第51話 終幕

 エピローグ


 日曜日の四桜公園はとても賑わっている。

 子供連れの家族やペットを散歩しているお爺さん、サッカーを行う少年たち。ランニングをしている人もいれば、シートを広げて昼食をとっているカップルも目に入った。

 公園内は桜が咲き乱れており、丁度見頃だとローカルニュース番組、四桜TVがいっていた。

 私も先日、やっとコートをクローゼットの中に仕舞い、今日は久しぶりにワンピースと薄手の上着を羽織っている。

 風もなくぽかぽかと暖かいので、こうやってベンチに腰掛けていると段々眠くなってくる。春眠暁を覚えずとはよくいうけど、本当にそうなんだと思う。

 待ち合わせ時間まであと十分。

 少しだけ目を瞑ると街の雑踏が響き、穏やかな休日なのだと改めて感じる。

「よ」

 声がして目を開くと、そこには左目だけを長い前髪で隠したワイシャツ姿の男子高校生――赤槻昂我君が苦笑いして立っていた。

「少し待たせたな、わりい」

「いえ、先ほど来たばかりですから」

 そう言うと昂我君は「そっか」と言って、私の隣に座った。予想より少し近い距離に腰を下ろされてしまって、動くに動けず私はどぎまぎしてしまう。

「さ、早速ですが、これです。これが携帯電話です」

 私は小さな鞄からスマートフォンを取り出す。夕陽さんに連れられてやっと購入したのだ。前回のような非常時の際に連絡が取れないのは不便なので、やっと購入した。昂我君も同じように購入したので、今日は携帯電話で連絡を取り、待ち合わせをした次第である。

 携帯電話で待ち合わせを初めてしただけで、文明人になった気がして、嬉しいような恥ずかしいような気持ちで無駄にスマートフォンを何度も確認してしまった事は言わないでおこう。

「なかなか使い慣れねーよなー。俺は今でも電話に出る事すら、ホントに出ていいのか戸惑っちゃうよ」

「そうですね、今まで用件は全て家にかかってきていたのに、私にだけかかってくるのだから不思議なものです」

 私は不慣れな手つきでスマートフォンの画面を操作して、メール画面を呼び出す。そしてその中に該当するメールを見つけて、昂我君に画面を見せた。

「どこにいても、こうやって連絡が届いてくるのは嬉しいですよね」

「とりあえずアメリカに行ったのか……留学生ってことになってるのか」

「はい、兄さんなら英語も得意でしょうし、元々海外にも何度か足を運んでいたそうなので、心配なさそうですね」

「とはいっても、一学期が始まって即留学するとは行動力の塊だな」

「はい、私たちも見習いたいものです」

 兄さんは父親――浅蔵剛堅さんとの戦いを終えた後、手元に残った金剛の騎士紋章を正式に受け継ぎ、紅玉以外の姿を消した騎士紋章の捜索をする傍ら、騎士として旅に出た。

 今回の事で兄さんは色々と思うことがあったのだろう。人知を超えた力を持つからこそ、もっと広い世界を見て、教養を深めたいといっていた。騎士紋章の縛りがなくなったのだから、尚更だと。

「達って、俺も入ってるのか! こう見えて俺は行動力の塊のような男なんだけどな。心外だ」

 冗談めかしに昂我君はそういって、わざとらしく肩を竦める。

「親父さんはあれから、どうなのかね」

「多忙な毎日を送っているようですよ。元々浅蔵家が持つ病院や会社を経営していたので、表向きな生活はほぼ変わっていないようです」

「ふーん……元気なら壬剣も自由に騎士として活動が出来るってもんだな」

「昂我君は学校が始まってどうですか?」

「俺? 俺は……」

 うーん、と首を捻って、

「変わらんな」

 と、言った。

「仲の良かった奴らとも同じクラスだし、進学校ってほどじゃないから、和気あいあいとしたクラスって感じだし――楽しくやってるよ」

 楽しくと笑顔で言う昂我君を見て、私は自然と笑みがこぼれた。

 私は自分が蒼の髪飾りにより、黒騎士ファントムとして浅蔵剛堅に行動の主導権を握られていたことを後から聞いた。その間に私は蒼の髪飾りが見せる過去に行っていた。

 そう、この世界の大きな分岐点の始まりへ。

 あのとき昂我君は行き場を失くし、感情のない瞳を持っていた。

 だから今楽しそうに笑う彼を見ると、何だか心がほっとする。

「凛那は学校はどう、今は寮生活なんだろ?」

「はい、相部屋の方もとても親切でまだ始まったばかりですが、楽しいです」

 私が通学する綾乃坂女学院は二年生から校舎が市内から離れてしまうので、通学に大分時間がかかる生徒は寮生活も良しとされている。

 私はいつまでも夕陽さんの世話になっていてはいけないと思い――夕陽さんには猛反対されたが――あの家から逃げ出すためではなく、自分で自分の事くらいはできるようになるため、家を出た。紅玉の騎士紋章はまだ内に宿っている。だからこそ私も、世の中を知っておきたいと思った。逃げ道ばかりを知るんじゃなくて、自分の意志で進んでいけるようになるために。

「しっかしこれ、どうすっかなあ……」

 昂我君が遠くを見ているのでつられて私も視線を動かす。

「四桜タワー……全長五百メートルの展望台。剛堅のせいでこの次元の因果律は滅茶苦茶だ」

 左前髪の隙間から蒼い炎が見える。零眼が起動している証拠だ。説明はよく分からないけど、零眼はその次元の因果律を理解する。因果律が崩れたせいで不安定な状況が続いているらしい。

