第36話 すまないじゃなくて、ありがとう
伸ばした腕は力なく水面から離れて、
「昂我様!」
腕を引っ張り上げられ、昂我は大きく咳込んだ。
「ガ、フ、ガフッ!」
口から生臭い水が吐き出される。
体は引きずられるように、無理やり水面から引っ張り上げられた。
「な、なんという重量――少し痛いでしょうが、我慢してくださいまし」
霞んだ瞳で見上げると、そこには青と白を基調としたエプロンドレスを着た少女、ナイトレイ家のお手伝いさん、夕陽がいた。
「う、うがああっ」
「止血いたします」
脇腹を見ると貫かれたと思っていたのに鉄パイプは刺さっておらず、黒いパーカーは赤黒く己の血に染まっていた。
「出血は酷いですが異物はありません。不幸中の幸いか、何かが衝撃を吸収したのでしょう」
衝撃を吸収するようなものを身にまとっていた覚えはなく、あの感触は鉄パイプが体に刺さった気でいたが、どうやらそれは思い違いだったようだ。
「一度お屋敷に戻りましょう、お話は歩きながら」
何処から取り出したのかびしょ濡れの昂我をタオルで拭きながら、急いで立ち上がらせてくれた。彼女の表情からも焦りが感じられ、何やら嫌な予感がする。
「お背中をお貸ししましょうか」
「ありがとう夕陽さん。大丈夫さ、こう見えて鍛えてるんでね」
改めて歩きだそうとするが、足を河原の朽ち木に引っ掛けて転びそうになり、夕陽に支えられた。
「ふふ、肩をお貸ししましょう」
「すまない、今日は調子が悪いようだ」
走っていた時よりも体が重い。服がびしょ濡れになり脇腹が刺され体力が落ちていることも考えられるが、それ以外の要因があると思うのは確実だった。
何故なら河原にこれほどはっきりとした昂我自身の足跡が付くはずがない。通常の体重に加えて三十キロは増えているのではないだろうか。
夕陽の力を借りて傾斜を何とか登りきる。ファントムの姿は近くに見当たらず、もしかしたらまだ昂我を探しているのかもしれない。
あのファントムが明らかに昂我に対して、何らかの意思を持っていた気がするのは確かだ。しかし奴に追われるような理由は分からない。
体重も増加し、何度か咳込む昂我に気を使いながら、夕陽はゆっくりと、だが急いでナイトレイ家を目指した。
いくらか落ち着いたころ、夕陽が口を開く。
「お時間がございませんので、失礼かもしれませんがお許しください」
夕陽の声は焦りが消えておらず少し早口だ。
「ここ最近――正確には黒騎士を拘束した夜から、凛那さんと何処かでお会いしましたか?」
(黒騎士を拘束した夜……あの零の日からだろう)
「いや、俺はあの後、風邪で数日寝込んでしまって……会うどころか連絡も取ってなかった」
「そうですか……」
当てが外れたのか夕陽の声は明らかに残念そうだった。
「凛那さんのお姿が一昨日からありません」
「な、何だと」
「いなくなる前はここ最近お体の調子がすぐれないとのことで、市内の病院へお一人で向かわれました。私もあのとき着いて行けばよかったのですが、その後、浅蔵様のお屋敷にもご用事があるとのことだったので、私は自粛したのです」
零に言われた「ナイツオブアウェイクが集合する」の意味を、病院の後に浅蔵家へ話し合いに行ったのだろう。
「私の落ち度でした。いつもならば途中まででもお見送りいたしましたのに――」
「夕陽さんのせいじゃない。それで浅蔵には連絡したのか?」
「はい、その日の夜、遅くなる場合は普段なら連絡があるのですが、何の連絡もなかったので夜分遅くではありましたが、浅蔵様に確認いたしました」
「だが、いなかった……と」
「はい。浅蔵様のお父上、浅蔵剛堅様が経営なさっている病院が掛かりつけですので、そこで一言二言、壬剣様と会話した程度だったそうです」
「つまり病院で見たのが最後か」
「はい。浅蔵様も現在捜索してくださっております。私もこうして凛那さんを探していたら、丁度、昂我様を見つけました」
