第5話『人が良くなると書く』

 宿屋から出て、ハイチェについていくと、どうやらハイチェは地図を探しているらしく、宿屋のカウンターで雑貨屋の場所を訊き、近所にある雑貨屋へと入った。


「いらっしゃぁーい……」


 退屈そうに顔をしかめ、本を読む老人の声で出迎えられ、雑貨屋を見渡す。

 十畳くらいの部屋、そのド真ん中にあるテーブルの上に、乱雑にいろんな物が置かれていて、奥にはおじいちゃんが机に座って本を読んでいるだけという、シンプルな店だ。

 置いてある品物はガラクタにしか見えないし、売り物にも見えないのだが、ハイチェが興味深そうにそれを見ている。


「店主、とりあえず地図がほしいのです。詳細な世界地図はありませんか」

「お前さんの目の前に茶色い羊皮紙があるだろう。そいつがこの店で一番詳細なモノだ」


 ハイチェがその紙を手に取り、広げると、確かに先程ロゼが持っていた地図よりも詳細なモノだった。というより、詳しすぎて専門的といってもよかった。


 山の標高やら海路やら、小学校の地図帳でもめんどくさいな、と思う俺には読めないレベルだ。


「ふむ。これでいいです。店主、それではこれをください。それから、カバンなどはありませんか」

「地図は一〇〇サークル。カバンなら、ここの三軒隣が服屋だ。適当に見繕ってもらえ」

「かしこまりました」


 テーブルの上に硬貨を一枚置き、地図を持って俺達は雑貨屋を出て、その三軒隣の服屋へと向かう。


 そこで、若い女性と「肩から提げられる丈夫なカバンはないですか」と話をするハイチェを横目に、飾ってある服を見ていた。

 素材なのか、それとも技術の問題なのか、俺のいた世界の衣服よりもゴワゴワしている気がするな。まあ着慣れりゃ気にならないレベルではあるけど。


 デザイン的に奇抜と感じることはない。むしろシンプルすぎる、と思うくらいだ。柄とか無いし、染料にじゃぶじゃぶそのまま漬けたんだろうな、って感じの単色だ。


「……えぇ、多少高くなってもいいので、丈夫さと大きさを重視したいのです」

「ウチでその注文だと、これになりますねー」


 お姉さんがカウンターから取り出したのは、ツヤツヤの革で出来た茶色くて四角いバックだった。大きさとしてはデスクトップパソコンの本体くらいだろうか?


「ふむ。ではそれで。こちらはいくらです?」

「二〇〇サークルですね」


 ハイチェはエプロンのポケットから硬貨を取り出し、机に置いて、カバンを受け取って担いだ。


「どうも。それではマスター、行きましょうか」

「買いたかったのって、カバンと地図なのか?」


 ハイチェがさりげなく、俺より前に出てドアを開ける。こういうところはさすがメイド、という感じだ。

 恐縮してしまうので、出る時軽く会釈してしまうが。


「ええ。おそらくロゼさんとはシーベルで別れるでしょうし、向こうで買ってもよかったのですが、買えるのなら早めに買っておきたかったのです」

「よくわかんないし、そこら辺は任せるよ」


 道を歩きながら、周囲を見渡す。麦畑に野菜の畑がいくつかという感じで、やはり麦が主流なのか、と俺はすこしがっかりした。そのうち、米が食いたくて食いたくて仕方なくなる時が来るんだろうか?


 あるといいなぁ、この世界にも米……。


「ふぁ……っ。のどかでいいなぁ、ここは……」

「マスターは都会暮らしですか。向こうの世界の都会では、無音というのはむずかしいでしょうね」

「そうだなあ。車の音とか、近所の喧騒とか、夜中にちょっと静かになるくらいかな」


 でも、夜中は夜中で、つけっぱなしのテレビとかから人の声がしてたしなぁ。

 こっちだと、やはり夜中は無音なのだろうか? それとも、虫の声とかでうるさいんだろうか?


「……おっ?」


 辺りを見回していると、なにやら麦畑で農作業をしている、浅黒い肌のおじさんがいた。しゃがみ込んで作物の様子を見ているようだ。

 上半身裸なのだが、農作業中に裸って、大丈夫なのか?


