第23話 紅槍
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昂我が後方に下がったのが凛那も感覚で感じ取れた。
レプリカに侵食されているせいか騎士紋章が昂我にも反応しているので、なんとなく居場所が掴めるのだ。
黒騎士の爪は確かに鋭いが一撃が遅く、ルビー・エスクワイアでも何とか避ける事が出来る。しかし槍で受けとめる度に衝撃が伝わり、徐々に後退するのも分かる。
(ち、力では勝てない――!)
目を薄っすら開くと赤い鎧の騎士が戦っており、肩越しに眼が黄色に輝く獣の姿が見える。
(あの獣がルビー・エスクワイアを突き破り、私に爪を立ててきたら――)
想像するだけで身震いがする。獣の様な息遣いと叫び声、一撃で人体を真っ二つにする様な爪、一瞬で凛那は絶命するだろう。
「う……」
集中が途切れ、自分が喰われるイメージが脳内に蔓延る。
(い、今は集中しないと――あの時と同じになる!)
改めてルビー・エスクワイアに意識を向けると騎士鎧と視線が同調し、感覚的に鎧を動かすことが可能となる。はじめて動かしたときより重量感がないのは、きっと浅蔵が渡してくれた『蒼の髪飾り』のお陰だろう。
今も装着しているが、髪飾りを付けている場所が熱を持っているように感じる。
(けど、もし、もし私がここで打ち負けたら――)
奮い立たせた心は不安な将来を想像するだけで、簡単に瓦解してしまう。
分かっているのだ。
凛那はいつも未来を想像して不安になり、泣き寝入りを言っては、いつも自分に都合よく解釈して物事から逃げてきた。だからこうして『逃げられない壁』が現れた時、心は恐怖と不安そして責任の重さに支配される。単純に戦う行為が怖い、逃げたい、自分が失敗したらどうなるのか、誰かが何とかしてくれるのか。
そこに答えはない。誰も答えてくれないし、いつもの様に逃げ道もない。
今もこうして、自分を奮い立たせたばかりだというのに、またすぐ不安になっている。
凛那の意思に連動するようにルビー・エスクワイアも動きが鈍り、爪の一撃に体勢を崩す。
あまりの重たさに地面に膝を付きそうになり、何とか持ちこたえるも次の一撃を避ける程の余裕がルビー・エスクワイアにはなかった。
「う……っ!」
終わる。
気迫に負け凛那は尻もちをつく。
(四桜公園の時も騎士としての責任を悩み、昂我君を犠牲にした。そして今も――)
あの時の黒騎士の攻撃の責任が遅かれ早かれ、振り下ろされるだけだ。
結局責任と恐怖の重みに耐える事が出来ず、凛那は――死を受け入れて、逃げようと。
「うおおおおおおらあああ!」
四方をビル内に囲まれた閉鎖空間に轟く、魂の叫び。
絶叫と共に訪れたのは鉄と鉄が討ち合う乱暴なまでの爆音。
「ぐがあっ」
小さな悲鳴を上げて、黒騎士がその場から一歩飛び退った気配を感じ、凛那の意識は現実に呼び戻された。
「俺が相手だ、鉄クズ野郎!」
目の前で黒のダッフルコートが風に揺れ、舞い煽られながら飛んでいく白い三角巾。
「うちのお姫さんに手を出す奴は俺が許さねえ――って一回くらいは人生で言ってみたい台詞、ベスト七くらいだよな」
黒騎士から視線を外さずに、昂我は冗談交じりでそう言った。
きっと今日も前髪で左目を覆いながら不敵に笑っているのだろう。
「あ、でもこんな時こそ『人生、捨てたもんじゃねえって思わせてやったぜ!』とか言った方がカッコ良かったか? でも決め台詞悩んでる時点でカッコ悪いか、クソ、しくじったぜ!」
主人公になりてえ! なんてぼやきながら、昂我はその場でファイティングポーズをとる。
「凛那、俺がフォワードをやる。この鋼鉄の拳でな」
尻もちを付いた凛那はやっと立ち上がり、前を向いたまま左腕を握る昂我を見る。
巻かれた包帯は所々外れており、今や肩まで浸食さたガントレットが露わになっている。
「黒騎士程とは言わないが同じ素材には違いないだろう。もし殴られたとしても何発か耐えられるはずだ。その間に隙を狙って撃ちこめ」
「でも、私、今もまた――」
「大丈夫、凛那ならできる」
言葉を遮り、一瞬だけこちらを振り返って昂我は優しく微笑む。
「一度の失敗がなんだ、二度の失敗がなんだ。三度目、四度目も失敗は想像する価値もない。あるのは『次は成功する』って意志だけだ」
「昂我君……」
「頼んだぜ」
昂我は黒騎士が駆けだしたのと合わせて走り出した。元々運動神経があるのか、それとも戦う意志があるのか、昂我の動きは素人の凛那から見ても無駄がなく、まさに蝶の様に舞い、蜂の様に刺す一撃を繰り出している。
爪が頭上から振り下ろされれば、身を半歩ずらして避け、黒騎士の兜に左腕を撃ちつける。薙ぎ払う様に爪が振るわれれば、半歩下がり、すぐさまストレートを兜に叩きこむ。
「今しかない……!」
(余計な事は考えるな。失敗なんて考えるな、成功なんて考えるな。騎士の責任なんて思い出すな。ただ自分自身にしかできない事に集中しろ)
ルビー・エスクワイアの動きに合わせて、凛那も重心を落とす。
凛那は今まで武道を知らない。けれどこのルビー・エスクワイアは人類が文明を持った頃から数多くの騎士を守ってきた紅玉の騎士鎧。凛那が動くのではない、ルビー・エスクワイアが動き、身を任せれば、きっと浅蔵の様に凛那自身が鎧を身にまとった一撃を放てる。
昂我と黒騎士が討ち合う姿を俯瞰で眺めているイメージ。
(私は黒騎士を狙い撃つだけ)
ルビー・エスクワイアが持つ紅槍が手に移った気がした。
手に持った槍の重みをしっかりと感じながら、ルビーの原石で出来た切先を黒騎士の頭部に定める。
タイミングは二人が離れた時が――そんな考えも思考の海に溶けていく。
意思に同調したのか、紅槍の側面に付いている騎士団の旗が勝手に外れ、黒騎士の頭部目がけて紅槍が走る道筋が生まれた。
両足で地面を感じ、腰を捻り、《月をも貫く槍》を右腕で後ろに引く。
小さく息を吐いて、そして側面から投げる。
時間が停止したように感じ、槍の周辺にある空気が全て刃先に吸い込まれていく感覚。荒削りなルビー原石の刃先が、初めて見た時よりも研がれている気がした。
「――貫いて」
黒騎士がこちらに気が付いた時には、時すでに遅し。
昂我は紅の道筋が見えた時に、全力で後方へと飛び退いている。
《月をも貫く槍》は黒騎士の兜目がけて彗星の様に闇を斬り裂きながら進み、直撃。
一瞬の静寂の後、衝撃波が二人の鼓膜を揺らした。
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