第77話 22新たな風が吹くその瞬間に
カラン。と、グラスの中の氷が鳴る。
僕に代表? つまりはその会社の社長をしろと言う事なのか?
「ちょっと待ってくれ。いきなりそんな話をされてもすぐには返事は出来ない」
本当にそうだ。確かにリストラのことを考えれば、僕自身も対象者から外れるという考えは持てない。
彼の言う通り、いつ切られる分からない状態で、平然と業務を行えるほど肝は据わっていない。
まして恵梨香のおなかの中には、僕らのかけがえのない子供が育っている。
このタイミングで、人生の岐路に立たされているような感じだ。
僕は宮村に。
「今すぐには返事は出来ない。考えさせてくれないか」そう言って一旦保留と言う事にした。
僕一人で決めることは出来ない。
もう僕には家族と言うものがあるのだから。
宮村と別れ、まっすぐ帰宅した。
「おかえりなさい太芽さん」
軽く飲んでくることは恵梨香には連絡済みだった。
「意外と早かったじゃない。もっと遅くなるか思っていたけど」
「身重の妻を一人置いて、そんなに遅くなんか出来ないよ」
「もう、ほんと太芽さんって、過保護なんだから。まっそこがいいところなんだけどね」
にっこりとほほ笑む、恵梨香のその顔を目に入れ、会社の内情とさっき宮村から話されたことの板ばさみ的な感情がわき上がる。
このまま平穏な生活を送るのなら、僕は今の会社に留まるべきだろう。しかし、宮村が言うように先の見通しが見えない状況がこれからも続くとなれば一抹の不安も隠せない。
そんな僕に恵梨香は何かを感じたんだろう。
「どうしたの?」と尋ねてきた。
「うん、実はさ……」
宮村から話されたこと。そして会社の内情。すべてを話すことは出来ないが、今の現状を恵梨香に話した。
「う――ん。それで太芽さんはどうしたいの?」
「どうしたいのって、まだ分からないよ。会社の内情だって憶測が先走りしている状態だし、実際僕がリストラの対象になっているわけでもない。ただ、今のままでいいんだろうかと言う不安もあるのは正直なところ」
「でも、それを言うなら、新しい会社に向かうのも同じじゃないの?」
なんともあっさりと言う恵梨香に、なんか肝座ってきた感がする。母親になるというのはそう言うことなのか?
「今すぐには答えは出ないかもしれないけど、太芽さんは自分の信じる道を向いていけばいいんじゃないの。私はううん、私たちはそのあなたの背中に就いて行くだけだから。他人事のように聞こえるかもしれないけど、私にはお仕事のことはわからない。でもあなたを支えて一緒に歩むことは出来る。それがどんなに険しい道であっても」
その言葉がどんなにも僕の今のこの心を、癒してくれたかは分からない。
だが、だからと言ってすぐに宮村の言葉に乗っかることはやっぱりできない。
そんな裏腹な気持ちを持ちながら、業務と日常を過ごしていた。しかし、会社側の脅威は着実にその実行権を行使して来た。
食品部の業務縮小と外部委託。そして、僕が所属する企画部の業務委託が決定された。
委託先と会社とのつなぎとして、およそ半数の人員は残った。その中にも僕の名はあったが……。あの
「俺、出向なんて嫌っす。どうせなら、バッサリと切ってもらった方がよっぽどすっきりするかもしれないっすよ」
山岡は愚痴をこぼすように僕に訴えかける。
長崎も同じように山岡と共に、普段は感情を表に出さないがこの時ばかりは内面に秘めた怒りを面に出してきた。
「私も、出向なんて嫌です。リストラされるならそれでもいいです。その方がよっぽどいいです。……それにわ、私笹崎さんと一緒に仕事がしたいんです。出来ることなら。これからも、そしてずっと」
「でも。僕にはそんな力も権限もないよ。本当に僕も君たちと一緒にこれからも仕事をしていきたいという気持ちが強いのは嘘じゃない。出来ることならそうしたい。掛け合ってはみるけど、期待はしないでくれ」
そうとしか言えなかった。
直属の上司と共に願いを上訴したが、あっけなく帰されてしまった。
それよりも、ある役員から。
「部下のことを心配する気持ちは分かるが、笹崎君。君自身、自分のことを守ることも今後は視野にしていかないといけない状況であるんだよ。君の業績は高く評価しているつもりなんだが、それ以上に今、我が社は改革を推し進めなければ存続の危機がやがてやってくる。それは自分を守るという意味でも、大きな岐路に立たされると言う事なんだ。わかるだろ。ここまで言えば。察しのいい君だ。今後の君の行先についても」
自分の足も救われると言う事の恐怖感が、体全身に覆いつくされた。
前に宮村が言っていた「恐怖におびえながら業務なんか出来ない」と言う言葉を思い出していた。
実際その通りのことが現実に自分の身の上に、降りかかろうとしているのを感じた。
そんな中、宮村は着実に開業の準備を進めていたようだ。
「笹崎さん、どうですか? 決意は決まりましたか? 聞いていますよ企画部も事実上の解体だそうじゃないですか。何時までもこの会社にしがみ付いていても、先はないと思いますよ」
かなりダイレクトで、刺さることを言うようになってきた。それだけ宮村は起業に向けて現実味を感じている。いや、現実化しつつあると言う事なんだろう。
「正直今自分で出来ることの範囲はやってきていますが、限界を感じています。やっぱり笹崎さん。あなたの力がどうしても必要です。一緒に会社を立ち上げてはくれませんか」
宮村のプッシュもさることながら、今の現状を見据えると、自分自身常にこのままでいいのかと自問するようになっているのに気が付く。
そして、ある人物が僕の前に現れた。
その人物の再会が、僕の背中を押してくれたのかもしれない。
その人物とは。
あれ以来音信不通であった。僕の親友。今でも親友と呼んでもいいのだろうか? そんな思いも感じているが、だが、ゆるぎない僕らの結ばれた友情はこんなことくらいで壊れるものではなかったんだと再確認させられた。
――――彼奴に。
三浦政樹。
彼との再会。
それは新たな風をまた僕らに吹かせようとしていた。
梅の花が咲き。ようやく桜のつぼみが膨らみ始めたころ。
彼奴は何の前触れもなく僕の前にその顔を見せつける。
あの頃と何も変わらないあの屈託のない笑顔を。
「よっ! 太芽。久しぶりだな」
温かい風が舞い起こる。
僕らの間にその風は静かに吹き始めた。
また、僕らは再会できたんだ。ようやく。
切ることなく。いや、切ることなんかできることのない。僕らの友情はこれからも続く。
新たにこの日本で。
「どうしたんだよ! 政樹」
「さぁて、何処から話そうか。なぁ――――太芽」
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