第22話 The piled love  積み重なる愛

 次の日、僕が目を覚ましたのは、朝の8時をまわっていたころだった。


 「あら、おはよう結城。よく眠れた」

 幸子さんは玄関の板間に座り込んで、アルトサックスの調整をしていた。


 「幸子さん、そのサックス」


 「ええ、私のよ。だいぶ長い間ほったらかしにしていたから、この子ちょっとひねくれちゃったわね。よいしょっと、うん、こんなもんかな」


 彼女はそのサックスを膝の上あたりにおいて、愛おしそうに眺めていた。


 「朝ごはんにしましょ。結城、悪いけどあの人呼んできてくれる。裏の作業場にいるから」


 「分かりました」


 僕は、玄関から家の裏へ回った。そこは芝が綺麗に刈られていて花壇の横には、公園にあるような木製のベンチと木製の丸いテーブルが置かれていた。

 その奥に木造2階建ての茶色い建物が目に入った、そこが作業場だろう。


 その扉を僕はゆっくりと開けた。


 すぐに大きな作業台が目に入り、その奥の棚に整然と並べれている楽器の部品たちが僕を出迎えた。


 光の差し込む窓辺に目をやると、そこには日の光を浴び、輝いたシルバーユーフォニアムが、ケースの中で未だ現れない主を待つかのように、その姿を浮かび上げていた。僕はその姿から目をそらすことが出来なかった。


 「どうした。そのユーフォ、いやバリトンに何かあるのかい」


 その声は、奥の方から静かに問いかけてきた。


 「いえ、きれいだなと思って」

 「そうか、こいつは癖が強くてな。吹いてみるかい」


 僕はその言葉に少しゆれたが

 「いえ、今の僕には無理です。でも……」


 「うん。そうか……」


 彼は、僕の何かを見切ったように

 「笹崎君、名器とわれる楽器は主を選ぶ。そいつに見合った技量と力を持った主を。その資格のないものは、いくら望んでも受け入れてはくれんだろうな。このバリトンが名器であるかどうかは解らない。でもそいつの力を最大限、引き出してくれる技量を持った主が吹くと、きっと答えてくれる思うんだがな」


 彼は静かに語りかけた。


 「世の中にはいろんな音がある。いい音、悪い音、どちらも現実に存在する。だがな、その音を判断するのは人の感じ方によって変わってしまう。だから僕は音の良し悪しについては、あまり定義を持たない。ただ、音を本当に楽しんでほしい、それだけだ。楽器はその音を楽しむための道具だ、だから僕はその道具を良い状態にしてあげたい。音を楽しむためにな」


