■1『シーベル大陸』

第10話『みんな一生懸命生きてる。働きながら』

 そんな神様とのやりとりを思い返しながら、俺は一足飛びで甲板に戻り、変身を解除した。


「うっし」


 小さく呟いて、俺は拳を握った。

 やれてるぜ、俺。この力があれば、誰かを助けられる。


「お疲れ様です、マスター」


 いつの間にか甲板に戻ってきていたハイチェが、恭しい動作で頭を下げていた。


「変身三回目にしては手慣れてきましたね」

「ありがとう。……にしても、この世界ってマジで物騒だなぁ……」


 ちょっと海に出てるだけで、あんな巨大なイカと出会すなんて。旅をするのにも命がけだ。前の世界じゃ考えられないぜ。治安の悪い外国に旅行へ行く、ってんなら命の危機もあるだろうが、国内だとありえない話だ。


 苦笑して、俺はハイチェに「みんなにもう済んだって言いに行かないと」と言って、船の中に戻ろうとしたが、ハイチェは


「あぁ、それならもう済ませてあります」


 と、俺の首根っこを掴んで止めた。


「その止め方やめてくれる? 俺は犬か」

「みたいなもんじゃないですか」


 ひどい……。

 俺のどこが犬なのよ。仮に犬でも、ドーベルマンとかそういうかっこいいのがいい。


 ハイチェの拘束を切ると、船倉から出てきた、ガタイのいいおじさんが、きょろきょろと周囲を見渡し、海に漂うイカの氷塊を見て、声を出して驚いていた。


 あれって、さっき見た人だな。たしか、この船の船長……だっけ? 乗客に挨拶まわりしてたっけ。


 丸いが筋肉のついたたくましい肉体に、団子っ鼻で、なんだかダルマを思い出す。縁起が良さそうだ。見れば顔も、目尻が下がっていて、人も良さそう。


「いやぁ、助かったよ! キミ、強いんだねえ」


 いきなり、船長は俺のもとにやってきて、手を取り、ぶんぶんと振り始める。

 嬉しそうな顔をしているので、なんだかこっちも嬉しくなるなぁ。


「まさか、ミドクイカが襲ってくるとはね……。久しぶりに肝を冷やしたよ」


 薄っすらと笑みを浮かべるが、その額には汗が滴っていて、肝が冷えたというのは本当の事らしい。


「あのイカ、頻繁に襲ってくるんですか?」

「いやぁ、ミドクイカは数そのものが少ないからね。海で鉢合わせする可能性はかなり低いよ。鉢合わせても、意外と襲ってこなかったりするし。気性の荒い個体だったのかもしれない」


 はぁー……。

 できれば二度と会いたくないので、その情報は少し慰めになった。……数少ない、というのなら、凍らせたのは失敗だったか?

 溶けたらまた元気で生活してくれるだろうか。

 俺が絶滅の引き金を引いた、とかだったら洒落にならん。

 

「たしか、君はトウマ・ゼンくん、だったよね?」

「え、はい。そうですけど……よく覚えてますね」

「珍しい名前と格好だからね。特に、その髪の色」


 前髪を摘んで、俺は自分の髪の色を確認する。こっちに来た時に髪の色がなんかの理由で変わってんのかと思ったが、別に変わってない。黒のままだ。


「髪の色が、どうかしたんですか?」

「真っ黒な髪なんて、聞いたことないからね。ニホン、って国から来たらしいけど、そんな国も聞いたことがない。まあ、この世界には、俺の知らない国なんて山程あるから、気にしないがね」


 はっはっはっは、と豪快に笑う船長。

 そう言ってもらえると非常にありがたい。異世界から来た、なんて、説明するだけでも面倒だし、あまり興味を引くのもね。


「っと、こんな事が言いたいんじゃなかった。ゼンくん、ミドクイカを撃退してくれてありがとう。その御礼というわけじゃないが、今回、キミと連れのハイチェちゃんとロゼちゃんの代金はタダにさせてほしい」

「えっ、いいっすよそんっ、なぁッ!?」


 ハイチェの、目にも止まらぬ、ムチの様にしなるキックを俺の尻に叩き込んできて、俺は倒れ込んでしまった。


「お心遣い、感謝いたします。未だ先の見えぬ身故、先立つ物はいくらあっても足りません」

「え、あ、あぁ……。なんでもいいんだけど、ゼンくん、大丈夫?」


 大丈夫じゃない。

 俺が尻に持病でも抱えてたらどうするつもりだ。こっちに座薬とか塗って治すタイプの薬とか無いんだろうに。


 ……尻は大切にしなくちゃ。


 尻を摩りながら、立ち上がり「そんなわけで、ありがとうございます……」と、船長に頭を下げた。


「あ、あぁ……」


 一体なんだろう、と、首を捻りながら、船の中に戻っていく船長。多分、彼の目には、俺がいきなり崩れ落ちたように見えたんだろう。ロングスカートの揺れまで見えないとは、さすがオートマタ。


