第15話『トモダチ』
ケルベロスは名を持たない。
それは、彼らが群れを持たず、子育てもしないという、知性体でありながら珍しい習性を持っているから、らしい。
生まれてから数週間は、野生での生き方を教わり、それからは、一匹で生きていく。
彼らの住む、俺が今いる異世界ともまた違う、現世でもない世界は、生存競争が激しく、群れでいるより、個々が別れて繁殖し、広い地域に分かれたほうが、生存率が高いと判断したのだろう。
召喚されるのも、その延長線上の様なものらしい。
ソウドも、一般的なケルベロスと同じく、異世界で生きていたところを、召喚されたのだという。
「俺はケルベロス。呼ばれた以上、最高の働きを約束しよ――」
周囲を見ると、誰も居ない。
そこは、森の中らしく、はて、と首を傾げる。召喚された以上、彼を召喚した魔法使いがいるはずなのに、と。
「ケルベロス……」
声がして、足元を見ると、そこには、一人の少女がいた。金色の髪をあっちこっち好き勝手に伸ばした長いボサボサ頭の、真っ黒いボロ布を着た少女が、まっすぐソウドを見つめていた。歳は、おそらく10歳に届くかどうかとのこと。
「……あん?」
「呼んでない……」
「……な、に?」
少女の、呼んでないという言葉は、あらゆる意味でソウドのプライドを傷つけた。ケルベロスを呼ぶのであれば、それに見合うだけの目的と、彼を従わせるだけの魔力が必要となる。
それを、まるで間違い電話のような気軽さで、間違いだったと言ってくるのだ。高級車に十円傷でもつけられたような怒りが湧いたのだろう。
「呼んでない、たぁ……間違いだ、ってことか……クソガキ……」
「うん……ごめん、なさい……」
小さく頭を下げ、そのまま立ち去ろうとする少女に、ソウドも堪忍袋の緒が切れたらしい。牙を鳴らし、立ち去ろうとする少女に向かって、飛びかかった。
「この俺様を呼び出して、その程度の詫びで済むと思ってんのかクソガキがぁ!!」
そうして、牙で頭を割り、飛び出す脳汁の旨味と、頭蓋骨の硬さを味わってやろうとした、が、寸前で牙が止まった。
否、止めざるを得なかったのだ。
まるで、磁石のS極とM極が反発するように、少女と、ソウドの牙が触れ合うことはなかった。
「
バックステップで離れ、少女を睨むソウド。よく見れば、その少女から溢れ出す魔力を感じる事ができた。魔法使いの子供だと侮ったのは、彼にとって、非常に手痛い事らしい。
精神の堕落を恥じ、ソウドは、全身の毛を逆立てた。警戒態勢である。
「お前……何者だ……ッ!?」
「……ミティラ。ミティラ・マヤ」
少女、ミティラは、そう言って、ソウドに近づいてくる。一歩彼女が近づいてくるごとに、ソウドも一歩下がる。
彼女の魔力は、ケルベロスであるソウドのそれを遥かに上回っていた。魔力とはすなわち、筋力のような物で、ある程度までは万人平等に伸ばす事ができるものの、そのある程度をどれだけ越えられるかは、才能に依るとの事。
そして、ミティラの魔力は、その努力という物を、まるであざ笑うように大きかった。少女の小さな体が、何倍にも大きく見えるほど。
「友達を、呼びたかったのに……」
「と、友達、だぁ?」
その言葉に、思わず立ち止まり、ソウドは、少女の接近を許してしまった。手が届くほどの距離に立った彼女は、ソウドの頭をそっと撫でた。
「……ごわごわ」
「なら触るんじゃねえッ!」
「もっと可愛くて、私の、友達になってくれる子がよかった……」
ほしかったおもちゃとは違うおもちゃをプレゼントされた様に、しょんぼりと俯くミティラ。
「……ま、まさか、愛玩用の魔物を呼ぼうとして、俺を呼び出した、ってのか?」
頷くミティラ。
絶句。頭から、言葉が消えるソウド。
「どれくらい魔力注ぎ込んだらいいかわからなかったから……全力でやってみた、んだけど……」
まさかこんなのが来るとは、と続いてもおかしくないほど、落胆の色が濃い言葉だった。
そこで、またブチ切れてもよかったのかもしれない。しかし、ソウドは、もうわかったのだ。
眼の前の少女が、百年に一度という言葉で括れるか否かの、天才だと言う事に。
「はぁー……」
ため息を吐いて、ソウドは、地面に突っ伏した。
「わかった。お前が間違いだ、というのは納得した……」
これ以上争っても、ソウドはミティラを殺せないし、逆らえない。ミティラの強すぎる魔力が、ソウドを縛っているのだ。
「間違いなんだろう? 俺に、用はないんだろう。なら、俺を元の世界に返せ。契約を解除しろ」
「やり方、わかんない……」
また絶句。
一体何だ、このちびは?
