「マリオネット・シアター」
おしゃべりなクラスメイト
「じゃあ、私先輩待ってるから」「うん、またねー頑張るんだよっ」
バレーボールの練習を終え、友達と別れた彼女は、昇降口に辿り着くと、朗らかだった顔を曇らせる。
「また……河津くん……」
田端奈帆は、自分の下駄箱に詰められた分厚い封筒をこわごわと見つめた。。
手に取るとずっしりと重い。中身はもう開かなくとも分かる。
自分との交際を求める手紙――つまりはラブレターといってもいいのだが、一度丁寧に断ったにも関わらず内容と紙の枚数は日に日にエスカレートしていった。さらに全く同じ内容がメールとSNSでも届くのだ。彼女はノイローゼ気味だった。
彼女は靴を履き替え、「愛おしい田端さんへ」と書かれた封筒を手にして回りを見回し、誰もいないことを確認すると、校門の外に出た。
「どうしてこうなっちゃたのかな……」
ローファーの足元から影を長く引きずって歩く。実のところ、きっかけはほんの些細なことだったのだ。ちょっとした親切のやりとり。それが、こんなことになるなんて。
奈帆はとぼとぼと家路に着いた。その姿を、物陰からじっと見つめる男子高校生の姿があった。
眼鏡の奥の小さな目を凝らし、たるんだ頬を震わせて、ぼってりした唇を開く。
「田端、さん……」
「あいたっ!」
第二体育館。魔導書魔術実技の授業中、ハジメは派手にコケた。
「ああ、もう何やってるのよ」
横で練習をしていた詩織が、バレーボール状の魔力の玉をトスしながら言った。耐魔力壁で跳ね返ったボールを両手で受け止める。伝子を制御して魔力の形を保ちつつ自分の体も運動させる。実践的な魔術では欠かせない要素のため、この学校では基礎的なカリキュラムとして取り入れられている。
だが、ハジメは魔術、運動の両方のどん臭さが災いしてボールのコントロールに失敗、足元に落ちたそれを迂闊にも踏みつけて体育館の床に転がった。
「ほら、もう一回やるわよ」
「うん」
ぶつけた鼻を抑えながら、ハジメは魔導書を――教科書のグリモワールテキストを開いた。が、やはりボールを作るのにまごついた。
その様子を見ていたクレエは一つ溜息をつくと、教員に一言告げて自分のクラスの列を離れて二人のもとに近づいた。
「ハジメさん、形状操作の行を一つ抜かしていますわよ」
「うえ? どこどこ?」
四角い粘土のようになってしまった魔力の塊をこねくり回していたハジメが振り返る。
「ここですわ」
クレエはハジメの手を取って正しい魔術記述をなぞらせ、口に出させた。たちまち粘土状の魔力が薄く広がり、丸まって球形になった。
「やった! ありがとうクレエちゃん」
「ハジメさんはもう少し落ち着いて手順を確認すれば失敗しないはず。努力なさい」
クレエは冷静なアドバイスをするが、はしゃいでいるハジメがきちんと受け止めているかは定かでない。
そんな二人を、詩織は面白くなさそうに見る。
「あんまり甘やかさないほうが良いわよ、この子は何言ってもすぐ忘れるんだから」
「あら、それは詩織さんの教え方が悪いからではないかしら? はじめからダメと決めつけては伸びるものも伸びませんわ」
「あらそう、なら精々お手並み拝見と行こうじゃないの、クレエせんせー」
一方は小馬鹿にしたように、一方はこめかみをヒクヒクさせながらのやりとり。二人の間に火花が見えるようだ。
「おっかねえ……あの二人に挟まれてよく平気でいられるな、槙野」
少し離れたところで魔力のボールをダンクしながら、杉田はしみじみと呟いた。
「あの三人、最近よく一緒にいるよね!」
斜め後ろから、ショートの茶髪の女子生徒が顔を出す。
「うぉっ……なんだ田端か。驚かすなよ」
「なんだはないでしょー」
