第22話 これ以上、迷えない!
「大丈夫か?」
「は、はい……最近、騎士紋章が反応するとたまに眩暈が……で、でも大丈夫です。もし、これで、終われば……しっかり休めますから。む、向かいますか?」
体調が悪ければやめた方が良いと昂我は言おうとしたが、彼女の瞳は珍しく昂我を真っすぐに見つめている。もしここで見逃せば、再度発見することはできないかもしれない。そうなれば昂我を助けるチャンスが減ってしまうと彼女は考えているのだろう。
凛那は昂我の顔を見て判断を仰ぐ。彼女の表情には決意の他にも不安の色も色濃く残っており、自身の袖を掴む手に力が入っている。
負い目だけではない、何らかの意思を感じた。
「やれるのか」
「こ、怖いです。けど――昂我君の腕を見ているとこれ以上、逃げたくない……! 助けてくれた人を、み、見捨てられない……と思うんです」
彼女は胸の奥から振り絞るように声を出す。
「覚悟を決めれば一歩を踏み出せる。大丈夫だ」
昂我は右手の親指を立てて、彼女に見せた。
「……まあ、戦わない俺が言う台詞でもないか」
ははは、とお互いに笑いあい凛那は騎士紋章が反応する方向を向く。
「い、行きます」
司令塔の浅蔵がいない事も不安ではあるが、ダイヤモンド・サーチャーの《全知の視界》は通用しない。ならば凛那のルビー・エスクワイアで倒すしかない事に変わりはないだろう。
走り出した凛那の後に付き、ビルとビルの間に身を滑り込ませる。
方角は四桜公園ではなく、オフィス街。ビルの間は街灯もない暗闇だが、月明かりが僅かばかり差し込んでいる。薄暗く狭い汚れた路地を走ると距離感が分からなくなるが、十分ほど進んだ頃だろう。四方をビルに囲まれた開けた場所に出た。
「ここは取り壊し損ねたビルってとこか?」
高さは三階建てくらいだろうか、建物の半分は瓦解しており、取り壊し途中のまま放置された印象がある。近くに建機がないからおおよそ当たっているだろう。周りをビルに囲まれ、いつから放置されているのか全く想像がつかない。空から見ればここだけテニスコートくらいの広さがぽっかりと空いているのではないだろうか。まさに人目の多い現代で、隠れて体力を回復するのにうってつけの場所だ。
「ここに、います」
凛那は空間の中央で辺りを窺う。昂我も彼女の視線が補いきれない場所を探す。お互いに背中合わせになり、建物の影、路地、半壊した建造物を注視する。
と、唸り声が聞こえた。
(子供の頃に聞いた、狼のような声だな)
獲物を見つけた声がビルの壁に反響して響き渡る。
「――上だ!」
ビルの壁面から唸り声が聞こえ、二人は見上げる。
そこには獣のように、四足でビルの壁に爪を立ててへばりついている黒騎士の姿があった。初めて会った時の人間的な面影はなく、装着している黒鎧は生物的な変化がもたらされていた。
ガントレットとグリーブは鷲の爪の様に鋭く、ビルに突き刺しても自重を支えている。兜の隙間からは黒い髪の様なものが漏れ出しており、瞳は爛々と月の様に黄色に輝き、人ならざる気配を発する。
「グルルルル」
唸り声は鎧の中で反響しエコーが掛かって、より不気味さをだしていた。
「こ、ここで仕留めます!」
今や人としての理性を失った黒騎士を見て、凛那の左肩が淡く赤く光る。コートを着ているにも拘らず、外まで輝くという事は相当強い光なのだろう。
「お、なんとなく見えるのは、こいつのお蔭か?」
凛那を中心として赤い甲冑が出現するのを昂我は肉眼で確認した。騎士鎧は騎士にしか見えないと聞いていたが、昂我にもボンヤリ見えるという事は、この左腕の侵食のせいだろう。
「グ、グアアアアアア!」
黒騎士は壁に爪をたてたまま、こちらを威嚇するように吠える。
凛那は祈る様に両手を胸の前で組み、ギュッと目をつむる。
すると凛那の髪留めが蒼い炎を灯したように輝く。凛那は頭を少し押さえながらも、しっかりと黒騎士を補足する。
「ヅアア!」
咆哮と共に黒騎士が凛那に向かって跳躍する。スピードはさほど速くない。まだ普通の人間でも避けれる速度だ。しかし凛那は目を瞑っているのでそこから動かず、祈りに集中している。
