第二幕「いじめはよくないとおもいます」

「どうや、気に入ったか?」

 ニヤニヤと笑いかける夏樫に、菜帆は背筋が凍りつくのを覚えた。

「なんで……なんでここに」

「そら、お客さまのアフターサービスは商売人には必須やからなあ」

 ひきつった声の質問をさらりとかわすと、窓際に立つ菜帆のほうへ滑るように歩み寄る。

「見てたで? 友だち、クラスメイト、センセー、その他エトセトラがみぃんなあのぶーちゃんをいじめてのけもんにしてお仕置き、しとる。昨日までとは大違いや」

 踊るように身を翻し、菜帆の体の反対側から顔を覗き込む。

「このガッコ―のみぃんなが、お嬢ちゃんの味方なんやで」

 にぃ、と夏樫は笑みを深めた。

 ぞくりとした。目の前の笑顔が、髑髏の笑みのように不気味に見えたからだ。

「で、でも……」

 背筋がぞくぞくとするのは、不気味なほどに強力な魔術への嫌悪か、陶酔か。

「こ、ここまでするものなんて……思わなくて。河津くんを、そんな……いじめさせたかったわけじゃ、ない」

「んん? おもろいこというなあ、お嬢ちゃんは」

 菜帆の拒絶するような言葉を聞いても、夏樫の笑顔は揺らがない。

「自分の味方が欲しいっちゅうんは、敵をぶちのめすためやろ? 違うんか?」

「それは……」

 違う、と言おうとしたが口が開かなかった。

「……でも、いじめるなんて良くないことだよ……」

 ようやく絞り出したのは、そんな一般論でしかなくて。

「っぷ!」

 おかしくてたまらない、というように夏樫は吹き出し、腹を抱えて笑った。

「何を気にすることがあるねん? 誰の目ぇを気にしとるんや? 」

 夏樫は、芝居がかった仕草で教室の扉の向こう、廊下とその先を手で示して、

「ここはお嬢ちゃんの操り人形の舞台や! 何でも好きなようになるんやで。楽しまななあかんやんか……」

 誘いこむような、底なしの沼のような黒い瞳が、菜帆の目を離さない。窓の外では、昼休みはとっくに終わったにも関わらず河津が蹲り、いまだ生徒たちが囲んでいた。

 彼女の傍らの机に開かれたハードカバーの魔導書はいまだ、鈍い光を放っていた。


「まったく、どうなってるのよ」

「わたくしにも分かりませんわ!……ですが、学校教育の範疇には間違いなく含まれていない類の魔術が働いている可能性があります」

 逃げるように学校を後にした車の中で、詩織とクレエは早口に言葉を交わす。

「わたくしは、家の事情で午後から登校したのですが……皆さんの様子は明らかに常軌を逸していますわ」

「クラスメイトだけじゃなく、先生も……学校中が河津くん個人を攻撃してる。仮にいくら嫌われてても、今日いきなりこうはならないはず」

「単純な催眠術ではここまでの規模と早さで影響を広げるとは考え辛い。いえ、わたくしとて詳しくはありませんが……それでも、皆さんの一様に同じ表情や言葉でしゃべっていたこと、魔術攻撃が妙に統率・連携が取れていたことを考えると……」

 二人に挟まれるようにして座り心地の良い座席に揺られながら、ハジメは自分たちに向かってきた生徒たちがみんな同じ型の魔術しか使って来なかったこと、打ち合わせしたように同時に攻撃してきたことを思い出した。

「何か、集団をいっぺんに洗脳するような魔術。そんなもの、本当にあるの?」

「存在が確かめられたわけではありませんが……中世魔術史の中には、幻の域を出ないものの、人びとを意のままに操る秘術を示唆する事例がいくつかあります」

「いわゆる、黒魔術ね。今でいう都市伝説の類だけど」

「『ハーメルンの笛の音』童話の元になったという説もある事件ですが……大勢に同じ行動をさせる、そんな魔術がその時代に存在し、しかし歴史の闇に埋もれ……人知れず現代まで残っていたとしたら?」

「そんなものを、一体学校の誰が手に入れたのかしら。どういった経緯で……」

「これは公にはされていませんが……裏社会には、『いわゆる黒魔術』の品を闇取引するブローカーの組織がある、と聞いたことがあります。お父さまの伝手で出会った専門家でも詳しくはご存知なかったのですが」

