第12話 雪は見ている分には好きだな

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「冬は何でこんなに寒いんだろう」

 夜空を見上げながら昂我は呟いた。

 空気が乾燥し、街明かりも少ないせいか空には満天の星が瞬いている。

 吐く息は白く、右手はかじかんでいるが左手は寒くない。さすが人知を超える防御力を誇るガントレットである。

「雪は見ている分には好きだな」

 雪が降り、世界が静寂に包まれている時。朝起きて雪が積もっている時。あの世界が変わった瞬間は心に訴えかけるものがある。いつか消えてしまう風景だからこそ、美しく見えるのか、知っている世界が別の顔を映すから綺麗に見えるのか。毎度の事ながらそこはよく分からない。

「まあ、降ってない方が歩きやすいけど」

 時間は夜二十時。辺りは静まり返っている。この四桜市は東北地方の中でも一番人口の多い都市である。四桜駅中心はビルや商業施設があり、アーケード街なども有名だが、数キロ離れてしまえば周辺には畑や田園が並ぶ。

 元々野山で育った昂我にとっては、それでも十分すぎる大都会だが。

 ナイトレイ家から赤槻家までの道のりは約二キロ。

 一級河川を右手側にして昂我と凛那は街灯の下をゆっくりと歩いていた。

 地面には未だ溶けきらない雪の塊があり、シャクシャクと小気味良い音が聞こえる。

 凛那は昂我の数歩後ろを歩いており、家を出てからもずっと俯いたままだ。

「夜遅いのに、ついて来てくれてありがとな」

「い、いえ、ご家族の方にはしっかりとご挨拶をしたいので」

 凛那はそう言いながら、雪の上を危なっかしい歩き方でふわふわ歩く。昂我は何度目かの減速をして凛那と並び、再度並んで歩きだす。先ほどからこの繰り返しだ。

 並んで歩いては凛那が遅くなり、昂我がスピードを落とす。

 雪上に慣れていないのではなく、凛那が気落ちしているのが原因だろう。

「あんまり気にしなくていいんだぜ、こいつの事」

 隠すために夕陽に包帯でぐるぐる巻きにされた左腕を叩くと、冬空に重々しい音が響いた。

「……そうもいきません。私があの時、迷いさえしなければ、もっと上手くルビー・エスクワイアを扱えていれば、誰にも迷惑はかからなかったと思うんです」

「迷いねえ……何を迷ったんだ?」

「え?」

 質問に意表を突かれたのか凛那はキョトンとし、顔を上げる。

 星明かりに反射して、蒼い髪留めが煌めいた。

「何を――ですか」

 彼女は思い出す様にぽつぽつと語りだし始める。

「わ、私がこの騎士紋章紅玉を亡き父から偶然受け継いだのは最近です。遺品を整理しているときに出てきて、私の体に騎士紋章が刻まれました。その後にナイツオブアウェイクとか騎士鎧とか、詳しい話を兄さんからお聞かせいただいたのが一昨日なんです」

 話す速度に合わせる様に二人のスピードも緩やかになる。

「改めていわれると何に迷ったかはハッキリとは言葉にできません……で、でも多分死についてです」

「死?」

「はい、わ、私は幼少時に母を亡くした時、あまりにも私自身が幼すぎてピンときませんでした。でも父が亡くなって感じたのです。とても身近な死を。もう二度と会えない事や話が出来ない事、これからの姿を見る事も叶わない事。父がどんな生き方をしてきたのかも私は知らず――そういった全てが『死』なんだなって実感したんです」

 今の人間社会は文明によって守られているから、死は特別で遠いものだと感じられるが、それは錯覚で、本来死はいつも生者の背中にいるとても身近な存在だ。

 凛那はそれを感じ取ったのだろう。

「……だから、あのとき黒騎士に対して迷いました。頭の中は真っ白だったけど、槍を投げてしまえば――その人の今まで歩んできた人生が全て消えてしまって……悲しむ人もきっといて、彼がこれから出来る事も沢山あって――それら全てを私の一撃によって奪うのが、怖かった……と思うんです」

 彼女の吐息は雪のように白い。気が付けば寒いのか凛那は肩を抱いていた。

「と、突然騎士になってしまったから……わ、私はなんの覚悟もなく――兄さんの様に騎士として人類を守るなんてしっかりとした考えも、自分の騎士としての責任も……私には、頭では分かっていても心に落ちてこなかったんです。夢の様な話で――今でも長い夢を見ているようで、ここが現実じゃないみたいで、でも死とか責任とか、それだけが、全てが重たくて――いくら考えても答えが出なくて――」

 凛那の声が震え、立ち止り、小さく嗚咽を漏らす。

 きっと今まで誰にも言えなかったのだろう。

 騎士紋章を持っていた父は亡くなり、普通の生活から突然人類を守る騎士になってしまった。

 騎士団長として誇りや責任を持っている浅蔵もいたが、凛那の事だから強い意志を持つ者に、騎士としての弱音を吐けなかったのだろう。

 この小さな胸に騎士の責任や、両親を失った孤独を押しこんできた。その上、昂我が彼女を黒騎士の攻撃から庇ってしまった。命は助かっても誰かを犠牲にした気持ちは重たいだろう、特に彼女のような性格では適当に流すこともできない。

 真摯に受け止めるからこそ、心が痛いんだ。

「――じ、自分でも、分かっているんです。わたし、が、戦えない事が……戦う理由もない事が……本当は、私が何も守れない事が……出来る事ならこの紋章を――受け継ぎたくは、なかった」

 でも、と彼女は嗚咽を交えながら続ける。

「誰が、この責任を、紅玉の、騎士の責任を、負うのか。いえ、それすらも、綺麗事――ですね。私はただ、誰も傷つけたくない……多分、自分自身も。そして、それが本来の騎士としての務めから見れば間違っている事も、わか、わかるんです。自己を犠牲にして挑む姿が、正しいのは分かっているんです……でも、私には――」

 凛那はそれ以上、何も語らず、その場に座り込んでしまった。

 普通の女子高生として生きてきた女の子が、人類を守る騎士というシステムに組み込まれた結果が、この姿だった。

 人類を守る役割というのは、誰が聞いても正しいと称賛するものだろう。

 人知を超えた力を得れば、誰が聞いても胸躍るものだろうし、羨ましがる者もいるだろう。

 力と使命を持ってしまったら、決められた役割を果たせと誰もが言う。

 その考えが世の正論ならば尚更。

 しかし実際、力と運命を背負えば――どうだ。

 こうして自分が背負った責任に押しつぶされそうになっている女の子が一人いる。

 あのとき黒騎士を前にして諦めた表情はこれだったんだ。

 だからあのとき彼女の前に出た。

 必死に戦いながらも答えが出ず、絶望する姿。最後に浮かべた諦めの表情。

(それはあまりにも悲しいじゃないか)

 自分を無理矢理納得させ、諦めて死んでいくのを昂我は許せなかった。

 どんな状況であれ、答えを得るために一歩踏み出した意思が、消えてしまうことが耐えられなかった。

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