第73話 18新たな風が吹くその瞬間に

乾杯!

「お疲れさまでした」

広報企画部に移籍して、一年が経とうとしていた。


仕事もだいぶ覚えてきた。と言うよりも手慣れてきたという方がしっくりくるのかもしれない。


移籍当初、この部署のメンバーとのぎくしゃくした関係に嫌気を刺しながらも、課長補佐と言う役付けでいる立場でありながら何も仕事が出来ないというジレンマ。そんな自分自身との葛藤との日々を送っていたのが、今では部署のメンバーともかなり打ち解け、この部署としての自分の役割と言うものを見出したような気がしている。


今日はとあるプロジェクトがめでたく成功終了した打ち上げで、部署のメンバーたちと盛り上がっている。


「お疲れ様です。笹崎課長補佐」

「あ、ワンペナだ! 今日は課長補佐はつけないということだったんじゃない?」

「あっそうだった!」


今年新卒入社配属の若手、山岡昭やまおかあきら

今日は役付けなどそんな待遇は抜きにして、いわゆる無礼講と言う事で頑張った労をみんなで分かち合おうということにしていた。

人一倍目立つやる気と、どんなにミスをしてもへこたれないバイタリティが売りの山岡。僕が移籍した時、彼もまた業務についてはまだほとんど何も出来ないでいた状態であった。


いわば、この僕と同じ状態? だからだったかもしれないが、彼はこの僕に他のメンバーたちとは違い、素で接してきてくれた。

そして、彼のミス? を今さっき指摘したのが、山岡と同じ新卒入社の長崎愛佳ながさきあいかだった。

この二人は同期入社であり、同じ部署に配属されたということからなのか、微妙に仲がいい。


部妙にだ。


長崎は新人であるが、与えられた仕事はてきぱきと卒なくこなすタイプ。

ほとんどミスらしいミスを発したという報告は聞かない。

それよりもミス連覇常連の山岡のフォローもそれとなくやってくれているようだ。

それに気づかないというのか、感謝の念を素直にあらわさない山岡。


彼はよく長崎に「なんだよう! 愛華。この修正くらいなら俺だって簡単に出来んのによう。やっちまいやがったのか?」

「何よ、せっかくやってあげたのに何? その言い方? あんたがこれ修正しないと私仕事進まないんだけど! だからやったまで。自分の為よ。それにこんなミスする方がおかしんじゃないの? もういい加減小学生レベルの仕事しないでよ!」

と、この二人の漫才のような駆け引きは毎日のように聞こえてくる。


だからと言って、いがみ合ってばかりという訳でもない。

社食に行けば二人で、同じ昼定食をほおばっている姿をよく見る。それに仕事が終われば、飲みに行ったりもよくしているようだ。業務時間外の行動についてはプライバシーもあるから、それ以上の詮索はしていないんだが、ま、仲はいいということなんだろう。


だから僕は微妙に仲がいいという表現が、ぴったりくると思っている。


「ところで笹崎か……あ、いや、さんは、企画部に来る前フランス支社にいたんですよね」

「ああ、そうだけど」

「フランスかぁ。いいなぁ。海外――――。俺も海外勤務に抜擢ばってきされねぇかな」


「はぁ? あきら。あんたみたいのにそんな話が来るわけないでしょ。それよりも戦力外通知で解雇されないようにもっと頑張んないと。このままじゃ確実にリストラの対象だよ」

「いや待て! 俺がリストラ? んな訳ねぇだろ。企画部のこの若きホープのこの俺がかよ!」

「あら、自分を見据える鏡、あなたの部屋にはなかったんだぁ。それじゃ今からでも遅くないから、お手洗いの鏡で自分のその姿見てきたら?」

なかなか、手厳しい言葉が山岡に浴びされる。


「うっせいわ! 自分のことはこの俺が一番よく知っている。愛華にそんな言われる筋合いはねぇんだよ」

「ふぅーん。そっかぁでも、噂じゃなんかリストラ始まりそうなこと耳にしたんだけど? 何か聞いています笹崎さんは?」

「いや、そんなことは何も通知は来ていないけど。でもそう言う噂出ているんだ」

「そうなんですよ。でも、これは噂なんで確証はないんですけど」


リストラ? うちの会社は今期も業績は悪くはないはずだ。いやむしろ、上向いている。それなのにリストラと言う言葉が噂されているなんて。

意外と女子社員の間で噂されていることは、現実化しやすいというが現実味を帯びていることが多い。


もしかしたら、上層部。僕にとっては雲の上の世界だが、その世界で何か大きな動きがおきようとしているのか? あまり首を突っ込んではいけないような会社のナイーブ的なと言うか。多分。一社員が首を突っ込むところじゃないような気がする。