 詩織とクレエが交互に口を開き、素早く情報交換と推測を進めていくのを間でただ眺めて聞いて、ふかふかの座席で揺られていると、口を挟む余裕のないハジメはだんだん「もう全部二人に任せたほうがいいんじゃないかな」と思いはじめ、瞼が重くなってきた。そこへ、

「ハジメ? さっきから黙ってるけど、どうかした?」

 水を向けられ、普段以上に回転の鈍い頭で、むにゃむにゃと絞り出した答えは――

「やっぱり仲いいねぇ、二人とも」

 息がぴったりだもん、という続きは左右からのぴったり重なった叫びがかき消した。

「はあ? そんなわけないでしょ!?」

「ありえませんわぁそんなこと!!」

「うう……耳がキーンってするよ……」

 

 鈴木の運転する車は一度クレエの屋敷に戻ったのち、『槙野よろず書店』に三人を届けた。これは、やや距離の離れたハジメの移動する負担がないようにというクレエと詩織の(互いに気に入らないが)意見が合ったためだった。店の二階のちゃぶ台を囲んで、推測の続きと、昼食を食べ損ねた二人のために屋敷から持ってきた食べ物を広げる。

「このサンドイッチおいしー!」

 うきうきでかぶり付くハジメ。

「急いで作らせたものですから、お口にあって良かったですわ。いえ、それはともかく」

 咳払いをして、クレエが続ける。

「いずれにしても、何らの違法な魔術が学校に働いていることは確かなようです。しかるべき機関に通報したいところですが……」

「証拠がないのよね。実際に術式を使ってるところを見たわけじゃなないし」

「証拠がないとなんでだめなの?」

「悪戯の通報と判断されれば、被害を伏せることが出来ません」

「?」

「ハジメ、要はオオカミ少年と同じよ」

「あ、そうか!」

 どうにも締まらない空気に、クレエは頭を抱えたくなったが、我慢した。

「一度学校に行って、洗脳されている生徒の観察、可能なら魔術を使っている現場を押さえたいですわね」

「だけど、術者にはもう警戒されてるはずだわ。クレエじゃ目立つし、ハジメは魔導書置いてきたからいざというとき危険だし」

 あってもなくても変わらないのでは? クレエは意識してその言葉を胸のうちに留めた。

「しかしこのままでは何も……」

「そんなの、直接聞いてみたらいいんじゃない? 詩織、ケータイかして」

「何するの?」

 手の伸ばしてくるハジメに、詩織は訝し気に訊ねた。

「学校に行くのがだめなら、学校にいる子に電話で聞いてみたらいいんじゃない?」

「ハジメさん、洗脳されている相手が素直に聞いてくれると思いますこと? 居場所が分かったらわたくし達に襲い掛かってくることだってあるんですよ」

 諭すようにクレエは言ったが、詩織はハジメの横で顎に手をやって考え込む顔になった。

「いえ、ありかも……今日みんなが攻撃的になったのは河津君に関することだけ。彼をいじめるとき以外はいつも通りだったわ。だから、遠回しに探りを入れていけばもしかして」