口をとがらせる奈帆。
杉田は平静を装うが、毛先から漂うシャンプーの香りがはっきり分かる距離に彼の心臓は高鳴っていた。
「で、なんだよサボりか」
「ざんねーん、こっちの組の先生外してるから自習ですー、キミたちの見学をしていたのだっ」
「見学、ねえ。んで、あいつらがどうしたって?」
杉田が水を向けてやると、彼女は目を輝かせた。
「そうそう、ハジメちゃんとクレエちゃんと詩織ちゃん! ハジメちゃんと詩織ちゃんは前からずっと一緒だったじゃない?」
「ああ、そうだな」
妬けるくらいに、と言いかけて危うく杉田は口を閉じる。クラス一のお喋りの奈帆に聞かれては一巻の終わりだ。
「それが、こないだクレエちゃんがハジメちゃんに決闘申し込んで……、あ、杉田くんもいたっけ」
「ああ、まあな……」
巻き添えになって自分ひとりだけ鎖で縛られたことはなるべく思い出したくない。そんな杉田の様子に気づかず、奈帆は続ける。
「それで引き分けになって、どうしたのかなーって思ってたら! いつのまにか3人でいるんだよ!?」
指差す先では、ぽけっとした顔のハジメを挟んで詩織とクレエが言い合いを続け、ハジメの手元のボールは洋ナシのようにくびれて膨らんでいった。
「あれ絶対河原で殴り合って両方倒れて、『なかなかやるな……』『ああ……お前もな』みたいなことがあったに違いないよ! だから仲良くなったんだよ!」
「いや、二人って誰と誰が殴り合ったんだよ。つーか全員女子だろ……」
「ハジメちゃんはたぶん殴ったりしないだろうから、詩織ちゃんとクレエちゃんだね!」
ツッコミも意に介さない彼女に、杉田は呆れるようにかぶりを振った。
「今も絶賛バトル中だけどな。あれのどこが仲いいんだか」
「いーやよく見て杉田くん、クレエちゃんの顔、絶対前より柔らかいから。今ならカラオケ誘っても来てくれそう」
「よくあんなタカビーな女誘えたなお前……」
「ポジティブだからね! 私!」
「自分で言うか?」
ボヤキながら、杉田は改めてクレエたちを見た。今度は洋ナシを破裂させてしまったハジメの左右の腕を詩織とクレエが取って、ああでもないこうでもないと応酬している。
確かに、少し前までのクレエは何物も寄せ付けないオーラを纏い、親衛隊を自称する連中も、やっかみを向ける生徒たちも全く歯牙にかけなかった。杉田の友達の一人などは、一世一代の告白をすげなく断られ、落ち込んで一時部活を休んでいた。
視線の先で口喧嘩に興じる今の彼女のほうが、まだ親しみやすいかもしれない。陶磁器のような頬にはうっすら笑みらしきものすら浮かんでいる。……詩織を煽るためのものだろうが。
「そうだ、こないだスイパラの割引チケットもらったんだ。 またみんな誘うんだけど杉田もどお?」
奈帆は高めのテンションのまま呼びかける。
「いや……俺甘いものはそんなに……」
「えーこんな美少女ちゃんが誘ってあげてるのに~」
「お前なあ、誰にでもそんなこと言ってるだろ。勘違いされてもしらねーぞ」
彼はクラスメイトとのいつものやりとりとしてそう言った。きっとこの後はまた他愛もないリアクションがあると思っていたから。
だが――目の前の田端奈帆は、イレギュラーな反応をした。
にこにことしていた表情がさっと消え去り、俯いた。真顔になった。それだけのことなのだが、杉田にはおしゃべりでおせっかいなクラスメイトの女子が、急に知らない人間になったように感じられた。
「……勘違い……そうだね」
ぽつりと零した言葉は全く聞き覚えのない声音で。
彼女の顔が見えなくなった杉田があたふたする中、
「おーい、休憩は終わり! こっちに集合!」
教員の声が響き、黙ったまま奈帆は去っていった。
「なんだったんだ……?」
