2-4 不忍池でスワン
紗雪が行きたい!と言うので、俺は日曜日にあいつに付き合う羽目になった。
「夏音! デートに行こう」
いやいや、決してデートなどという甘いものではない。たとえ周りをカップルで囲まれたとしても。
「紗雪、デートではない。ボート、だろ?」
さて、張り切ってやって来たのは、上野の不忍池。不忍と書いて、しのばず、と読む。
なんかカッケーよな、不が付く文字。
不忍池の半分は今、蓮の葉で覆われている。大きなひらひらした葉が、露を乗せてきらきらと光る。身軽な動物であれば、飛び石のようにぽんぽんと渡っていけそうなくらいに。
もうすぐ蓮の花の蕾がつく頃だろうか。花の見頃は真夏の朝。弁天堂を背景にしたあの見事な大輪の花を見るのは、ここに来てからの楽しみだ。
柳の枝が揺れ、水面に映ってゆらゆら揺れる。池の淵にはピンク色のつつじがたくさん咲いていた。
「いい匂い。おいしそう」
何でも食べることに結び付ける食いしん坊の紗雪が、つつじの花に近づいてくんくんはなを鳴らす。
「花をちぎるなよ」
「ちゅうちゅう吸うとおいしいのに」
「だめだめ。お前こどもの頃、散々花を吸い散らかして怒られただろ?」
俺は地面に無残に捨てられたサルビアの花の前で、紗雪がおふくろさんに叱られて小さくなっている姿を思い浮かべていた。
しょぼんとしている紗雪を慰めようと近寄ると、「あーあ、おいしいのになぁ」とまるで反省してないつぶやきが聞こえて呆れた。
まあ、あれからはさすがに「お花が可哀想かぁ」って、やめたんだよな。
「あれ、乗ろう!」
紗雪が指さしているのは、池に浮かぶ、ボート・スワン。
ちょうど動物園から出てきた親子連れが、パンダのぬいぐるみを大事そうに持っているのに遭遇する。こら、紗雪。物欲しそうに見るな。
俺たちはだな、これから足漕ぎボートに乗ってロマンチックな雰囲気、じゃなくて、フルスピードでもって真剣に漕ぐのだ。そう、足腰鍛錬のために。
白鳥は水面下では足をめっちゃ動かしているのだ。涼しい顔をして。
今日は制服じゃなく私服なので、紗雪はスカートじゃない。お転婆娘なので、パンツスタイルの方が合っているし、俺の心臓にもいい。
たとえ中身がたぬきだと知ってはいても、制服のスカートの時は、あちこち無頓着に転げまわったりするから、クラスメートの男たちがドキっとしているのが気にかかってしまう。
そう、俺じゃなくて、周りに迷惑だから困るんだ。水色ストライプのパンツとか、別に見てないからな。
俺は何を言ってるんだ。これはミッションなのだ。エイエイ! 邪念を追い払って今日も爆走するぞ。
スワンは、白・水色・ピンクとカラフルだ。白が基本のはずなのだが、まあ、いろんな事情があるんだろう。
紗雪が「今日はつつじに合わせてピンク!」と言うので、そうなった。
最短記録が出た。池に浮かんでいた他のボートの人たちがビックリしてこっち見てる。池の周囲を舐めるように高速に進むスワンが出現したら、誰でも驚くだろう。
次の目標はもっと波を立てずに、音を立てずに進むことだな。不忍の池だけに、シノビを極める!
*
ふおー。無駄に張り切り過ぎて、足がパンパンでつりそうだ。
案外屈強らしいたぬきは、まったく問題なさそうにスキップしている。
「夏音。『こころ屋』さんに寄ってこー」
紗雪がとある和菓子屋の前で、ぴょんぴょん飛んで指をさす。あいつの大のお気に入りの店だ。
「折角の鍛錬した分は、その一口で台無しとか、フツーの女子高生なら考えるぞ。いくらたぬきでも見た目は女子なのだから、少しは……」
「はぁ? 女の子はスイーツでできてるんです!」
ときっぱり宣言されて、みなまで言わせてもらえなかった。
「はうっ、おいしーい。このしっとり具合、最高!」
おしるこの白玉とこしあんを、しあわせそうに頬張るなぁ。俺は、なんだかんだとこの笑顔にヨワイ。
目をくりくりさせて、すっごく嬉しそうだ。
愛くるしいって言葉があるが、愛しいのか、苦しいのか、あれ何なんだ。
こいつは色々人としては不出来だが、愛玩動物としては100パーなんだよな。なんかズルイ。
俺たちきつねは、環境に順応する力に優れていると言われる。
雪の積もるところでも、山奥でも砂漠でも、人間の多い東京でも適応できるのは、多分あまり周りを信用していないからだ。どこかシビアなところがある。目の前にある状況にうまく合わせたようにみせるしかないんだよ。
一方のたぬきは本気の甘えっこだ。気づくときつねのしっぽにしがみついている。
え、しっぽ? ああ、俺にもあるから。時々な、ぴょこんと。もちろん誰もいないところ限定でしか変身は解かないけど!
ぽん。
ぽん。
もふもふ。
ふわふわ。
都会はやっぱり疲れますね。
やっとふたりで、いや二匹でほっと一息。
なんてことを時々二階で言いながら、眠りにつくような晩もある訳で。
俺たちは二人で一人なのかもしれないなと、思っている。
トリコさんへのお土産を買って、それを嬉しそうに抱える紗雪を見ながら、ふる里のことを思い出していた。まもなく田植えの季節だな。みんな元気でやってるだろうか。
家に帰って、昨日の残りのたけのこご飯を頂こう。
お焦げのとこ取ってあるんだ。トリコさんがおむすびに握ってくれてたな。
そんなことを思いながら、俺は今、人間として生きていることを実感していた。
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