第76話21新たな風が吹くその瞬間に

 夏が終わり、秋が次第に深まりゆく。

 次第に丸みを帯びていく恵梨香の体の変化と共に、二人で歩む未来への道筋を夢見ながら日々の生活をゆっくりと過ごしていた。


 休日、近くの河川敷へ散歩に行くと、緑の雑草の中に寄り添うように二本の彼岸花が咲いていた。

 深紅の花弁が鮮やかに目に映る。


 僕を育ててくれた祖父母に恵梨香との結婚の報告をした。

 二人ともとても喜んでいた。そして恵梨香のことを心から受け入れてくれたことに感謝した。

 両親の墓石にも報告に行った。ただそれだけだ。実の両親から何かが返ってくることと言うことは無い。そして感じることもなかった。

 ただ、思うことは。僕と言う存在をこの世に産んでくれたことへの感謝しかない。存在しえるから、僕は今、隣に寄り添う恵梨香と出会えたのだ。


 雑草の中にうずもれそうに咲いているその二本の彼岸花を眺め、まるで自分たちを見ているかのような思いに駆られる。

 出会いと言うのは数奇なものだ。そして別れはその出会いと共にカウントダウンされていく。

 別れと言うものは、必ずやってくる。それがどんな形でやってくるのは分からない。

 だけど、その時まで。……共に寄り添い時を駆け巡ろう。

 あの日見た彼岸花を、僕はなぜかその目に焼き付けていた。


 この穏やかな日々を日常としてずっと過ごしていきたいと願う気持ちとは裏腹に、静かに襲い掛かる変化がもうすぐそこまでやってきていた。


 十二月。もうじきクリスマスを迎えるその日。

 一通の社内メールが僕のパソコンに届いた。

 サブジェクトはフランス語で書かれている。発信元はフランス支社だった。

「我がブレインタイガササザキへ」

 開くと懐かしいフランス語の文面が表示された。

 その内容は……。


「元気にしているか? 笹崎。まずは結婚おめでとう。まさかお前があの野崎嬢をめとるとは、思ってもいなかった。お前が日本に帰り、彼女もこのフランスの地から消えた。いまだに彼女の隠れファンは、このフランスでは多いことをお前は一生背負っていかないといけない。そう言う私自信、彼女の焼くカヌレがいまだに恋しいことは言っておく。まぁ私の嫉妬はこれくらいにして本題だ。このフランス支社は来年三月。いわば本社基準で言えば今期末で閉鎖することが決まった。いずれまたお前がこの地に帰ってくることを私も、スタッフも願っていたが、その想いは断ち切られたようだ。だがお前も、彼女と幸せに日本で暮らしていくことを選んだのだから、我々の思いは届かなかったということになるだろう。この事はまだ正式に社内通達はされていないだろう。時期にそちらの方にも通知はされると思うが……。まずはお前に先ず連絡はしておきたかった。そして、一つだけ忠告しておく今回の決定に関し、お前は関与するな。自分の身を思うなら、この会社で生きていくのなら、我慢しろ。お前のその気持ちは十分に俺は理解できているつもりだから。だからこそこのメールを送ったかぎりだ。とにかく頑張れ笹崎。未来のために」


 愕然とした。一瞬にして、あのフランス支社の社内の様子が脳裏に駆け巡った。

 懐かしい、あの社内の雰囲気。共に働いた仲間たちのことを一人一人その顔が浮かび上がっていく。


 すぐに返信のメールを送った。

 閉鎖の理由。そのことが気がかりだった。


 しかし支社長からの返信は来なかった。この件には関わるな。多分上層部の決定であるだろう。そのことに関与することを避けるためにも、あえて支社長は返信も送らず無言を通したのかもしれない。


 それから数日後、フランス支社の閉鎖が社内通知された。

 何かが動き始めていた。

 社内で大きな動きが起きようとしているのを感じていた。夏に女子社員の中でリストラ噂が広まっていたのを思い出す。だがそれからは何の動きもなかった。だから単なる噂だと流していた。


