第2話 あの日であった僕の妖精に
僕は、帰宅途中の電車の中で、イラついていた。
さっきからスマホは鳴り続け、電源を落とすはめに
「まったく今日は厄日だ」
「なにそんなにイラついているだ。お前らしくない」
と 不用意に、しかも いつもの事のように問いかけるこいつは、
幼なじみというやつだ。
孝義は僕とは正反対の性格をしている。
いつもの事ながら本当に楽天家だ。
少し引っ込み気味の僕を、孝義はいつも引っ張り出す。
小学のころ、隣町の中学生と喧嘩になった時、まったく関係のない僕まで引きずり出されて、2人でボロボロになった。
孝義が原因で僕が巻き込まれたことを考えると切りが無いくらいだ。
だが、孝義にもいいところはある。
あいつのいいところ……。考えても思い浮かばない。
今はやめておこう。
「それはそうと 、どうだったんだ?」
「はあ?」
「またまたぁ 、ようやく告ったんだろう
そう 僕は、以前から片想いを抱いていた 彼女、三浦 恵美に告白した。
彼女は同じ学年で別のクラス、吹奏楽部に所属。アルトサックスを担当している。
彼女に初めて出会ったのは、この高校に入学をする6日前だった。
あの日、合格した学校の下見(見学)をした僕らは、帰りの電車二駅を歩いていた。
何のことはない、これから3年間通うこの街の下調べもかねていたのだ。
しかし孝義の奴は一駅を過ぎるなり、「俺もうダメ」などと言い出した。
「わりー、まじ眠う、夜更かしが今になってきやがった。俺ここで電車で帰るわ」
というなりすたすたと駅の改札口へと向かっていった。
こいつの行動はいつもこんな感じだ。
小学生からの付き合いだからこそわかる行動だった。
「わかったよ。俺は次の駅まで歩いていくよ」
そう言って孝義と別れた。
とは言っても、次の駅まではゆっくり歩いても高々20分程度の距離、まぁたいした距離ではない、僕は一人で歩き出した。
次の目指す駅は、大きな川に架かる橋と共にある一風変わった駅だ。
正直その駅はかすかに目にすることができる。
駅自体が高架橋のように高い位置にあるせいだろう、だが、初めての町を甘く見ていた。
僕は、迷った!
さまよい気が付くと、ある河川敷の公園のような場所にたどり着いた。
そして我に戻った僕は、まだ冬をなごり惜しむような、頬を刺す冷たい風と、澄み切った空を赤く照らす夕日の中に溶け込むように、甘く暖かいアルトサックスの音色が、耳からではなく心の中から聴こえてくるのを感じた。
その曲は僕が生まれる前に、はやった流行歌だった。
その音色を奏でていたのは、肩より先に長い金色の髪を後ろに束ね、小柄で日本人離れした小顔の、妖精のような少女。
彼女、
そして僕は彼女に、一方通行な恋をした。
およそ1年と3か月の間。
まだ桜の蕾は、己の行く末すら解らないまま、固い殻に閉ざされていた。
入学式の日、僕は彼女が同じ学年の、違うクラスであることを知る。
入学をしてから、今まで彼女と話したことはない。
正直、声をかける事すらなかった。
彼女の容姿通り、彼女を慕う男どもは、数多くいた。
いわゆるライバルと言うやつだ。
僕にとって彼女は僕だけの妖精であって、他の如何せん男子どもに彼女が軽く話しかける事すら、僕はいい気はしなかった。
ここまで来ると、犯罪者の心境が良く解る。
だからと言って、自分の欲望のままに彼女を、自分だけの籠に閉じ込めるだけの甲斐性もなかったのだ。
この甲斐性なしの僕を、あの学校のマドンナとして、多くの男どもから好意を浴びている彼女に告白という、自分でも到底出来ないと思っていた行動に出たのには、ある事がきっかけとなったからだ。
いつもの晴れた日曜の時間、僕はあの河川敷に僕の妖精の奏でるアルトサックスを聴きに来た。あの駅から歩き遠くから彼女を眺め、あのアルトサックスの音色が十分に聴こえる、自分の決まった場所で足を止める。
彼女はいつもの様に、あの場所でアルトサックスを吹いていた。
あの河川敷で彼女がアルトサックスを奏でていることを知っているのは、その河川敷の近所の人たちだけだろう。
気軽に彼女に声をかけている。彼女もまた、気さくに声を返している。
数曲吹き終わり最後に必ず奏でるあの曲。
僕が生まれる前にはやった流行歌を奏で始めた。この曲が一番僕の心の中に残る曲だった。だが、その曲は途中からいつもとは違い、次第にその音は途切れだし、音色は止んだ。
雨がいつしか空を厚く覆い隠した薄黒い雲から、こぼれだしていた。
彼女は次第に強くなる雨の中、アルトサックスを抱えながら大声で泣いていた。
もうその場所には、僕と彼女の二人しかいない。
雨は彼女のすべてを濡らしていく。
ここからも、彼女の高らかで、切なく悲しい鳴き声が聴こえていた。
その声を聴くたび僕は物凄く切なく、遠くでしか彼女を観ている事しか出来ない、もどかしい自分が許せなくなった。
手を出せば一歩踏み出せば、現実に彼女に近づけるのに。
「動けない」
悔しい自分が想う彼女が、自分の心をナイフで削り取るような鳴き声を聴いているのに。
守ってあげたい
そう強く想った時、もう一人の誰かが、心の中で……。
「もうダメなんだ守ることも何も出来ないんだ。もう君にしかできないことなんだ」
その声はどこから聞こえて来たのかは解らない。
もうそこには誰も居なかったのだから。
でもその時僕は、そこから動くことはなかった。
このもどかしい気持ちが、自分でも信じられない行動をさせた。三浦恵美に告白をした。あの、悔しい想いが薄れる前に。
結果は……。
散々な結果に終わった。素直に自分の気持ちを伝えればいいものを。
その時、自分でも何を話したかさえ思い出せない。
あの時の想いが先走り、言葉が想う様に出ない。
ふと、あの時出た言葉
「君のことを、僕は知っている」
ただそれだけだった。
「あなたは、私の何を知っているの?」
彼女が返した言葉だった。
それもそうだろういきなりそんなこと言われても、言われた方はどう答えたらいいのか戸惑ってしまう。
なぜ、僕はいきなりあんなことを言ったのだろう。これではストカーしていたように思われてしまう。
でも彼女の言った「私の何を知っているの?」
この言葉がやたらと、胸のあたりを熱く蒸しかえさせていた。
確かに彼女の言う通だ。僕は彼女のことは、ほとんど知らない。
同じ高校で学年で晴れた日曜日の夕方、あの河川敷でアルトサックスを奏でている事以外は何も知らない。
それっきり僕は何も話すことが出来ず、心臓だけが高鳴りその場を立ち去ってしまった。
ああ、もう終わってしまった。妖精は僕から飛び立ってしまった。
今思い返してもなんて馬鹿な告白をしたんだと、嘆いてしまう。
今さら後悔しても、もう取返しがつかないことをしまった。
「降りるぞ!」
孝義はボウ―としている僕の腕を引っ張り、電車から降りた。
「いつまで、ぼけっとしてるんだ! しっかりしろほら」
孝義が僕に激を飛ばし、改札に向かおうと肩を返した時、孝義のスマートホンが鳴り出した。
僕はこの日、すべてを失った。
私立森ケ崎高校2年。
その日の空は青く、白い雲が綿菓子のようにふんわりと青い海空を漂っていた。
もうじきこの街にも、夏が訪れようとしていた。
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