第39話 私たちが罪を背負おうじゃないか

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 心臓はもうこれ以上、脈打てないといわんばかりに強く鼓動を打つ。

 立ち止まってやっと気が付いた。

「ここは……どこ?」

 凛那は何故走っているのか、なぜこんな森の中にいるのか全く想像がつかなかった。

(確か酷い頭痛と寒気で病院へ……)

 そのあと浅蔵と簡単な会話をして別れ……そのあとの記憶がない。

(確か待合室で待っていて、先生に名前を呼ばれたところまでは覚えるけど――)

 それにしてもここはどこだろう。

 森は日本の山奥といった風景で、見たことある木々が見受けられる。実際の季節は冬だが、枝葉は青々としていて夏のような日差しだ。

 夏といえば、私はどんな格好をしているのだろうと自分の服装を確認するが、ベージュ色のコートに赤いマフラーで家を出た時の姿だった。

 コート姿だが暑さは感じず、夢のようなふわふわした感覚が取り囲んでいる。ここ最近、身体に感じていた気怠さは消え、久しぶりにすっきりとした感覚がある。

 獣道をローファーでゆっくりと踏みしめながら、とりあえず開けているであろう方向に進む。森の中に生物がいるのか鳥の鳴き声や葉っぱが揺れる音がする。

 風は心地よく、花の香りを運んでいる。根が至る所に生えている傾斜を登る。とても深い山の中だということは分かるが、方向は分からない。

「わあ……」

 坂を上りきって開けた場所に出ると、そこは見晴らしの良い丘になっていた。

 遠くには深い山々が見え、鳶が飛んでいる。見下ろすと段々畑が見え、人の生活を感じられる。丘を下って行けば人里に出られるかもしれない。

 ゆっくりと丘を降る。急斜面というほどではないが、体育がそれほど得意というわけではないので、いつもよりも慎重に足を進める。

 やっと畑に到着すると何かしらの野菜の葉っぱが見える。

 誰かいないか周辺を見渡すと、農道を歩く老婆を見つけた。肩に鍬を背負い、腰には竹で作った鞄のようなものをぶら下げている。腰が曲がっているので大分高齢なのだろう。

 凛那は駆け寄り、お婆さんに少し大きな声で話しかけた。

「す、すみません、あ、あの、ここはどちらでしょうか」

 自分で来て(知らぬ間ではあるが)ここはどこでしょうと聞くのは、少し間抜けだが今はそんなことを気にしている場合じゃない。しかしお婆さんは声が聞こえないのか、全く反応せずに畑を見まわして、鍬を肩から降ろす。

「す・み・ま・せ・ん!」

 想像以上に耳が遠いのかもしれないと考え、先ほどよりもお腹に力を入れて話しかけるが、全く反応がない。お婆さんの前に出て話しかけても、遠くを見ているようで凛那が視界に入っていないようだった。

 そう、まるで見えていないように。

「どうして……?」

 戸惑っていると、お婆さんは歩いてきた農道を見つめ返した。

 つられて同じ方向を見ると、黒い煙が上がっている。

「なんじゃと……」

 お婆さんは歳相応の枯れた声を出す。表情は引きつっており予想外の事が起きたようだ。お婆さんは鍬を担ぎなおして、曲がった背中のまま凄いスピードで、その場を後にする。

「ま、待ってください!」

 せっかく出会えた村人(だと思う)なのだ。無視されても着いて行くしかない。

 しかしお婆さんの走るスピードは腰が曲がっているとは思えないほどの速度だ。凛那が全力で走っても全く追いつかない。むしろ徐々に離されている。林道を駆け抜け、再び息を切らして立ち止まる。お婆さんの姿はもう見えない。その代り黒い煙は徐々に大きくなり、何やら金属音も弾けている。全身がびりびりと震える感覚があり、日常ではない違和感を感じる。

(これは、多分、戦場……?)

 息は上がったままだが、再び林道を駆け抜ける。煙は大きくなり叫び声も耳に届き始める。

 子供、老人、女、性別も年齢も分からない絶叫。耳を塞ぎたくなるような音ばかりが届く。

 凛那は喉がカラカラに乾き、胃をギュッと掴まれた気がして、涙が込み上げてきたが、ぐっと堪えた。

「も、もうすぐだ」

 煙の発生源に辿り着いたとき、時はすでに遅かった。周囲の建物は茅葺き屋根で壁は土壁。古き良き日本の民家が立ち並んでいたようだが、今ではそれも見る影はない。建物は何か鈍器のようなもので叩き崩されたものもあれば、燃やされたものもあり、見るも無残な状態である。