「今や四桜市は東京と並ぶ日本の大都市。江戸時代でとある武将が、街を上手く発展した土台を引っ張り出してきやがったせいで、未来が大きく変わっちまってる。戦争で焼かれた場所も違うから、四桜城すら文化遺産として残ってる始末だ。この世界に住む人々の記憶は再構築されたようだが、騎士鎧と零眼を持つ俺達だけは多次元の力に影響されないから、状況を把握できる。だが本来無い物が『そこにある』と因果律が崩れるし、仕事はまだまだ多いな」

 私と浅蔵先輩は因果律を元に戻す術は持っていない。騎士鎧を展開しても対応できるのは、起きてしまった物事に対してだ。

 零眼の力を昂我君は《調律》と呼んでいる。《調律》を使うことで、その状況を元に戻す事が出来る。だから昂我君は剛堅との戦いの末、《調律》を駆使して、街中を走り回り、大都会と化した四桜市を正常化させ、元の形を取り戻そうと暗躍しているのだ。

 一日に使える力にも限度があるみたいで、「本当に少しづつだけど」と言っていた、けど昂我君は本当に頑張ってる。それを知ると私も活力が沸いてくる。

「私に出来る事があったら、いつでも呼んでください。必ず力になりますから」

 意気込む私を見て、昂我君は「おっ」と小さな声を上げた。

「ど、どうしました、珍しそうな声をだして」

「んにゃ、初めて会った時に比べると、なんていうか、頼れるようになったな、と」

「そうですか……私としてはいつも通りなんですけど」

「俯かなくなったし、声も明るくなった感じかなー、うむ、激戦を経て前にもまして可愛くなったのは確かだな」

 うんうんと一人頷く昂我君を見て、脳に言葉が届く時間差を感じた。

「か、かわ――そうやってからかうのは良くないです!」

 はははと笑って、はいっと私に何かを放り投げる。

「うわっ……とと」

 何とかキャッチして手の中を見るとそこには飲み物があった。ひんやりとしていて、おいしそうだが、

「こ、こーひー……」

 しかもブラックだ。

 相変わらずどこから取り出したのか、全く分からなかった。

「にひひ、手品」

 笑ってる顔を見ていた隙に、手の中の飲み物がペットボトルのお茶へと変わっている。いったいどこでこんな技を手に入れたのか、気になるとこではある。

 私たちは飲み物に口をつけ、ほっと一息吐く。

 あの戦いが終わってからは事件の後処理や、二年生になった準備や引っ越しで慌ただしかったので、こうやって日差しの下で、のんびりしたのはいつぶりだろうと思う。

「何回飲んでも、コーヒーがこんな味だったとはな」

 昂我君がボソッと呟く。

「こんな、ですか?」

「苦いし、口の中に味が残って違和感があるし、俺には合わなかったんだな」

 不思議そうな顔をしている私に気が付いたのか、

「あ、言ってなかったっけ。俺、零眼がないとき味が分からなかったんだよ。一緒に身体の感覚も持ってかれちゃったみたいでさ。俺はそれが味覚だったわけ」

「へー……?」

「だから今まで歯ごたえと栄養素でしか美味しいって理解してなかったんだけど、これからは楽しみが増えたな。うん、良いことだ」

 一人納得しているが、私の脳裏にある場面が蘇る。

「それではあの夜、私が初めて作ったオムライスの時、美味しいって言ってくれたのは――」

「あ、あー……き、気がついちゃった?」

「通りで味の事は何も言わないと思ったんです!」

「い、いや、美味しかったよ。他人が作ってくださった料理は全部美味しい! き、気持ちっていうの? やっぱそれが入ってると味覚を知らない俺にもジーンと来るものがあったっていうかさ! り、凛那のオムライスもう一回食べたいなー!」

 慌てふためきながらワザとらしく昂我君は言った。

 今まで料理を作ったことがない人に、なんと残酷なことを言ったのか。確かにその後、夕陽さんにオムライスを振舞ったら、悲しいのか楽しいのか嬉しいのか複雑な表情が入り混じった表情をした後、『流石、昂我様』と言った事の意味に合点がいった。

「いいでしょう、今度、必ず、次こそは、本当に、美味しいって言わせるんだから!」

 寮には食堂があるが、自炊するキッチンもある。

 そこで腕を磨き、次会った時こそは、必ず舌鼓を打ってもらうのだ。

 まだまだ――まだまだまだ彼には、『楽しい』って思って貰わなくちゃいけない。

 私がそう思うのだから、今はそうしたい。

「き、期待してるぜ! 今日はとりあえず、新生した四桜市でもご案内しますかね、騎士姫様」

 昂我君は立ち上がり、仰々しくお辞儀をする。

 相変わらずお調子者なんだから、と思いつつも私は差し出された手に折角だから手を添えた。

 その手は暖かく――雪原で迷う私の手を引いてくれた手だった。

 私も少し、人生捨てたもんじゃないかなって気持ちにはなってきたけど、これから先も浮かんだり沈んだりしながら、迷いながらも進んでいくのだろう。

 今はそれもいい気がした。


 長い長い冬が終わり、雪の下からは植物たちが顔を出す。

 雪原は溶け、春風がそよぐ、新しい季節へと変化した。

 

 新しい季節の始まりだ。

 終幕

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終幕のエンドレスナイト -雪原の紅玉姫ー ひなの ねね @takasekowane

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