そんなことを考えているとき。スマホからメッセージの着信が聞こえてきた。

多分自分のスマホだろう。着信音はみんな同じ音が多いから、あのピンポンと言う音につい反応してしまう。


スマホを見るとやっぱりメッセージが来ていた。

――――恵梨香からだ。


その場で、スマホを見たこと。それが敗因だった。


「あんまり飲みすぎないでね。太芽さん」


短いこのメッセージ。だから余計に目立つというか、ぱっと見すぐに読めてしまったのかもしれない。そのメッセージを僕の隣に座る長崎に見られてしまった。

まぁ、彼女も見ようとして見たわけではないと思うんだが、目にしてしまったという感じかもしれない。


「女性? エリカ? て、もしかして笹崎さんの彼女さん?」

「あっ! いや……。その」


違うよ、この後会う友達さ。とでも言ってごまかすほど、とっさの機転が利く人種ではない自分がこの時ほど妬ましく思えた。


「フーン。やっぱり笹崎さん彼女いたんだ。なんかそんな感じはしていましたけどね」

「えええっと」

「何? なんですか笹崎さんに彼女!」


長崎のこの言葉を聞き逃さない、山岡のこの集中力と言うかなんと言うか。その力を仕事に発揮してもらいたいとその時瞬時に思えた。


騒がしいというか、各々、会話に弾み飲んでいたメンバー全員の声がぴたりとみ。一斉にみんなの視線がこっちに向けられた。


「彼女? おいおい本当なんですか笹崎さん」

「その、なんと言うか。その……」

「本当ですか! 笹崎課長補佐」一人の女子社員が一音上げたような声で問う。

さすがに長崎も、先輩に突っ込みを入れることは無かったが。


「写真あります?」

その一言が全員に火を点けてしまった。


写真! 写真! と口をそろえてみんなが連呼してきた。この一体感。ああ、なんか一年前には考えられなかった光景だ。

とは言え、途轍もなく恥ずかしい。


「ほら笹崎さん。もったいぶらないで見せてくださいよ」

「俺も見たいっす。笹崎さんの彼女」


仕方なくと言うかもう引っ込みがつかない状態。本当は職場のみんなには、まだ知られたくはなかった。

二人で一緒に行動と言うか街に出向く時も、会社関係の人に出くわさないようにといつも祈っていた。

まだ、公表と言うか。そのタイミングではない。と、自分では思っていたからだ。


しかし、もうなんとも引けない感ありあり。スマホのアルバムをタップして、表示されたサムネの中から一つを選び表示させた。

すかさずそのスマホに表示された写真を覗き込む長野と山岡。


「うわぁ! すげぇ――美人ジャンかよ。マジかよ。さすが笹崎課長補佐!」

「ほんと綺麗な人。同姓でも惚れちゃいそうなくらい綺麗な人ですね」


後ろにみんなが群がるようにスマホを覗き込んでいた。

「いやぁほんと美人と言うのはこういう人のためにある言葉だよな。モデルでもやっているんですか? 彼女さん」

「べ、別に。そんなことと言うかなんて言うか。……やっていないよ」

「社内の人じゃないですよね。これだけ美人だったらもうとっくに知れ渡っていますよ彼女の事。いやいや、俺もアタックしていたかもしれないですよ」

うーーん。社内での出会いであるという設定だったら、恨まれるんだろうか?


「もしかしてクライアント会社さんの方でしたか?」

「いや違うんだけど……。彼女とは、その、初めはフランスで知り合って、近くのカフェでパートで働いているけど」


僕の答え方がおかしかったのか、それとも長崎のあの直感的な感受性と言うか、秘めた才能かもしれないが。

「ちょっと待ってください。近くのって……笹崎さんのうちの近くのって言う意味ですか?」


「ま、まぁ……そうなんだけど」

「つまりは……そのなんですか。もしかして一緒に住んでいるということ――なんでしょうか?」


「――――は、はい」

「一緒に住んでいる。つまりは同棲しているって、言う事ですよね」




あの時、酔い潰れ、恵梨香と偶然かのように出会ったあの日から。

僕らは、ともに同じ時間を共有していた。


そして野崎恵梨香は。



僕のかけがえのない人になっていた。

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