ソウドの心にあるのは、その疑問だけ。ケルベロスを召喚するなんて大魔法を使ったわりに、契約の解除という初歩の初歩を知らないアンバランスさ。
「ばっ、バカな事を……。契約と、その解除法は、同時に学ぶんじゃないのか」
「契約の仕方しか、読んでない……」
何がなんだかわからない。
だから、ソウドはとにかく事情を聞いてみようとした。
少女はどうにも、誰かと会話する事に慣れていなかったらしく、聞き出すのに非常に苦労したが、どうやら簡潔に言うと、こういう事らしい。
ミティラ・マヤ。
親の事はもう、覚えていないほど昔に、捨てられたらしい。あまり魔法が歓迎されない宗教のところで生まれた為、魔法の才能がありすぎる彼女は、悪魔の子と呼ばれ、捨てられた。
それからは、服さえままならない生活を送り、溢れ出る才能でなんとか危機を乗り越え、そして、捨てられていた魔導書で、召喚術を覚えた。
召喚術を覚えた彼女が、まず考えたのは、たった一つ。
『友達が、できるかもしれない』
だからミティラは、契約の解除なんてページは読まず、覚えた方法で、召喚を試した。
「……そして、出てきたのは、俺ってことか……」
頷くミティラ。
はぁ、とため息を吐き、ソウドは、諦めた。
認めたのではなく、諦めた。
「ちっ……。なら、仕方ない」
「え……」
「契約の解除は、俺からはできない。お前が解約の意思を見せるまでは、一緒にいるしかないってことだ」
「いいの……?」
「あぁ。仕方ないだろう」
この短時間で何度目だ、と言いたくなるほど、またため息を吐くソウド。
そして、少女が首に抱きついてきて、驚いた。
「うぉっ! なんだぁ!?」
「……くさい」
「ほっとけ! 獣なんだよこっちは!」
「名前は……?」
「名前なんてねえよ。ケルベロス、それでいいだろう」
「かわいくない……」
「俺が可愛く見えるのか……?」
振り払おうとしているが、しかし、それも攻撃と見做されているのか、ソウドは動けない。
「名前……ソウド、って呼んでいい?」
「はぁ? それがかわいい名前か?」
「……かわいいのがいいの?」
「いやっ、それでいい! あれっ、話の流れ的には可愛い名前を与えられると思ったんだが……」
そして、ケルベロスとだけ呼ばれていた彼は、その日からソウドとなった。
孤独が辛いとか、寂しいとか、そもそもそんな風に生きないケルベロスであるソウドには、少女の気持ちが、最初はこれっぽっちもわからなかったという。
彼は強い。だから一人でも大丈夫。
でも、人間はそうじゃないらしいと、ソウドはミティラの暮らしを見てわかった。
彼女が人間である事を捨てて、もっと楽に生きる道を選べたなら、適当な街で魔法をぶっ放しまくって、残った食料やら服やらを強奪する生活を送れたのかもしれない。
しかし、ミティラはそうしなかった。
彼女は特大の爆弾のように、誰もがひれ伏す戦力を有している。しかし、それを抜かず、いろんな街を渡り歩いて、市場で飯を盗む毎日。
逃げる時、ケルベロスに乗っていれば、誰だって追ってこない。
「捕まることがなくなった」
と、朗らかに笑う彼女の顔が、ソウドには今も忘れられないという。
子供が暮らすには厳しい、その日暮らしは、長く続かない。食べ物は盗めても、薬は盗めない。薬は、その知識がないと、どれを飲んでいいかわからないのだから。
少女は、疫病にかかったのだ。
温かい家すらない彼女の体力は、見る見る衰弱し、ただでさえ痩せていた出会った頃よりも、さらに痩せ果て、骨と皮以外何も残っていないという状態になったのだ。
「ミティラ、大丈夫か……?」
そこは、近隣の村からほど近い洞窟。ソウドは自らの牙で起こした火花で焚き木をし、腹の下にミティラを寝かせ、卵を温める様に、彼女の体を温めていた。
寒そうにしていたから、温めている。病気に関する知識のないソウドには、それしかできない。