 懐かしい想いが僕の中で顔を出した。だが、僕はまだあのころのように音楽を楽しむことができるとは思わなかった。


 「こんこん」


 開いたドアを叩く音がした。その方を見ると、頼斗さんが僕らを眺めていた。

 「相変わらず綺麗だな、お袋のバリトン」


 「お袋のバリトン?」


 そうか、先生は実の母親を亡くしていたんだった。


 「お母さんの」


 「ああ、お袋あるオーケストラでプロの奏者として、このバリトンを吹いていたんだ」

 「ふん、あいつはこのバリトンを残して逝ってしまった。僕と頼斗、そしてこのバリトンだけを残して」


 僕は、その光に輝くシルバーのバリトンを静かに眺めた。


 「おお、そうだ、幸子さんぷんぷんだぞ。お前らいつまでたっても来ないって」

 はっと、僕は本来の用事を思い出した。


 「あ、すみません。朝食」

 「さあ行くぞ、幸子さん怒らせると後が怖いからな。なあ、親父」

 僕らは、作業場を後にした。


 「遅いわよ、三人とも」

 幸子さんは、目を通していた楽譜を椅子に置いた。


 「あ、俺もかよ。俺はこの二人を呼びにいっただけなんだけどなぁ」

 「ふふふ、そうね。さ、冷めないうちに頂きましょ」


 「幸子、コーヒーをくれんか」

  幸子さんは流しの方に行き「あら、コーヒー出来ていないわ。スイッチ入っているのに、こわれちゃったのかしら」


 「幸子さん、よかったら僕、入れましょうか」

 「お願いしよっかな」


 「こいつ、コーヒー入れるの上手いらしいからな」

 「頼斗さん、それも恵美からですか」


 「さぁな」


 本当に、この人はしらを平気できれる人だ。


 流しのテーブルにあるコーヒーメーカからサーバを取り出し、挽いた豆を見る。


 「幸子さぁん、豆足してもいいですか」

 「ええ、まかせるわ」


 お湯を沸かし、足した挽き豆を小鍋で軽く炒った。沸いたお湯をサーバーにセットした挽き豆へゆっくりと注ぐ。

 次第に甘いコヒーの香りが部屋を包み込む。

 ゆっくりと抽出したコーヒーをカップに注ぎ、三人の待ち人へはこんだ。


 「お待たせしました。結城特製のモーニングコーヒーでございます」

 「あら、ずいぶんかっこいいじゃない。どれどれ」


 幸子さんは、自分の前に置かれたコーヒーカップを持ち、軽く香りを楽しむように、コーヒーを口に含んだ。


 「ふわぁ、美味しい。本当に家にあった豆なのぉ」

 「うん、美味しいよ結城君」


 「ほう、親父がほめるとは、珍しいな」

 「美味しいものは美味しい、素直に言っただけだ」

 「ふん、ま、旨いけどな。それはそうと、幸子さんその楽譜、今年の課題曲じゃないですか」


 幸子さんが椅子に置いていた楽譜を僕はふと目にした。


 「そうよ、こっちは小編成だったから、これやらなかったわ。でもなんか気になっちゃってね、楽譜取り寄せたの。確か頼斗さんはこの曲やったのよね」

 「ああ、思い知ったよ、でもいい経験だったよ。この1年間の奴らの成長ぶりを見れたからな」


 「そうぉ、それでも頼斗さんのところ県大会金賞なんでしょう、すごいじゃない、素直に喜んだら」


 「まだまだだね。全国目指すんだったらな」

 「まぁ、厳しい先生ね」


 全国、その言葉に懐かしさを感じる。


 「先生、あ、いや、頼斗さん。うちの吹部全国目指しているんですか」

 「ふ、まあな、あいつ恵美が言ったんだよ。響音おとが行けなかった全国大会に、この学校で出たいってな。俺が今の学校に赴任が決まった時、恵美に連絡したら泣いて言ってきたよ。「お願い、私を全国で演奏させて」てな。ま、俺も前から理事長に散々言われていたからな。それからだよ、恵美が少しずつ前に進もうとしたのは」


 「そっかぁ」


 今までの僕の想いは、恵美を好きかどうかに過ぎない。


 ここに来て、響音さんという存在を知り彼にまつわる家族の想い、そして彼、響音さんの想いが、僕の中で見えてきたように思えた。


 先生、頼斗さんが言った、「僕にしか恵美に出来ないこと」それは、このすべての想いを僕が背負わなければいけないんだと。



 僕はその覚悟をここでしなければいけないことを。



 頼斗さんは、僕に必ず恵美と付き合えばいいとは言わなかった。

 それは僕と恵美、お互いがまだ自分自身のこともおぼつかないからだろう。



 まだ、己の喪に服しているのだから。


 そう、たとえ恵美と最後まで共に、人生を分かち合う事が出来ない事になったとしても僕は、恵美を支えてあげなければ、いけないことを。


 


 覚悟しなければいけない。




 僕は椅子から立ち上がり


 「幸子さん。幸子さんのアルトサックス、聴かせてください」


 彼女は、突如のことで動揺していた。最愛の子の音色をまた思い出す事に、恐れを抱いていたんだろう。 


 下をうつむき、彼女はしばらく何も答えなかった。


 でも僕は引かなかった。そのまま、頭を深く下げ。


 「お願いします。幸子さんの気持ちも分かります。でも、僕もその音を幸子さんの奏でる音を、聴かないと、覚悟が出来ません」



 「お願いします」


 先生は僕の横で腕を組みながら


 「覚悟ねぇ。こいつ、何をどう覚悟するのか解らんけど。俺からもお願いします。俺と結城のために」


 僕は、頭をゆっくりと上げると、幸子さんはうつむいたまま大粒の涙をぽたぽたとこぼしていた。


 「う、う、うん。ごめんね、勝手に涙出てきちゃうの、変ね。結城、やっぱりあなたって響音にそっくりよ。あの子、響音に「しっかりしてよ」っていわれてるみたいだったわ。ありがとう、分かったわ」