しきりに首を傾げる杉田が、後に残された。
直後に始まった試合形式の「魔力のボールを使ったバレーボール」(魔力の玉をコントロールする役と実際に競技をする組に分かれて行う。トス、レシーブ、アタックの際に魔力の制御を誤るとボールが弾けてしまうため、コントロール役はかなりの集中力を要する。もちろん、ハジメにコントロール役が回った組は目も当てられないことになった)のため、彼が感じた違和感は頭の隅に追いやられていた。だが、杉田の班の試合が終わって他の組の試合を見ていると、彼はまた突然斜め後ろから声を掛けられた。
「あ、あの……す、す、杉田君」
「ん……? 河津か、どうした」
居心地が悪そうに脇に立っていたのは、クラスの中でもぱっとしない印象の男子だった。肥満気味の体形と肉の余った顔、太い黒ぶちの眼鏡、脂っぽい髪と、いわゆる「モテない」要素を集めた外見。悲しいかなそのようなフォルムの男子学生は概ね「モテる」者からは軽んじられ、時には疎まれたれ異性には拒絶されやすい傾向にある。加えて趣味嗜好がアニメ・マンガ・ゲームだっだりすると周囲から気味悪がられてしまうものである。
この河津満雄も自分の特徴を分かっており、だからいつも自信のない、たどたどしいしゃべり方をし、ますます浮いてしまう、そんな一人だった。
「う、うん……あの、その……」
なかなか切り出せない様子の河津に、杉田は訝しがりながらも、
「まあほれ、座れよ。見上げてるとしゃべりづれーよ」
と言って床を叩いた。
「う、うん……」
あぐらをかく杉田の横に、体育座りで縮こまった河津は、何度かつっかえながら口を開いた。
「す、杉田くんって、た、田端さんと仲いいよね」
「んん? まあ、そこそこな」
杉田はネットを挟んで左右に行き来するボールをぼんやり眺めていた。トスの瞬間、形の制御が乱れかけ、魔力の球の表面がノイズのように泡立った。なにやってんだという野次と、がんばれという応援が交互に第二体育館に響く。
「す、すき……なの?」
短パンから突き出た自分の膝小僧を睨みながら、河津は言った。
「……は?」
まったく予想だにしない問いかけに、妙な声が出た。コートから視線を外して真横を見る。
「さ、さっきもな、仲良く話してたじゃ、ない」
体育座りのまま、河津はその巨体を揺らしてにじり寄った。
「アイツはだいたい誰にでもあんな感じだろ」
「そ、そうだけど……」
見ていると、所在なさげに小さな目をあちこちにさまよわせる。
「なんでそんなに気になるんだ? ……好きなのか?」
とりあえず、年頃の健全な男子高校生としてそう茶化して見せる。が、河津は否定せず、大きな顔を真っ赤にして俯いた。
「……マジか」
「うん……ぼ、ぼくは、田端さんのことが、す、す、好き、だ」
律儀に答える彼に、杉田は思わず頭を抱えたくなった。とりあえず話が聞こえる範囲に他の生徒はいない――もっとも、魔術のバレーボールへの歓声と野次で内緒話などかき消されてしまうだろう。
だが、おかげでさっきの田端の妙な反応にも納得がいった。
(勘違い、させてんじゃねーか田端……俺ぁ知らねえぞ)
「だ、だから、告白、したんだけど……」
「お、おう」
恋愛相談など全くの守備範囲外で、どうしたものかと思いながら相槌を打つ。
「う、受け取って、くれないんだ……ラブレター」
河津には悪いが、田端奈帆のような女子にはあまり受けがいいとは言えないだろう……と杉田は胸の中でつぶやく。一人の男子の純情に向き合わない田端にも問題はあるが……。
「ま、毎日、靴箱に入れて、メッセージでも送ってるのに……返事を、くれないんだ……」
「毎日!?」
(いや、そりゃダメだろ……なんていうか重いぞ……?)