「凛那!」
昂我が叫んだ瞬間、空間に弾ける金属音と火花。凛那のルビー・エスクワイアが黒騎士の初激を防いだのだ。黒騎士は空中で猫の様に一回転し、離れた場所に着地する。
「お、思ったとおりに動いてくれた……!」
彼女が黒騎士を見つめたまま、小さな胸を撫でおろす。その間も蒼い髪飾りが青白く揺れており、彼女の行動をサポートしている様だった。
「あ、貴方はもう、意志はないのですか?」
獲物を前にした獣のような黒騎士に対して、凛那は出来る限りの声を上げて問う。
「ひ、人としての意思も帰る場所も、過去の道筋も全て失ってしまったのですか!」
「ウググ」
彼女の問いに反応しているのかいないのか、黒騎士は小さく唸る。
「で、出来れば争いたくないです。何を今更とは思うでしょうが……誰とも傷つけあいたくないんです!」
「ウガアアアア」
凛那の問いをかき消すように黒騎士は吠える。
「凛那、覚悟を決める必要がある」
「やっぱり……もう人ではないのですね……でも、もう迷わない……これ以上、迷えない!」
黒騎士が足に力を込め、走りだした。
ルビー・エスクワイアが《月をも貫く槍》を構えるのが分かる。
意識を集中すると彼女が持っている紅槍が徐々に姿を現す。見えにくいとは言っても『核』となる部分なのだろう。他の部分より若干姿を捉えられる。
三メートル程の紅槍は先端に赤いゴツゴツしたルビーの原石が確認でき、まだ削られていない無骨なものだ。それが槍の先端と刃の部分の全てを形成しており、切れ味が鋭いとは思えない。槍の側面には旗がはためいていて、何らかの紋章が刺しゅうされている様に見えるがそこまでは目視出来なかった。
「昂我君は……私が、私が守るから」
己を鼓舞するように自分に言い聞かせ、ルビー・エスクワイアが走り出した。
黒騎士とルビー・エスクワイアが刃を交える度に火花が辺りを照らし、周囲を光で染める。
爪の一撃に素早さはないが、十分な重さがあるのかルビー・エスクワイアが押されているのが見て取れる。そのままルビー・エスクワイアを突破されては、凛那自身の身に爪が振り下ろされるだろう。
騎士鎧は基本的に騎士を守る一般的な鎧と意味合いは変わらない。攻撃されれば主の代りに防御し、砕かれれば主が傷を負う。鎧が破壊されない限り本体はダメージを負わない。普通の鎧と違うのは特殊能力を持つ事と意志で動く事か。
昂我は凛那の後ろで護られているばかりでは邪魔になると思い、後方へと下がる。
瓦礫の内部に何かあれば、彼女のサポートができるかもしれない。
半壊しているビルに入口はなく、建物は真上から真っ二つに崩れ、玩具の家の様に中が丸見えである。せめて黒騎士の気を逸らせるきっかけさえあれば、ルビー・エスクワイアが槍で止めを刺せる筈だ。
後方を振り向くと未だに凛那と黒騎士は、その場で激しい攻防を繰り広げている。
凛那の表情は見えないが、やはりルビー・エスクワイアの制御に慣れていないのが分かる。彼女は戦闘のプロではない。つい先日まで普通に生きてきた女子高生なのだ。
内心、もう少し耐えてくれと思いながら瓦礫の中を走り出す。崩れた瓦礫の中には逆さまになったデスクや椅子。何処から飛んできたのかゴミ袋や段ボールが捨ててあった。
「くそ、何もないのか」
こんな場所には鉄パイプの一つでもあるだろうに、と勝手に考えたがそれに該当する物は一つもない。
(何か黒騎士の攻撃を一撃でも防げるほどの硬度を持った物で、俺に扱える物さえあれば――)
そもそも現代兵器は騎士や人外の者には効果がないと、浅蔵が言っていた。こんなビルの隙間に都合よく黒騎士に対して有効な攻撃手段があるとは思えない。
(万事休すか――?)
昂我は瓦礫に左腕を叩きつける。甲高い金属音が半壊したビル内に反響しては消えた。
「……なくは、ない、か」
昂我は振り返り凛那を確認すると、護るのに手一杯で攻勢に移れないのが分かる。
やはり、今の切り札はこの程度しかない。
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