 彼女は、涙でいっぱいの顔を上げ


 「ねぇ、貴方はよくて」

 「僕は、ずうっと待っていたよ。君がまた、あの音色を奏でてくれるのを」

 「そうね、私も逃げてちゃいけないわよね。それと、美味しいコーヒーのお礼もしないとね。結城」



 「幸子さん、ありがとうございます」

 彼女は、にこやかに微笑んでくれた。


 



 彼女の奏でるアルトサックスの音色は、甘く切なく、そして高らかに気高く聴くものを魅了する。


 そのアルトサックスはまるで命を吹きこまれた様に僕に語りかけてきた。


 もう、音、音色じゃない。


 心に直接呼びかけられる言葉の様だった。

 そう、あの時河川敷で聞こえた声と同じだった。

 

 彼女は、二曲目を吹き終わると少し間をおいた。


 そして


 「最後に、響音の好きだったあの曲吹くね」

 

 その曲は、僕が初めて恵美と出会った時、河川敷で聴いた曲だった。


 この曲は、僕が生まれる前に流行った恋人たちの曲。


 僕にはその意味はあまり解らない。

 でもその曲に込められた愛しい大切な人に贈る想いを感じていた。


 多分、これが響音さんの恵美への想いなんだとその時、解った。


 二人の過ごした日々の想いを。


 そして、それを壊してはいけないんだと……。



 静かに、その曲は終わった。

 幸子さんは、俯きうつむきアルトサックスを眺めていた。



 「ありがとう。私吹くことで来たわ」



 彼女は、ふと晴れた初冬の青空を見上げて


 「響音、聴いてくれたかなぁ」

 「ああ、聴いてたさ。しっかりとな」



 僕は、響音さんの想いを受け取った。



 「幸子さん。無理言ってごめんなさい。そしてありがとう」

 「うんん、お礼を言うのはこっちの方よ。ありがとう、また響音と一緒にいられるわ」



 そう言うと、僕の肩に腕をまわし、耳元でそっと奏でた。


 「響音」


 それは僕意外には、聞こえない小ささだった。


 僕は、そのまま本当に聞こえるか聞こえないか解らない小さな声で。彼女の奏でた音色の声が言っていた様に返した。



 「ありがとう。かあさん」


 幸子さんは、にこやかに微笑みながら僕から離れた。



 そして僕らがこの家を後にする時

 「結城、また必ず来てね。あなたの来たい時にいつでも……待ってるわ」


 「うん」


 二人は、僕らの車が見えなくなるまで、ずっと見送っていた。



 

 ◆Readiness 心構え




  

 僕は、あの街へ戻った。ただ今までとは違う想いと覚悟を持って。



 この街は、僕にとって大切な街になった。


 偶然に出会ったアルトサックスを奏でる恵美に出会い、恋に落ちた。

 身寄りのない僕を暖かく迎えてくれた、政樹さんとミリッツァ。

 そしてこの街で恵美と想いを寄せながら暮らし、想い半ばでこの世を去った響音おとさん。


 この二人を暖かく見守り、思い出としてそれぞれの心の中で生き続け、今を生きていく響音さんの母親、幸子さちこさんと頼斗さんの父親、ただしさん。


 僕と恵美の良き理解者で、彼女のことを亡き弟の代わりに見守っている僕の担任、北城頼斗。

 律ねえの言う通りだ。

 僕は一人じゃなかった。

 彼女、斎藤律子もまた僕を暖かく見守ってくれている。


 両親を亡くし、僕は一人となり、いつもの日常を失った。でも僕は新たな想いと、自分のこれからの道を築く為のスタートラインに立った。


 あとは、目標に向かって走るだけだ。


 僕は、三浦恵美を好きなんじゃない 


 愛したいんだ  


 彼、北城響音きたしろおとに負けないくらいに。




 季節は。

 初冬から冬へと変わり始めた。

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