「夕陽さん、だったら今戻るわけにはいかない。凛那を探さなくちゃ」
「駄目です。凛那さんのご友人、昂我様をこのままにはしてはおけません」
「俺だったら大丈夫、ほら、この――通、り」
夕陽さんの肩から手を放し歩こうとしたのだが、膝を折り地面に手をついてしまう。
(駄目だ、血が足りない……)
視界はふらつき、足の芯に力が入らない。
「強がりは良くありません。このまま凛那さんを探しに行ったとして、昂我様の事を聞かれたとき、私は何と答えられましょう」
「ぐっ――」
「それに昂我様も、逆のお立場になったらそうなさると思います。だから今は急ぎましょう。浅蔵様も一度こちらのお屋敷に合流なさるお時間ですから」
「何から何まで……すまない」
助けられ、こうして肩まで貸してもらい、再び二人の騎士に力を貸してもらうことを不甲斐なく感じていた。自分にも戦う力があればと考えるが、今はあんな化け物を退けるほど人間離れした能力は流石に有していない。
「珍しいですね」
夕陽さんがナイトレイ家へ続く坂を登りながら、不思議そうに言った。
「ん?」
意味が分からずに昂我は首をかしげる。
「弱音を吐く姿、初めて見たかもしれません」
「そ、そうか?」
弱気を吐くのはそんなに珍しいだろうか。
「いつものイメージとは少々違いました。普段は皆さんを励ましておいででしたから」
「……こういうときこそ、すまないじゃなくて、ありがとう、だな」
自分の顔を何度か軽く叩いて気合を入れる。
走馬燈を見たり、血を少し流しすぎて弱気になっていた。
「ここまでありがとう。もう一人でも歩けそうだ」
今度は強がりじゃない。やる事があるのだ、この重たい体も背負ってまだ歩ける。
昂我の表情を見て夕陽は理解してくれたのか、無理はなさらないでくださいと言ってくれた。
ナイトレイ家に到着後は夕陽から改めて治療を受けた。彼女の治療は素人目から見ても手馴れているのが分かる。彼女曰く、凛那さんにもしもの事があったら、いつでも治療できるように覚えました、との事らしい。
びしょ濡れになった服を無理やりドライヤーで乾かし、少し湿っていたがすぐさま凛那捜索の準備を終える。
時刻は丁度日を跨いだ頃だった。
もう少しで浅蔵が来る時間というので、いても立ってもいられず外で待つ。
見上げた空はどんよりとしていて、雪がちらつき始めている。湿気を含んでいない粉雪で、手のひらに落ちると、すぐに溶けて消えてしまった。高梨がこれから雪が積もるといっていたがその予報は的中したようで、もっと強くなるだろう。
二人は大丈夫だろうか。凛那を探す流れで、あの二人の様子も確認したほうが良いだろう。幾ら戦術的撤退をしたといっても罪悪感は残っている。
「きたか」
坂道を上ってこちらに向かってくる、白いコート姿の浅蔵が見える。
表情は険しく、より今の現状が深刻だと感じられた。
心配そうな夕陽も外へ出て浅蔵をお出迎えをする。
「遅かったな、早く探しに行こう」
近寄ってきた浅蔵に声をかけると、彼は昂我を追い抜き、夕陽の前に立ちこちらを振り向く。
そして白く輝く左手を強く握りしめ、昂我へと腕を伸ばした。
つまりダイヤモンド・サーチャーを展開し、昂我の喉元に剣を突き付けた。
「信じたかった、貴様をな」
剣先が震えている。浅蔵の感情がダイヤモンド・サーチャーに伝わっているのだろう。
「ど、どうした……」
分けが分からず、微動だにできない。
「もう分かっている、ただの高校生のフリは辞めろ。僕たちと同じように振舞えば騙しとおせると思ったのか?」
浅蔵の瞳は真っすぐに昂我を見据えている。まるで他人を見るような眼に昂我の体が竦んだ。
「裏切者の黄玉騎士、赤槻昂我!」
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