「変……かな……?」
「そりゃあお前……」
「こ、心を込めた手紙、毎日……きっと伝わると思うんだ……気持ち」
河津は顔を引き締めている。少なくとも彼は自分の行為がやや的外れなことに気づいていない。それどころか自分の好意が相手に受け入れられないとは思っていないらしい。
「あー、なんつーか毎回毎回ってのは相手も辛いだろ……毎日カレーみたいなもんだぞ」
(十中八九、付き合えるどころか気味悪がられてる。けどんなことこいつに言えるか……?)
言葉を選ぶ。
「そんだけやって付き合ってくれねえんだから、田端はやめて他の女子にしたらどうな……」
「ありえないよ!」
「うぉ!?」
言いかけたところで、床にむちっとした手を叩きつけて否定される。
「ぼ、ぼくには田端さんしかいないんだ! ふざけたことを言わないで!」
顔をさらに真っ赤にして叫ぶ(とはいえ周りに聞こえないよう小声で)と、河津は立ち上がってどこかへ行ってしまった。
「えー……」
(ありゃあ、田端がはっきり断ってないか、嫌がるそぶり見せても気づいてないかだな。というか……)
いよいよもって杉田は頭を抱えた。
(きっぱり断られたとして、アイツどうなっちまうんだ……?)
奈帆が今日は部活が休みだということを思い出したのは、終業のチャイムが鳴った後だった。
(あっ……もう学校、終わりかぁ……)
放課後を歓迎する喧噪の中、奈帆は一人表情を曇らせる。
「せっかくだからなんか食べてこーよ」
と誰かが言い出し、奈帆はバレーボール部の仲間と連れ立って昇降口に向かった。
「奈帆はなに食べたいー?」
「そうだねー私はー」
言いかけながら下駄箱を開いて、後悔する。中にはまた手紙の束が詰まっていたからだ。
「ん? どしたん?」
先に靴を履き替えていた一人が、目ざとく彼女の下駄箱を覗き込む。
「あっ! もしかして、ラブレター?」
どきりと心臓が跳ね上がったのは、知られたという焦りだった。
「奈帆、やったじゃん!」
「人の相談乗っといて、自分も順調だったんだねっ」
「えー、誰から誰からー?」
この年齢特有のかしましさで、あっという間に密着される。じっとりと嫌な汗が制服のブラウスを背中に張り付ける。
「あ、えっとその、……河津くん」
青ざめて、消え入りそうな声で答えた。今初めてラブレターを受け取り、差出人を知ったという風を、咄嗟に装っていた。
彼女はずっと自分が河津に告白され続けていることをひた隠しにしてきた。クラスのみんなと仲が良い彼女は、誰かをいじめたりするような発言はしたくなかった。だが、付き合て欲しいと言われたとしたら嫌悪と拒絶を感じる異性がいることは、否定出来なかった。そんな男子生徒の河津と関係があると知られたら、友達はどう反応するのか? それがなにより恐ろしかった。
「うわっ河津ぅ? ないわー」
「ちょっと……暗いっていうか」
「キモイオタクってやつだよね」
「うん……私も……河津くんだったらやだな」
「って言うかなにこの分厚さ。マジ引くわー」
予想通りの反応が返ってきて、奈帆は胃が十センチほど沈んだような気になった。
「うんうん、こりゃあ災難だったね、なーほ」
労わるような口調と顔でで、手紙に気づいた友達が頭を撫でてくる。
「ぇ……う、うん、びっくりして、その……」
二回ほど瞬きをする。攻撃されるのは、どうやら自分ではない。
「私もその……いや、かも」
そう気づくと驚くほどの安堵と、拍子抜けした感覚が沸き上がった。
「だよねー」
「やなこと忘れるために今日はぱーっといこ、ぱーっと」
仲間たちはいつもの笑いの輪を広げる。
「おじさんみたいだよ、なつみ。……ありがと。いこっか」
一抹の罪悪感には背を向けて、奈帆はその輪に加わった。今はそれでいいと思っていた。
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