第33話4.表と裏・・・想いと気持ちの狭間に

 しばし呆然と立ちすくんでいたが、今はそんな事を考えている暇はない。

 とにかく恵美にこのリードケースを持っていかないといけない。


 急いで家を出て駅の改札でスマホをかざす。

 乗り込んだ電車で、ただ流れる車窓を見つめ、頭の中ではさっきのフォトフレームのあの恵美の姿がちらちらと浮かんでは消えていた。


 少しでも、自分に余裕? 余裕とは何かは分からないが、過去の事をいつまでもひきずる様な事を僕はあまりしたくはないと思う反面。響音さんという人の大きさにまた自分が押しつぶされてしまいそうになるのを感じていたのは事実だった。


 電車を降り、バスには乗らず何時も通り、あの学校までの坂道を歩きだす。

 風が冷たく僕の体を拭きぬける。

 海が近いせいだろう。冷たい風に潮風のあの冬の浜辺のにおいが混じる。


 学校に到着し、真っすぐ音楽室へ行こうとしたが、僕はそれを止めた。僕が音楽室に恵美の私物を届けに行く。それはそれで学校では問題だからだ。当然他の部員もいるはず、そこにこの僕が行くという事は恵美との関係を暴露するにふさわしい位危険な事だった。


 脚は職員室へ……、休日の学校。いる先生は部活の顧問をして今日その部活が行われている先生しかいないだろう。だとするならば何気なく職員室の北城先生のディスクの上におけば後は僕の存在が関係しなくなる。


 その後、恵美にメールをすればそれで終わる。


 案の定職員室のドアを開けるとその部屋の中には誰もいなかった。北城先生のディスクの上に恵美のリードケースを置き職員室から出た時、鉢合わせの様に僕の姿を見て驚いた表情をする人がいた。


 戸鞠だった。


「どうしたの笹崎くん? 今日は休みでしょ」部活もしていない僕が休みの日に学校にいるのは不自然である事は言うまでもない。


 さてどうしたらいいのか? まさか恵美の忘れ物を届けに来た。なんて言えるわけがない。言い訳を考えていると。


「ねぇ、笹崎君、今日はもう用事済んだんでしょ?」

 戸鞠がどうして用事? と、言ったのか、確かにその用事は終わったが、先に彼女が話してくれたことが救いだった。


「うん、まぁ……、大したことじゃなかったからすぐに終わったんだ」

「……ふう――ん? 大した用事じゃなったんだぁ。終わったんだったら、時間あるよね」


「まぁ……」

「良かった、私部活朝練だけだから、もう時期終わるんだ。ねぇ、一緒に帰ろ……」


「ああ、うん、わかった」この場はこう言うしかないだろう。「でも、学校で待っているのも、……俺、駅で待ってる」


「うん、そっかぁ、ごめんね。ちょっとの間、待ってて」


 少し申し訳なさそうにしながらも、ちょっと嬉しそうな顔をするその表情。なんだろう。不思議なと言うか、変なドキドキ感が僕を襲う。

 戸鞠が部室に駆け足で向かい僕はその姿が見えなくなったところで、生徒玄関に向かいながら恵美にメールした。


「リードケース、職員室の北城先生の机の上に置いておいたから」

 送信して恵美からの返事はなかった。


 多分部活の練習で忙しんだろう。恵美がメールに気が付くか、それとも北城先生が職員室に行って気が付くか。それはどちらでもいい。とにかく僕は恵美からの頼まれごとは済ませた。