 しかし、僕らの知らないところで上層部はゆっくりと事を運んでいたようだ。

 年が明け、新年を迎えての初の社内通知が発せられた。

 その内容は各部門の再編成に関することだった。


 特に食品部の再編成には大幅なてこ入れが入れられていた。

 不採算部門の見直しによる業務の縮小及び委託転換。

 それに付随するかのように一部役員の入れ替えがあるようだ。


 会社全体としては、業績は悪い訳ではない。むしろ業績は伸ばしている。この流れの中、利益率をさらに上げようとする上層部の腹が見え始めていた。

 その中で大幅な再編成を通達された、食品部に所属する宮村隆浩みやむらたかひろからある相談を持ち掛けられた。


 その日、会社を定時に切り上げ、待ち合わせのバーで彼と酒を交わしその相談に乗ることになった。


「笹崎さん、どう思います? 今回の通達編成」

「どうって、上層部の決めたことだからなぁ。僕のような一社員があれこれ騒いだところでどうにもならないんじゃないかなぁ」

「まぁ確かにそうですけど」

 何か速攻、宮村にジャブを交わしてしまったようだった。


「それにしても今回の編成は無謀すぎますよ。特にうちの食品部をなんか狙い撃ちしているかのようじゃないですか。それに笹崎さんがおられた、フランス支社まで閉鎖してですよ。これはもう、食品部そのものを破棄しようとしているのが見え見えな感じがするんですけど。まぁこれは僕個人の意見なんですけど」


 確かにそうともいえるかもしれない。もともと食品部の利益は希薄多売だ。

 他の部門。特に重工業やゼネコン関係は世界的に見れば、上向き上昇している。最もこれは今いる僕の企画開発部から見た意見だが、この部門にいるからこそ見えてくる未来像もおのずと感じられるようになってきている自分がいるのも事実だ。


 業績を伸ばしている部門に偏りが生じている。会社全体から見れば悪くはない状態。しかし、今のこの状態は、いずれにしよそう長くは持たないのかもしれない。

 目まぐるしく変動する世界経済。


 いつどのようにして、この状況が一変するかも分からない。まして規模の大きい企画が立ち倒れれば、その影響度は会社にとって非常に大きなものになる。

 業績は良い。されど、実際は一本のロープを綱渡りしているかのようだといっても過言ではない。


 それを踏まえれば今回の上層部の編成は、先を見据えた存続の意を持ったものになるといってもいいだろう。

 だがその影響をもろにかぶる部門。特に宮村自信に降りかかる脅威は大きなものであることには違いない。


 僕らは、どんなに大手の会社に属していても、一つの歯車。いや、ただ置かれた石に過ぎないのかもしれない。その石を一つや二つ排除したところで、痛みを感じなければいけないのは本人たちだけであるのだから。


「それでね。実は僕、今期末で社を退社しようかと考えているんですよ」

「えっ! どうして」


「どうしてって、リストラ。もう始まっているんですよ。今回は逃れていても、いずれ僕もリストラの対象になりかねないと思っているんです。実際今月で食品部からは二人のリストラが決まっています。毎月その恐怖にさらされながら仕事なんかしていられないじゃないですか。それに……実は、ある方に新事業を起こすのに力を貸してほしいと言われているんですよ」


「新事業?」


「ええ、でもまったく畑違いの職種じゃないんです。業態は違えど、やることは今の業務からは外れていない。それに僕は好きなんですよね。食品に関わるこの業務が……。まして信頼できる方ですし、しっかりとしたこの業界での実績もある方なんです。――――あなたが、笹崎さんが一番よく知っている方なんですけどね」


 僕が一番知っている人? いったい誰なんだろうか?

「いったい誰なんですかその人物は?」

 宮村はにっこりとした笑みを見せつけこう言った。


「元フランス支社の支社長と言えばどうですかね」

 意外な人物が登場した。


 支社長からはあれからもう何も連絡はなく音信不通であったが、まさか自分で事業を立ち上げようとしていたとは思ってもいなかった。


「じゃぁフランスへ」

「違うんです。フランスには行きません。こっちはこちらで日本で法人の会社として立ち上げて、お互いにサポートしあう連携をとっていきたいと言う事なんです。まぁそこで笹崎さんにご相談なんですけど」



 僕にその会社の代表をしてもらいたい。

 彼、宮村からの打診であった。

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