「おーいっ! おじさぁーん」

「ん?」


 俺が手を振ると、おじさんも手を振り返してくれた。

 駆け寄ると、人懐っこい笑顔で迎えてくれる。


「なんだぁ坊主。ココらへんじゃ見ない顔だが、旅でもしてるんか?」

「そうなんだ。ここには今日ついたばかりでさ。なに作ってんの?」

「おぉ、こいつはここの名産の一つでな、カタクチ小麦ってんだ。パンにすると絶品だし驚きだしで、人気なんだよ。旅ってことは、シルクんとこの宿屋に止まってんだろ? ここらにゃあそこっきゃ泊まれるとこないしな。って事ぁ、夜にパン出るから、楽しみにしとけよ」

「マジっすか。おぉ、腹減ってきたなぁ!」


 俺はおじさんにお礼を言って、その場を離れた。

 夜が楽しみになってきたなぁ。というより、めちゃくちゃ腹が減ってきた。




  ■




 宿屋に戻ってきて部屋でうだうだしていると、下からいい匂いがしてきたので降りてきてみれば、階段の横に広がる長い机のスペースに食飯が並んでいたというわけだ。

 この世界に来て初めての飯。

 パン(フランスパンに似てる)と、野菜のスープ。


 おぉ、なんと香ばしい香りだ。鼻から入って、胃袋の中を撫でるようだ。


 すでに席について、スープをすすっているロゼと、軽く話をしているおばちゃんがいて、俺達も飯が並んでいる席に座った。



「おおー。美味そうな匂い……おばちゃん! これなんて料理?」 

「そうさね、カタクチパンと牛骨スープってとこかね」


 おばちゃんの言葉に、俺はとりあえずスープを一口。

 おっ、なるほど! 牛の骨と野菜で出汁取ってるんだな。癖があるけど、美味い。……見覚えの無い野菜ばかり浮いてるけど、これはどうだろう?


 スプーンで四角く切られた半透明な野菜を掬い取って、頬張る。


 うぉ、トロトロだぁ。大根かと思ったけど、違うぞこれ。大根にしちゃあ酸っぱい。が、この酸っぱさが獣くささを消してるのかもしれない。レモンと大根を合わせた感じ?


「ふむ、なるほど。店主、この料理、とてもいいですね。食材の味をキチンと活かしています。よろしければレシピを訊いても?」


 俺と一緒にスープを飲んだハイチェは、何度か意味深に頷いて、まっすぐおばちゃんを見据えた。


「そんな上等なモンじゃないよぉ。レシピくらい教えてあげるさね」

「変なの。確かに美味しいけど、なんだか「こんな食べ物初めて食べた」みたいな反応ね」


 ロゼがスープにパンを浸して、もぐもぐやり口を抑えながら俺達を見る。

 まさしく、である。だって初めて食べたんだもん。


「俺の地元にはこういう料理なかったんだ。新鮮でさ」


 そう言いながらパンをかじる。だが、硬い!

 なんだこれ!? フランスパンみたいだから、硬いのは予想してたけど、革靴噛んでるみたいだ!


 なんで!? さっきロゼ普通に食ってたよな!?


「……あなた、カタクチパンも知らないの?」


 ロゼの目が、怪訝そうなを通り越して変質者を見るような目になった。なんでだよ! 知らねえよこんなパン!

 ハイチェはそのまま普通に食ってるけど!


「ふむ、少々硬いですね。私の顎にかかればなんてことありませんが」


 その顎分けてほしい。カニも殻ごといけそう。

 ……口の中切れるか。



「それ、ちょっと苦労するけど、指で引きちぎってみて、スープに浸してから、食べてみなさい」


 俺とハイチェは、言われた通りに指先でパンを引きちぎる。結構苦労したが、それをスープに浸して食べるとあら不思議。


「うおっ、美味い」


 小麦の香りが鼻に抜けて、スープの旨味が凝縮されたようだ。一度ちぎってしまえば、そのちぎられた断面にスープをつければ、次からは苦労しないでパンが食えるというわけか。

 スープの水分で、ちょうどいい塩梅の硬さになるのがいい。


「ずずず……スープそのままで飲んでもいいし、はぐっんぐ……っ。パンに漬けて食べても美味い! これ気に入ったよおばちゃん! 美味い!」

「はっはっは。ここ名産のカタクチパン、気に入ってくれてなによりさ。おかわりたくさんあるから、どんどんするんだよ」

「ありがと!」

「よく食べるわねえ。ごちそうでも食べてるみたい」


 苦笑しているロゼ。そりゃ、ロゼはこっちの人だから、こういう料理食べ慣れてるのかもしれないけど、こういう味は俺初めてだから、飽きが来なくていくらでも食べられそうなんだよなぁ。


 俺とハイチェは、美味い美味いと言いながら、顔を突き合わせて飯を掻き込んでいたその時である。


 外から悲鳴が聞こえてきたのは。

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