「うん……大丈夫……。ソウドのおかげで、あったかい……」
安心したように言うミティラだが、しかし、体がつらそうな事に変わりはない。
医者がいる。
呼びに行かなくては、と立ち上がる。が、ミティラは、ソウドの毛先を掴んで、それを止めた。
「……寒いだろうが、我慢しろ。医者を呼んでくる」
「いい、よ……。多分、来てくれないから……」
「なんで!」
「お金、ないし……」
「だったら無理矢理連れてくる」
「ダメだよ……。みんな、生きるのに精一杯なんだから……」
その言葉は、ソウドの脳に針を刺したような、鋭い衝撃を与えた。彼自身、何がどうしてそんな感覚を抱いたのかわからないが、とにかく、そうなった。
「お前だって精一杯だろうが! 俺との契約を解除するまで、死なれたら困るんだよ!」
彼女の手を振り払い、ソウドは洞窟を飛び出し、村へ走った。山の中腹から麓の村まで、ソウドなら一時間とかからない。
村に降り立ち、ソウドは喉が壊れるのではないかと思うほど、自らの身を顧みずに叫ぶ。
「医者を出せッ!! 俺の主人が病気なんだ!」
ケルベロスの声は村の端々まで届き、なんだなんだと、村人達が出てくる。
しかし、ケルベロスというのは――いや、例えばヒグマであっても、獰猛な獣が人里に現れるというのは、それだけで異常事態だ。
もしかしたら、人を襲うかもしれない。
もしかしたら、襲われるのは自分かもしれない。
そう思えば、取る手段は一つ。
「ばっ、化物だッ!」
誰かの、そんな叫びが始まりだった。
恐怖は伝染病の様に伝搬し、パニックが広がり、逃げ出す人間もいれば、武器を取る人間もいた。信じられない、と、ソウドは思った。
だって、助けてと、言っている。
それなのに、武器を取るのか?
全員ぶっ殺せば、それで済んだ。いや、済むはずだったのだ。以前までのソウドならそうしていた。けれど、それをすれば、失う物がある。
ソウドが、ではない。
ソウドの主である、ミティラの、人間として守ってきた物がなくなる。
彼女が、最後まで守ってきた、人の一員であるという、人間である為の、最後の砦が崩れるのだ。
その気持ちを、ソウドは納得してない。しかし、理解はした。ミティラは、人間でありたかったのだ。
生きるために盗んでも、殺さない。
少しもらうが、全部は取らない。
それが、ミティラの意地。
だから、ソウドは逃げた。誰も殺さない為に、ミティラの意地を守る為に。
医者を連れてくるのが無理だったなら、他にも、何か方法があるのではないか、走って帰りながら、ソウドの頭はあらゆる考えを模索していた。
ここがダメなら、他の村なら。
移動させるのは辛いかもしれないが、少し我慢してもらおう。
「ミティラ、ここはダメだ。他の村に――」
体から、大事な物が抜け落ちるような感覚。洞窟に入った瞬間、わかった。死んだ生き物の匂い、いるはずなのに、気配がしない。
しかし、それよりも。
ソウドを縛っていた、強大な魔力が、感じられなくなっていたのだ。
「み、てぃら……?」
確かめたいけれど、確かめられない。
そんな気持ちを表すように、ゆっくりとした歩みで、ソウドは彼女の元へ歩み寄る。
一見すると、寝ているようにも見えたけれど、ソウドにはすぐわかった。
もう、死んでいるのだという事に。
「……死んだ、のか」
殺してやろうとは、思っていた。
けど、そんな事、最近は考えもしなかった。殺さなくてもいい、そう思ったら死ぬなんて。
彼の生きる世界は弱肉強食。死ぬ時は誰にだって来る。
それでも、死んでほしくない命が、誰にでもある。
ソウドは、彼女を背に乗せ、誰も来ない様に、山の頂上へ埋葬した。人間社会のいざこざに、もう巻き込まれないようにしたかったのだ。
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