 隣でうんうんと得意げに頷くハジメ。

「でも、ボロが出ると困るから、電話は私がするわ」

「ええー」

 一瞬でしゅんとなるハジメ。

「私だってなんとかしたいのに」

「誰にかけるんですの?」

「杉田よ。あいつは鈍いし、万が一気づかれてもあいつ一人なら簡単に撃退出来るわ」

 徒党を組むなんて考えもしないでしょうし、と続ける彼女に、クレエは少しばかり杉田に同情した。


「なあ、河野と槙野のやつ、なんで早退したんだ?」

「さあな、昼休みに出てってそれきりだ。カバンもそのままだしな」

「昼休みといえば裏のほうで騒ぎがあったけどなんなんだ?」

「あいつだよ、クレエの親衛隊が河津にしつけだってさ」

「ああ、なんだたいしたことないな」

 放課後のたわいない会話の中にあって、杉田は急に消えた二人を……どちらかと言えば詩織のほうを案じていた。

 部室に行こうと教室から出たところで、尻ポケットのスマホが震えた。画面には『河野詩織』の文字。慌ててて取り落としかけてから通話ボタンを押す。

「お、おい河野か?」

『どうしたのそんなに慌てて』

「別にんなことねーよ。昼にいきなり授業フケて何やってんだよ」

『ハジメが家の扉を閉め忘れたーって言い出すから急いで帰ったのよ』

「あー、やりそうだな」

『で、アンタさ、聞きたいことがあるんだけど』

「俺これから部活……」

『へー、あのことバラしてもいいんだー』

 ドスの効いた声音に、慌ててまくしたてる。

「おいやめろやめろくださいなんでもきいてくれ」

『じゃあ、クレエの親衛隊っているでしょ?』

「ああ、今日校舎裏で河津のヤツをとっちめてたっていう……」

『それなんだけど、あの子たちってクレエが大好きなのよね?』

「そりゃお前、親衛隊っていうくらいだからな」

『なら、どうして河津君を、その……おしおきしてたのかしら。彼女たちはクレエ様のためにー、クレエ様に逆らうなーって子たちでしょう。彼がクレエの気に障ることでもしたのかしら』

「ああ? ……あー、クレエは目立つけど河津の奴はいつも地味で、なんでも目立たないな。しゃべったこともないと思うぞ」

『そうよね? じゃあ、親衛隊が河津君に手を出す理由って別にないのよね?』

「……? それはそうだが……クレエが理由じゃなくても、いいんじゃないか?」

 妙に引っ掛かるものを感じつつ、杉田は答えた。

『それは、どうして? ハジメが分からないって言ってるからハジメにも分かるように教えてくれないかしら』

「そりゃあお前……」

 当然のことを聞くなとばかりに口を開き、杉田は固まった。

(あれ? どうしてあいつらがわざわざ河津をシメるんだ?)

 今まで感じなかった違和感を探ろうとすると壁にぶつかったように思考が止まる。

(クレエのためにならないことをあいつらがするか……?)

『杉田?』

(いや……当然だ。あいつはああいう目に合うのが正しい……正しい? なぜ?)

 そこまで考えて、頭の芯が鈍く痛みだした。

『杉田―?』

≪……せよ、河津満雄を排除せよ河津満雄を排除せよ河津満雄を排除せよ≫

 頭の中に抑揚のない声が呪詛のように響き渡る。一瞬杉田の意識が遠くなり、また戻る。

『杉田―!』

「あ、ああ……悪い。アイツらがそうするのは当たり前だよ」

『そうなの? どうして?』

「ああ、それは、河津が田端に付き合ってくれって言ったからだ。断られても懲りずにな。手紙お毎日送りつけて……だからクレエの親衛隊も、学校のみんなも、先生も、河津を排除して田端を守る。それが正しいんだ」

 すらすらと答えが口から出てくる。頭痛も呪詛ももう消えていた。すっきりした気分で杉田は微笑んだ。

『……それって、田端さんがみんなに言ったの?』

「ん? いいや。でも、言われなくてもそうするのが当然じゃないか? 俺たちは田端奈帆の味方なんだから」

 なぜそれが疑問なんだ、とむしろ訝しんだ。

『それって、私が知らないだけで前からそうだったのかしら』

「ん? いや……今日からだな。朝学校に来てからスタートした感じだ。けどもっと早くやるべきだったか」

『え、ええ……そうね』

「じゃあ、もう切っていいか? 練習始まっから」

『最後にいっこだけいいかしら。アンタ、河津君が毎日手紙を送ってるって何で知ってるの』

「昨日河津が俺に言ったんだよ。田端に引かれてるの、河津は分かってなかったっぽいな。相当お熱で、周りが見えてない。あれじゃあヤツも田端もちょっと、なあ。ほら、田端って誰にでもぐいぐいいくだろ。勘違いさせてる男も多いんだ」

 自分の口調が河津に同情する風になっているのlを、彼は気づいていないのか。電話の向こうで、少女は秘かに息を吞んだ。

『そう、アンタも田端さんに勘違いしてる一人ってことかしら』

「なっ! 馬鹿なこと言うなよ!! 切るぞ!」

『はいはい』

 乱暴に通話を切ると、杉田は時計表示を見た。

「やべ、早く着替えねーと」

 慌てて部室に駆けていく杉田。その滑稽な後姿を、白黒の少女がニヤニヤと見つめていた。


「どうでした?」

「ええ、杉田からかなり重要なことが聞けたわ」

 お茶を一口飲んでから、詩織は二人に説明した。

「やっぱり……親衛隊のみんながあんなことするわけないよね」

 そっと呟くハジメは今朝見たような神妙な表情をしていて、詩織は気になったが先を続けた。

「杉田は田端さんに河津君が告白したから、みんなで田端さんを守るために排斥するのが当然だって言ってたわ。それから、魔術は完璧にみんなの頭を支配してるわけじゃないみたい」

