第19話 2.姿亡き友人◆幻想

 土曜の夜もあって温泉は少し混んでいた。

 この時期、ここを利用するのは、ほとんど地元の人たちのようだ。

 僕は、脱衣所を出て洗い場の椅子に腰かけた。すると、後ろの方から


 「頼斗、なんじゃ、かえっとたんか」


 「おう、横田のじっちゃん、また酒飲んで入っとらんだろうな」

 「はは、何のほんの少しじゃ」

 「いい加減にしないと、そのうちおっ死んでしまうぞ」

 「なんの、まだ死んではおられんからのう、ぶぅはははは」


 先生は、僕の隣の椅子に座り、シャワーを頭からかけた。


 「ふう、気持ちいい」


 「ここにいる人たちは、殆ど俺が幼いころからの知り合いばかりだ。ちょっと土地柄気性は荒いが、みんないい人たちだ」


 「そうなんですか」

 「ああ」

 僕は体を洗い終わり、露天風呂へ入った。


 「温泉なんて、本当に久しぶりだなぁ」

 ふと見上げると、昨夜よりは幾分やせた月が、流れる薄雲から見え隠れしていた。


 この数か月、僕には本当に色んな事が起こった。

 湯ぶねにつかりながら、今までのことが頭の中で、出たり消えたりしていた。

 流れる薄雲に月の光が、見え隠れするように。


 しばらくすると、先生が露天風呂に入ってきた。

 「あぁ、やっぱ温泉はいいなあ」

 そう言って、足を広げ、腕を後ろの岩にやり、のけぞるように大の字になった。


 「なあ笹崎、幸子さん見てびっくりしたろ。あれでも俺より7歳年上なんだ、俺も初めて親父から紹介されたとき、びっくりしたよ。俺よりはるかに年下だと思ったからな」


 「あはは、先生僕、本当は妹さんかと思いましたよ」

 「妹とはな、でも親父とはだいぶ歳の離れた嫁さんには変わりないな」

 「どうして知り合ったんですか?」


 「さぁな、俺はあんまり親父のこと穿鑿せんさくしないからな。昔から、何かと頑固で思い立ったらすぐ行動する人だったからな。ああ、そういえば、幸子さんのサックスの音色に惚れた。なんて、柄でもないこと言ってたな」


 「幸子さんもサックスを」


 「うまかったなぁ、親父があんなこと言ったのが分かるよ。俺も聞き惚れてたしな」


 「それで響音さんもサックスをやっていたんですね」

 「そうだな、響音も、物心付いた頃には楽器がおもちゃだったからな。多分二人のDNAをそのまま受け就いたんだろ。でもな、幸子さん響音がいなくなってから、吹くの辞めてしまったよ。辛いんだろうな、幸子さんも、それを聴いている親父も響音の音色を思い出してしまうから」


 僕は、恵美のサックスの音色を思い出していた。

 あの音色は、響音さんの音色なんだろうな。

 恵美はその音色を奏でることで、響音さんと会っているんだろう。



 かなわない。



 僕はその時、恵美の響音さんを想う気持ちの強さを、痛いほど知ってしまったように思えた。


 敵わない。恵美の心の中には、だって、まだ、響音さんが生きているんだから。僕だけが恵美にしてあげられる事、それがもしそんなことがあるんだったら、そっと見守ってやるしか……出来ない自分がいる。


 先生は、薄雲に見え隠れする月を眺めながら


 「お前、入学前からあの河川敷で恵美を見ていたろ」


 「え、」


 「あの河川敷、俺も何度か行ってるんだよ。晴れた日曜の夕方に、お前が初めて現れる前から」

 「そんな」

 「お前を初めてあの河川敷で見かけたとき、びっくりしたよ。響音だと思ってな。こうして見ても響音とは、似ても似つかないけどその時は、確かに響音だと感じたよ」


 僕は初めて恵美に出会った河川敷の光景を思い浮かべていた。


 「どうして恵美を好きになったんだろう」


 あの時、道に迷い偶然に出た河川敷の公園。


 そこで耳にしたしたアルトサックスの音色。



 確かに恵美は、ほかの同年代の女性より美人だ、これはうちの学校の男どもが証明している。



 僕はその恵美の容姿に惚れたのか?



 「違う」


 あの、アルトサックスの音色に惚れたのか

「それだけじゃない」



 それじゃ僕は、恵美の何に惚れたんだ。



 はっきりとは分からない。

 でもこれだけは言える。

 恵美の奏でるアルトサックスの音色を聴くと、心が「物凄く切ない」


 恵美の姿を見ているだけで「彼女が物凄く、愛しい」


 そして彼女の瞳はどこか悲しげで、本当に遠くの誰かを見つめているような。

 そんな彼女の瞳を、僕はまだまともに見つめることが出ない。


 今考えると、はっきりとしたものはなかった。

 響音さんは、この何十倍も恵美のこと思ってたんだろうな。


 「やっぱり、響音さんには、敵わないなぁ」


 でもどうして、先生は僕を響音さんだったと思ったんだろう。

 わからない。


 「先生」

 「あぁ、どうした」


 「どうしてその時、僕を響音さんと思ったんですか」

 「さあな、俺にも解らん。多分お前と響音が、だぶったんだろうな。俺もまた響音の事、あの場所に行って思い出したのかもな」


 「そっかぁ。でも、よくわかんないです」


 「俺もな、ははは」

 「のぼせてしまうな、上がるぞ」

 「はい」


 風呂から上がりスマホを見ると、恵美からショートメールが来ていた。

 「遅くなってごめんね、メアド送るね」

 恵美のメールアドレスが書かれている。


 そのあとに


 「ユーキ今、家にいないよね、どこにいるの?」


 僕は返事をためらった、恵美に今北城先生と響音さんの墓参りに来ている事を知ったら、恵美はどう思うんだろう。


 自分の過去を知ってしまった僕を、恵美は嫌うんじゃないだろうか。

 そんな思いが湧き出てきた。


 「具合どう? 今、孝義の家にいる。今晩、孝義のところに泊まるから、ミリッツァには後で連絡しておくから心配しないで。僕のメアド、このメールのアドレス。それじゃ、また明日」


 恵美のメアドを住所録に登録してから送信した。

 

 ふと、後ろを見ると先生が僕のスマホを覗き見ていた。


 「な、なんですか、先生」

 「ふぅん、ようやくか」


 「いくら先生でも、プライバシーの侵害ですよ」

 「ぶぅはは、お前らのプライバシー? そんなもん俺の前じゃ無いからな」


 「そんなぁ」

 「冗談だ、帰るぞ」


 僕らは、売店でお酒とジュースを買って、先生の実家に戻った。

 途中、恵美から返信メールが来た。

 「メアド、ありがとう。熱もだいぶ下がったわ、いっぱい心配かけちゃったね。ごめんね。わかった、孝義君のところなのね。孝義君によろしく。それじゃ、また明日」



 後ろめたさが僕を覆い包む。




 そのあと、返信はしなかった。

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