4 田舎の村で過ごした日々
4-1 お米にチュンチュン
私たちが育った田舎の村では今頃、田植えがはじまる時分です。
冬は雪深いふる里は、何より米作りが中心なのです。川には透明な水が流れ、水をいっぱいに張った田は、美しい苗よ早く来いと待っていることでしょう。
私たちは、そんなのどかな田舎で幼少期を過ごしました。
とある二軒の農家の裏に暮らしていたのです。私たちたぬきは、
一日かかって植えた苗を見るのは、それは壮観です。
え、たぬきなのに田植えをしたのかですって? 人間さま方が腰を曲げて植えるの大変そうなので、私たちもお手伝いしてたのですよ。
やわらかい土に足を入れると、ひんやりと吸い付いて気持ちよくて、苗を手に一本ずつ差していくのが楽しかったのです。
私が植えた後、お母ちゃんが曲がってるところを直していたみたいですけどね。
私たちがお世話になった農家の人たちはとてもやさしくて、少しでもお手伝いをすると、おむすびを分けてくれました。私たちは代わりに森の実を取ってきてお裾分けをしたり、仲良く暮らしていたのです。
不思議ですね。お昼に休んで食べるおむすびは、ただ塩を振って結んだだけなのに特別な味がします。
田んぼに吹く風はやわらかく頬を撫でていきました。毎日すくすく育っていく苗を見ながらの暮らしは豊かなものでした。
一方、きつねたちは穴掘りが得意でした。畑に筋をつけてから、種まき用の穴を掘っていました。一匹が穴を掘って「はい、ここ、種まいて」と言うと、後ろの一匹が種をぱらぱら撒いて、野菜作りを手伝っていました。
野菜の収穫、楽しかったですね。トマト、きゅうり、茄子、オクラ。お父ちゃんが酒の肴に頂いていた青唐辛子。うっかり食べると火がついたみたいになっちゃう辛さなのに、お父ちゃんは嬉しそうにお味噌をつけてかじってました。
秋になるといよいよお米の収穫。お米にチュンチュン雀が騒ぎ出し、まもなく新米が食べられるのです。もう最高の瞬間! 月に向かってポンポコポン!
さながら「新庄節」(*6)で歌われるように、のどかな風景です。
「
お空にゃ
*
夏音たちきつねは六人(匹)家族。お父さん、お母さん、おじいちゃん、お兄さん、夏音と妹。私たちたぬきは五人(匹)家族。お父ちゃん、お母ちゃん、ばっちゃん、私と弟でした。
きつねもたぬきも家族単位で暮らすどうぶつです。一途で、一度決めた相手と生涯暮らすのです。
きつねの母は縫い物が得意でみんなの洋服を作ってくれました。たぬきの母はお料理上手で、いつも食卓はにぎやかでした。
きつねの父はイクメンのしっかり者で、たぬきの父は呑み助のちゃっかり者でした。
きつねは意外にさみしがりやで警戒心が強いのです。そのせいか、危機管理がしっかりしています。たぬきはぽわわんとして、自分も化かす癖にすぐ人を信じて騙されてしまう家系なのです。
だからね、ちょうどよくお互いを補完し合っていたような気がします。
*
私たちが幼少期の一才の頃、左房家には女の子の「さゆき」、右紺家にはさゆきと同い年の男の子「なつね」がいて、私たちといつも一緒に遊んでいました。
二人が幼稚園から帰ってくるのを待って、なわとびをしたり、缶けりをして遊んだものです。
私たちは幼稚園もだいすきだったので、時々化けて遊びに行きました。幼稚園の先生たちは、私たちのことを、さゆきとなつねの親戚が遊びに来ているのだと勝手にカンチガイしていて、まったく疑っていなかったようです。
いつしか人間と動物の境がなくなって、私たちも遊んでいると、自分たちが人間であるかのように錯覚していたのかもしれません。
たまに私たちが二人に化けて幼稚園に通った日もありました。人間もたまにはさぼって山で遊びたいのですよ。
お気づきですか。そうです、今の私たちの名前は、二人から拝借した名前なのです。当時の私たちは、「ぽん」と「こん」という名でした。
<民謡ひとこと講座>
*6「新庄節」 山形県新庄市民謡
輪踊り。逢いに来たぞえという男性の心情。ハーキッタサー。
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