「お人好しもいい加減にしてください、マスター。ロゼ様の言う冒険者ギルドとやらで、どれだけ稼げるかもわからないのですから、節約できるのならしておくべきです」

「い、いやぁ、そう言われると、まさしくその通りなんだけども、つい……」

「つい?」

「そっちのがかっこいいかなぁー、って……」


 照れくさかったので、へへへ、と笑みを浮かべてごまかす。俺の行動原理は、基本それだし。


「はぁ……。ま、そういう人の方が、暇しなくていいかもしれませんが」

「それならよかった」


 皮肉ですよ、というハイチェの言葉は聞こえないふりをして、船べりに身を乗り出して、向かっている先を見る。

 まだ見えないが、この先に大陸があるのだろう。


 うーん、わくわくしてきたぞぉ。




  ■



 その後、一度日が沈んで、また太陽が真上に登ったくらいの時間をかけ、俺達はシーベル大陸の港、通称『シーベルの玄関口』と呼ばれているベラロンドという港町。


 海の男達が行き交う石畳の街で、伸びをしながら、俺は大きくため息を吐いた。


「ついたぁー! ベラロンドぉー!」


 頭も服も黒い男を見るのが珍しいのか、それとも、大きな声を出しているからなのか、周囲の人たちが俺を見ている。


 だが、石畳に木組みの建物が並ぶ、異国情緒溢れる風景に興奮してテンションが上っているので、俺は恥ずかしさの欠片もない。


 だが、隣に立つロゼは、顔を赤くして、俺の頭を平手打ちした。


「痛いっ! なんだよ!?」

「田舎モンじゃないんだから、そんなにはしゃがないでよ。恥ずかしい」


 田舎モンどころか、異世界モンなんだから仕方ないじゃんか。

 しかし、叩かれた事でテンションも落ち着いたので、俺は「悪い悪い」と叩かれた後頭部を擦る。


「ほいで、これからどうするのさ」

「まずは宿を見つけて、休むには早いから、ギルドにあんた達を登録しちゃいましょ」


 船旅で疲れてるんだけどなぁ、とは言わなかった。

 こっちの人は船旅くらいじゃ疲れないのかもしれないし、休むに早いのは確かだ。まだ昼間だしね。

 今日いきなり仕事、ってなわけじゃないし、登録くらいしておこう。


「あんたがミドクイカぶっ倒したおかげで、金も浮いたからね。ちょっといい宿泊まれるわぁー」


 と、上機嫌のロゼは、もう少しでスキップしだすんじゃないかって歩き方で、街の方に向かって歩いていった。


 浮かれ過ぎだよ……。


 っていうか、場所わかってんのかな?

 まあ、いざとなりゃ通行人に聞けばいいし、いいか。


 ハイチェと一緒に、ロゼの後についていき、しばらく歩いて、街の中心地、噴水がある円形広場にたどり着き、その片隅にあるスウィングドアの、西部劇に出てくる酒場みたいな建物にハイチェは入っていく。


 俺達も入ると、奥にはバーカウンターがあって、バーテンダーと思わしき人がグラスを磨いていた。円卓もいくつか並んでいて、まだ昼間だから酒を飲んでいる人こそ少ないが、立って談笑している人、壁に張り出された掲示物を見て考え込んでいる人と、それなりの人数が居た。


 当たり前だが、みんな腰に剣をぶら下げていたり、見慣れない武器を持っていたりだし、ガタイもいい。すげえ冒険者って感じなんだけど、俺浮いてない? メイド引き連れた学ランだよ?


「どうも、マスター」


 ロゼがカウンターに腰を下ろし、バーテンダーに小さく頭を下げた。


「やぁ、フラメルさん」

「この間の依頼、プグミス島にあるミララフルーツ、取ってきたから、承認お願い」


 と、ロゼは、指先で空中に円を描き、空間に穴を空け、そこに手を突っ込むと、氷漬けになったオレンジ色のバナナみたいなフルーツを五房ほど取り出して、カウンターに置いた。


「……ロゼ、そんな便利な魔法あるの?」


 ロゼの隣に腰を下ろした俺は、ロゼが空間に開けた穴をジッと見つめる。


「は? 収納魔法の事? えぇ……ある程度の魔法使いなら、大体持ってると思うけど」

「それ、私にも教えてくれませんか。カバン買わなきゃよかった」


 俺と出会って初めて、ハイチェが失敗を認めたようなことを言い出し、かなり驚いた。


「え、えぇ……。それは、別にいいけど」

「フラメルさん、ギルドパスを」


 ロゼは、また収納魔法から、パスポートのような藍色の手帳を取り出し、マスターに渡す。

 マスターの人差し指が淡く光り、ページに何かを書き込んで、ロゼに返した。中身には、サインだろうか? 見慣れない文字で『オー・ド・ヴィー』と書かれた枠がいくつも並んでいる。マスターの名前だろうか?


 ラーメン屋とかのポイントカードみたいだな。スタンプ押して、一枚埋まったらラーメン一杯無料、みたいなやつ。


 俺が一体どういう意味なのか考え込んでいたら、ロゼが俺にページを見せながら


「このギルドパスに、ギルドオーナーからのサインをもらって、それがいっぱいになるとランクアップの試験ができるの。私は藍色だから、下から二番目のランクかしらね」


 ロゼ曰く、このランクによって、受けられる依頼も変わってきて、ランクが高いほど割の高い依頼を受けやすくなるんだとか。


 ランクは『紫、藍、青、緑、黄、橙、赤』の順で高いらしい。


「もしかして、君たち、ギルドに登録したいのかな?」


 微笑むマスター。線が細く優男って感じの見た目だが、なんだか迫力を感じる。


「えっと、そうです。俺と、こっちのメイドが」

「当座のカネ目当てに」


 その通りなんだけど、それ別に口にしなくていいやつだからな?


 ハイチェのそんな言葉が面白かったのか、マスターは小さく笑いながら、


「わかった。いいよ、君たちを登録するよ」


 そう言って、カウンターの中から、紫の手帳を二つ取り出して、カウンターに置いた。

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