第5話 Owe it to the wind --風に任せて--Ⅰ
その日は 朝からまぶしいほどの日差しが降り注いでいた。
昨夜、久しぶりに
彼もまた、僕のことを心底心配していたようだった。
僕からすると此奴が本当に僕の事を心配していたなんて、信じがたいところもあるんだが……。
「いったい今どんな状態なんだよ。お前んところに行ってやりたいんだけど、な、なんだ今お前に会うと……俺もつれぇんだ」
「そうか、ごめん孝義。心配かけて」
「そんなのどうでもいい。本当にこれからどうするんだよ結城」
僕は孝義に律ねぇから言われた僕の今後の身の流れを話した。
明日僕の保護者に名乗りを上げた人物に会いに行くこと、
そして、この家を出なければならないかもしれないこと。
これは、ほぼ確定事項かもしれない事であろうこと。
それから孝義から聞かされた意外な事実。
三浦恵美が僕の事を心配していたことを告げられた。
「お前本当に振られたんかよ、三浦なんか俺にお前のことどうしているかとか、よく聞きに来てさ。最初、俺も分けわかんなくて「俺も何も訊かされていねからわかねんだよ」ってちょっと強く言ったら、大声あげて泣かれちまってさ、まいったよ」
嘘だろ! 何で三浦恵美が僕の事をそんなにも気にかけているんだ。
彼女とはもう……終わったんだ。
しかし、実際の所僕は、彼女からはっきりとした断りの返事をされていなかったのをどこか心の中に残していた。
あの時、舞い上がった僕はもしかしたら勝手に、彼女からの返事を作り上げていたのかもしれない。
それでもまだ僕の気持ちは彼女の事が引っかかっている状態だ。
未練がましいといわれても、なんといわれてもこの際しょうがないな。
「なぁ孝義」
「なんだ結城」
「僕さぁ、ほんとこれからどうなるんだろね」
「馬鹿か! 今お前がそんな弱気でどうするんだ。とにかく明日その、なんとかって言う人の所に行くんだろ。それからじゃねぇのか」
「まぁそうなんだけどさ」
「済まねぇのは俺の方だ。こんな時俺、お前に何もしてやれねぇ」
「いいんだよ、こうして電話よこしてくれただけでも僕は嬉しいよ」
「そうか……」
「ああ、ありがとうな孝義」
この一本の孝義の電話がどれだけ今の僕の気持ちを前向きにさせてくれたか分からないくらいだ。
親身になってくれる幼馴染はいいものだ。
次の日の午後、律ねえから受け取った三浦氏の店の住所を頼りに、僕は「カフェ・カヌレ」を目指した。
その住所は、あの橋の駅のある街だった。
やはり、一抹の不安? いそれを言うなら期待と言うべきだろうか? もしかして……、嫌そんな偶然が起こる訳がない。三浦という苗字は何も彼女だけのじゃないんだから。
あの日、三浦恵美と初めて出会ってからおよそ一年と三か月の間。
日曜日の晴れた夕方にあの河川敷の公園に行き、彼女の奏でるアルトサックスを聴いている。
晴れた夕方、しかも日曜日限定だった。
彼女のいた確率はおよそ六割。
後の4割は空振りに終わった。それでもよかった。顔所の近くに僕がこれたという安心感が、たとえ彼女がいなくても……それでよかった。
たとえ彼女との会話がなくても確かにお互いの存在は、その目にしていたはずだ。
僕のその姿を見て彼女がどう思っていたのは分からない。
もしかしたら変なやつがいつも来ているとしか、感じていなかったのかもしれないな。
実は嫌われてんじゃないのか?
