触れあう体は詩織が否定するほどに冷たくなって、詩織を苛む。
「ねえ、わたしの体冷たいでしょう……?」
目を見開く。白い髪がいつの間にか真っ黒に染まっていた。あの事件が無ければそうなっていたはずのハジメの姿が、目の前にある。
「はじ、め……」
細い腕はかたく、かたく詩織にしがみついて離れない。
「ねえ、寒いの、魔術のせいで凍えちゃうよ……詩織があっためて?」
蠱惑的な囁き。なのに、その声音は詩織の心を抉り、温かさを奪っていく。
「ねえ……」
黒髪のハジメが、詩織の目を覗き込んだまま、ひと際声を低めて囁く。
「 槙野 ハジメ を 返 し て よ 」
凍り付いた心が、砕ける――
甲高い悲鳴で叩き起こされた詩織は、それが自分の口から出ていることに気づいた。
弾かれたように起き上がると、つられて毛布がずり落ちた。ハジメにかけていた毛布だ。
窓から朝の光が差し込んでいて、ハジメの白い髪を照らす。ゆうべと同じように、机に突っ伏して寝息を立てている。壁の時計が規則正しい音を刻んでいる。
「ゆめ……」
安心して息を吐こうとした途端、ぞっとするハジメの眼差しが……黒髪のハジメが脳裏にひらめき、胃の奥からすっぱいものが上がってきた。慌ててトイレに駆け込み、ゆうべハジメと食べたものを便器の中に吐き出す。
吐き気が去った後も、涙と鼻水が止まらなかった。詩織は久しぶりに、ハジメが起きてこないように声を殺して、泣きじゃくり続けた。
――そうだ。わたしは、ハジメを……。
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