 あまりの有様に目を覆いたくなったが、目の前から足をモツレさせながら走ってくる青年の姿が見え、大声で叫ぶ。

「だ、大丈夫ですか、いったい何が起きたのですか?」

 彼に問いかけても決死の形相で凛那の側面を素通りし、青年は転ぶ。

「て、敵ではないです。落ち着いてください、だ、大丈夫です!」

 振り向いて青年に問いかけても、彼は怯えた表情で凛那を見上げる――違う、後ろを見ている。

 咄嗟にルビー・エスクワイアを展開して、背後を振り向く。

 するとそこには全身を白銀のフルプレートに身を包んだ騎士が、宝石でできたような美しい刀身の片手剣を、青年に振り下ろそうとするところだった。

「止めて、ルビー・エスクワイア!」

 自分でもこんな大声が出たのは初めてかもしれない。自信の声に驚きつつもルビー・エスクワイアに命令するが、そもそも鎧が展開されていない。

「あ、あれ?」

 宝石の剣は無慈悲に凛那共々、振り下ろされる。

 ぎゅっと目を瞑るが宝石の剣は凛那をすり抜けて、尻餅をついている青年をこの世から消し去った。

 絶叫と共に鮮血が辺りに飛び散るが、凛那には鮮血すらかからない。

 そこにいる白銀の騎士もそこには青年しかいなかったかのように、その場を後にする。全身には金の装飾が所々に施されており、最近どこかで見たような既視感を覚えたが凛那は思い出せなかった。

 凛那は叩き切られた青年の姿を確認するのが恐ろしく、罪悪感を持ちながらもその場から立ち去る。何もできなかった代わりに分かったこともあった。

(多分ここは私が知る世界じゃない)

 お婆さんや白銀騎士が凛那に気が付かないように、凛那はこの世界に干渉する事ができない。もしかしたら過去、または未来、はたまた別の世界を見ていると推測できる。もしここが一種の映像の中のようなものだとしたら、ルビー・エスクワイアを展開できないのもそれが理由だろう。凛那はここには存在しないものだからだ。

(でもなんで、私はここにいるの……?)

 とりあえず白銀騎士の後をついて行くと、周囲には老若男女関係なく村人が倒れていた。たまに洋服に身を包んでいる村人もいたが、着物の人もいて時代がよく分からない。

 斬殺や吐血で倒れている人もおり、直視はできないけど、悲しみと悔しさが沸いてきた。

「団長」

 団長と呼ばれ、白銀騎士が振り向いたので凛那も声のする方に振り返った。

 するとそこには真っ赤な鎧に身を包んだ――いや、あれは着用していない。

 展開しているのだ、騎士鎧を。

 しかも赤い鎧の中に見える姿は面影が残っている。

 先日亡くなった姿より十歳から二十歳くらい若い。

「お、お父さん……」

 中はワイシャツとジーンズというラフな格好だ。年のころは三十代だと思う。髪は短く切りそろえられており、精悍な青年といった風貌だ。

「仁、どうした」

「これで村人は全員です」

「そうか、誠司たちはどうだ」

「特に問題は無いようです。ミーティングで話したような反撃もありませんでした」

「反撃が無いに越した事はない。奴らの一撃は騎士鎧を貫通するからな」

 仁と呼ばれた凛那の父親は浮かない顔で村を見渡す。

 今や燃え盛る家々と死体しか辺りには転がっていない。

「本当にナイツオブアウェイクの全人員が必要だったのでしょうか」

「無論だ、これも私たちの子供のためだ、そうだろう」

 仁は答えない。答えに悩んでいるようだった。

「――仁の娘も四歳になったばかりだったか」

「はい」

 小さく頷く。

「俺の子もいずれ騎士紋章を受け継ぐ。それを思えば仕方のない事だ」

「分かってはいるんです。理解はしているのですが――」

 仁の返答は歯切れが悪い。

「私たちの騎士鎧は何百年も眠ったままでした。それが、こんな。初めて展開するところが、こんな――同士討ちのような」

「同志? いや違うな、仁。奴らは私たちの喉元に常に牙を当てている狩人だ。その遺恨を断ち切らねば、いずれ子らもこ奴らの手に掛かることもあるだろう、それでも良いのか?」

「いえ、それだけは絶対に」

「そうだ。我ら騎士は騎士紋章に従い人生を狂わせられてきた。そして零という存在にも怯えてきた。その二つの因果を断ち切らねばならない。皆が賛同してくれて嬉しく思うよ、仁」

「団長……そうですね。出来る事なら未来の子供たちは戦いに身を置いて欲しくない。こんな生臭いところに立たせたくない。だからこそ、やらねばならない」

「私たちが罪を背負おうじゃないか」

 そう言い残して白銀騎士はこの場を立ち去った。

 仁はまだ周囲を見つめ、唇を強く噛みしめている。きっと何が正しいのか思案しているのだが、答えが出ないのだろう。勿論彼が展開する騎士鎧も何も答えてくれない。

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