「田端さん。あのいつも賑やかな方ですか」

「奈帆ちゃんが?」

「ということは、彼女がこの魔術の術者、そうでなくても騒動の中心にいる、ということですわね」

「そういうことね。田端さんがどこで黒魔術を手に入れたのかは分からないけど」

「じゃあ、奈帆ちゃんに会って、こんなこと止めさせないと!」

 勢いよく立ち上がり、飛び出さんばかりのハジメに詩織は驚いたが、クレエが制した。

「お待ちなさい、ハジメさん」

「なんで止めるの!」

 珍しく語気の強いハジメ。心なしか目にも力が入っているように見える。

「まだ魔術の正体や対策が分かっていません。私たちが出向いても同じように操られてしまっては意味がありませんわ」

「けど! 早く止めさせないと、みんな可哀そうだよ! 河津君も、操られてるみんなも、御崎さんたちも、それに奈帆ちゃんも……」

 手を振り回して強く訴えるハジメ。興奮する彼女を前に、詩織とクレエは顔を見合わせた。

「だって、嫌がってても、河津くんは奈帆ちゃんに気持ちを伝えたかっただけで、御崎さんたちはまだクレエちゃんになにも……」

「え? 御崎って、親衛隊の? その子がどうかしたの」

「あの、わたくし、あまり親衛隊と言われると面映ゆいというか……」

 親衛隊の一人の名前が急にハジメの口に上ったため困惑していると、

「そうだよ! 御崎さん、せっかく勇気を出そうと……」

 ますます興奮してまくし立てようとするハジメ。

「ちょ、ちょっと落ち着きなさい」

 詩織は背後から近寄ってハジメの腕を押さえた。思い出した。ハジメは何も考えていないように見えて、何かを一度決めたら聞かないのだ。

「それって、アンタが昼に親衛隊に呼ばれたことに何か関係あるの?」

「うん……」

「詳しく話してみて」

「……分かった」

 ようやく大人しくなったハジメを抱きしめたまま、詩織は息を吐いた。


 夕暮れの光の差し込む生徒会室。今日は生徒会活動はなく、静まり返った室内には誰もいないはずだった。

 机の一つの上に開かれて置かれたハードカバーの魔導書。鈍く輝く光が、生き物のように脈打つ。その様子を、頬杖を突きながらうっとりと眺めているのは、夏樫孤々菜。モノトーンのその姿は、室内を染める茜色を寄せ付けない。

 彼女の背後で控えめな音を立てて引き戸が開いた。

「お、来たかお嬢ちゃん。今日は楽しかったかぁ?」

 心底楽しそうに、夏樫は問いかけた。

「もう……もうやめようよ、こんなの……」

 憔悴しきった様子の奈帆を見て、夏樫はますます笑みを濃くする。

「やめる? なんでや?」

「だって……もう、可哀そうだよ」

「かわいそう! かわいそうときたか!」

 こらえきれない、というようにケタケタと笑う。

「ジブンが守られる立場になったから言うて、ヒトの心配か?」

 笑い過ぎて出た涙を人差し指で拭ってから、夏樫は椅子の上で体を回し、背もたれから奈帆のほうへ乗り出した。

 眉を下げた奈帆が、びくりと身を引く。

「それとももう飽きたんか? 満足か? それなら……」

「も、もうやめてくれるの? どうやってこの魔術を止めるの?」

 楽になりたい一心で、そう声を上げた。

「商品に満足したんやったら、お代をもらわんとなあ。商売やから」

 夕日の光の中に浮かぶ白い笑顔。

「お代……い、いくらなの」

 再び気分が沈みつつも、支払えば夏樫が満足してくれるなら――

「そうやなあ、値ぇの点けられるモンやないいなあ」

 奈帆の背後から夏樫の声がした。目の前で座っていたはずなのに、いつの間に後ろに回っていたのだ。

 一瞬心臓が止まったのを感じながら振り向く。と、伸びてきた真っ白い手に口元を掴まれ、壁に体を押し付けられた。夏樫はそのまま、指先で奈帆の頬をぷにぷにと押す。

「せやからお代でもらうのは」

 窓からの逆光で、奈帆には夏樫の顔が見えない。金縛りにあったように、指先一本動かせない。

「魂や。お嬢ちゃんの、た・ま・し・い」

 楽しそうに夏樫が区切る一文字一文字が、奈帆の胸を虚ろに穿っていった。



続く

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