もしそうなら、あんな告白して彼女に迷惑かけてしまったのかもしれないな。
葬式が終わって2週間ぶりに、あの河川時のいつもの僕の特等席に足を運んだ。
当然のことながら彼女は、いなかった。
僕は、わざわざ彼女がいないことを確認したかった。
いつもと違う時間に彼女がいないことを知りながら、そして、これから向かう先にもしかして彼女がいるのではないかと言う哀れな期待を満たすために……。
ふと、三浦氏との約束の時間が迫っていることに気付く。
しかし、便利な時代に僕らは生まれてきたんだろう。
スマートホンに目的の住所を打ち込むとGPSで自分の現在地から目的地までの道のりと所要時間を計測表示してくれる。
やはり……。
なぜか僕の期待は高鳴った。
自分の表示位置と、目的地の表示ピンが、同じところを指していたからだ。
僕は地図を拡大して住宅を表示させ、それを見てあたりをぐるっと見渡した。
堤防と同じ高さに5階建てのマンションが立ち並び、きれいに区画整理された住宅地が目に入った、その一角に、ログハウス風のしゃれた喫茶店いやカフェがあった。
入口の両脇にある
一年半近くもこの場所に足を運んでいたのに、何で今の今間ですぐ近くにこんな洒落たカフェがあることに気が付かなったのだろうか。
よっぽど僕には縁がなかったのかもしれない。
まぁ、僕がここに来る目的は彼女が奏でる、アルトサックスの音色を訊くためだけだったからなんだろうけど。
心臓が少しずつ高鳴る。
本当に行ってもいいんだろうか? そんな不安を抱きながら僕その店の前で立ち止まった。
玄関の前には、がっちりとしたイーゼルに木製の大きなプレートが置かれている。
ライトアップされたプレートには「Pâtissier Masaki Miura」「Cafe Canelé」と木製プレートに焼印されていた。
分厚そうなウッドドアの前に立った時、ほのかに香る澄み切ったような甘い切ないコーヒーの香りと、オーブンからだろう卵と小麦粉が程よく
僕は、その分厚そうなウッドドアを押した。と同時に「カウベル」がカラカランと鳴り響いた。
ドアは見た目より思いのほか軽かった。
店の中に一歩踏み込もうとしたとき「いらっしゃいませ」と、どこか聞き覚えのある声で迎えられた。
顔をあげて、その声のほうを向くと、そこには……。
赤いベレー帽に黒のオープンシャツを着こなした、三浦恵美が少しはにかみながらいた。
彼女の姿を見た時僕は、なぜだろう……。
何か温かい気持ちになれた。
本当に久しぶりに感じた気持ちだった。
そんな僕の姿を見て彼女は
「意外と早かったね。笹崎君。今パパ呼んでくるから」
「あ、うん」とは言ったものの足は動こうとはしなかった。
「ねぇ、いつまでそこで突っ立てるつもりなの? 向こうのカウンターの席で座って待っていて」
意外と早かった?
彼女は僕が来るのを知っていたのだろうか? そうだよな、知っていて当たり前だよな。
ふと彼女の示すカウンターへ目をやった。
そこは、目に鮮やかな洋菓子がずらりと並んだショウケースと斜めに、5席ほどのカウンターが見えた。
そのカウンターは少し離れたところから見てもわかるほど、高級感があり鈍い黒の光沢が、その存在感を座るものに問いかけているようだった。
よほどの常連でなければ、まっすぐにこのカウンターへ座ろうとすることは出来ないだろう。
黒塗りのアンティークチェアの背もたれが、凜とその容姿を醸し出していた。
窓越しにはアンティーク調のテーブル席が、3セットありその窓からは彼女がいつもアルトサックスを奏でる、あの運河のような河川を眺めることが出来た。
そして、その並びに大きなテディベアがロッキングチェアに座り、静かに夕方の河川敷を眺めている。
カウンターの椅子に座ろうとしたとき、カウベルが高らかに響いた。
その音の方を見ると息を切らしながら店に入る「律ねえ」の姿を見た。
よっぽど急いで来たのだろう、ウッドドアの前で膝に手をやり、前かがみになって息をはあはあさせていた。
ふと頭を上げると
「あちゃ、結城君もう来ていたんだ」と息が落ち着かないまま話した。
僕はやっぱ外では「結城君」なんだと、律ねえを見てはにかんだ。
律ねぇは僕の方を見るなり、顔をさらに紅葉させて軽くうつむいた。
「どうしたのさ律ねえ?」
「ははは」
「今日ここには僕一人で来るようにって言ってたじゃんか。あのぉ、もしかして僕の事が心配で来たの?」
「まぁーね」
「まったく子供扱いなんだから、そんなに僕って頼りないかな」
ちょっとふてくされてように、律ねえを睨んでやった。
ちょうど弟が、姉貴に甘えるような感じに。
そんな僕を見ながら律ねぇは、はにかみながらほほ笑んだ。
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