 僕があえて直接恵美の所に持っていかなかった事を恵美はきっと理解してくれる。それが僕らの暗黙の了解であるのだから。


 外履きに替え、冷たい空気が僕をまた包み込む。もう11月も終わりになるんだ。もうじき12月。恵美と一緒に一つ屋根の下で暮らしてもう半年近く経とうしている。

 この半年間……瞬く間に過ぎ去った様に思える。


 駅までの道のり、僕は自然と浮かび上がるこの半年間の事を走馬灯の様に流れる思いを、ただ目に入る冬の景色を入れながら思い出す。

 僕がこの高校に入る時偶然出会った僕の妖精……それが、恵美だった。

 彼女の奏でるアルトサックスの音色が僕を引き留めた。そしてその姿とあのサックスの悲しい音に僕は心を奪われた。


 そして、僕の生活……。いや人生は大きく変わる。両親が事故でこの世を去り、僕は恵美と共に生活を送る事になった。だがそれは僕の妖精が背負う悲しみを知る事になる。


 好きなんじゃない。

 僕は恵美を愛したいんだ。


 ……僕はあの時、北城響音の存在を知った時。いや、恵美の本当の気落ちがどこにあるのかを知った時。僕は心の中から湧き上がる想いに誓ったはずだ。


 恵美を愛したいと……。


 それなのに今、僕の心は揺れ動いていた。何に揺れ動いているのか? 僕はそれが今分かろうしながらそして、その事を自分で拒絶をしながらも受け入れている。


「笹崎く――ん」僕の後ろから戸鞠が息を弾ませ駆け寄ってくる。

「やったぁ、到着!」

「どうしたんだ、こんなにも早く」

「へへへ、部活抜けてきちゃった。ちょっと調子悪いってね」


 息を少し切らし、照れ臭そうに頭にチョンと手を乗せて言う戸鞠の姿は僕の胸をドキッとさせる。

 分かっているんだ。戸鞠が……。そんなにしてまで戸鞠が僕に近づこうとしている事を……。


 冬風が僕らの間をすり抜ける。冷たい風が……、決して暖まる事のない冷たい風が、僕たち二人の間をすり抜けていく。

 そしてただ僕らは駅に向かい何も交わさず歩き出す。


 今にでも戸鞠の口から発してきそうなあの言葉を僕は、僕はどう受け止めたらいいんだ。その気持ちに僕はどう答えたらいいんだ。

 二つの気持ちが僕の中でお互いに交差する。


 愛したいと想う人が僕にはいる。されど僕を……その先の言葉を今彼女から告げられることを僕は心のどこかで拒んでいる。でもそれを表に出す事もそして、体で遮る事も出来なかった。

 スッと彼女の暖かい手が僕の手を掴む。それを僕は自然と受け入れる。


「寒いね」ぼっそり彼女はちょっと照れくさそうに言う。

「うん」

 ホームに流れ込む電車に僕らは一緒に乗り、彼女は僕の横に座る。僕はその横のポールにいつもの様に背を乗せ外の景色を眺める。


 いつもと変わらない景色、でもその景色は日が経つたびに色あせて来る。

 もうじき僕はこの電車を降りる。ほんの短い時間だけど彼女には僕と一緒にこうしていたいというのが伝わる。


 電車が減速しだした。停車した駅で戸鞠に僕が「それじゃ」と軽く声をかけると。


 彼女は僕の手を掴んだ。

 降りないでほしいと言わんばかりに。


 その手は強くなくほんの少し僕の手を包み込むようにしていた。離そうと思えばその時すぐに離せたはずなのに……ドアは閉まり、電車はまた動き出す。


 その手はそのまま離す事は無かった。


 戸鞠は僕の方を見て「笹崎君の淹れるコーヒー飲みたいな」

 言ってから少し恥ずかしそうな顔をしていた。


「コーヒー?」

「うん、約束したでしょ」

 確かに戸鞠と約束した。

「ねぇ、いいでしょ。今日どうしても笹崎くんの淹れるコーヒー飲みたいの」

 特別断る理由もない。今日は何か予定がこれから入っている訳でもない。


 戸鞠の降り立つ駅までは今日はあっという間についたように感じた。二人でホームに降り立ち、ちらっとお互いの顔を見つつ駅を出た。


「でも今日は両親いるんだろう」改札を出て僕が言った事に、戸鞠は「いないよ」と即座に答えた。でも今日は休日。普通の会社員なら休みだと思っていたが。

「うちのお父さんは今日は接待ゴルフ。そしてお母さんはお友達とお食事会と何のイベントか分からないけど、それに参加するんだって。だから夜まで二人とも返って来ないわよ」


 それが当たり前かの様に、そしてそれが日常であるかのように、彼女は言う。その表情は寂しさと言うものを感じさせるものではなく、もう諦めたかのような表情を感じた。


「そっかぁ、戸鞠の両親もいろいろと忙しんだ」

「もう、ずっとだから慣れちゃった。たまにいても話す事もほとんどないしね。まだいない方が気が休まるかもね」


 僕の家、今はもうないが……。父さんは世界中を仕事で飛び回っていた。だからほとんど家にいる事は無かった、でもそのかわり母さんがずっと家にいてくれた。そして律ねぇも……。それを想うとまだ僕は幸せだったんだろう。戸鞠はもう慣れたと、言っていたけど本当はどうなんだろう? もう高校生にもなるんだから……そんな考えだからなのだろうか?


「なぁ戸鞠、コーヒーの豆ある?」


 駅前のちょっとした喫茶店のイーゼルに『コーヒー豆販売しています』と書かれたボードが目についた。


「う――ん。あると思うけど、市販の挽いたのしかないと思うけど」

「それじゃちょっと覗いてみる?」そのイーゼルのボードを指さして

「え! ほんと。やっぱ本格的だなぁ。すごいよ、行く行く」


 僕の手を掴みその喫茶店の扉を開けた。開けた途端香ばしいコーヒーの香りが僕ら二人を包み込む。


「ここでコーヒー飲んでいこっか?」

「え――っ、そうしたらまた笹崎くんのコーヒーお預けになるの?」

 少し残念そうにする顔……そんな顔すんなよ戸鞠。


「どうしても僕が淹れないといけない?」

「うん、どうしても……だって約束だもん」


 戸鞠のその言葉に僕は抵抗を感じる事さえ無くなっていた。確かに約束はした。でもこれからまた戸鞠の家で二人っきりになる事を僕は……望んでいたのかもしれない。

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