夏音と紗雪の約束 -ハッピー民踊部!-

水菜月

1 ハッピー民踊部にようこそ!

1-1 春まだ初め


 約束だよ ずっと一緒に

 いつまでも 僕らは永遠に


 幼き日にした約束が、今も僕の心に命の花を咲かせる。

 原因はたった一輪のつゆ草だった。

 青い花の可憐で哀しい一瞬。

 摘んだそれを君に渡したくて、夜の道を急いだ。そして二人は……。


 ああ、花火が上がる音がする。僕の中で木霊する。


 またあの夏の夢を見た。

 いつまで経っても脳裏に焼き付いたまま、忘れられない現実。

 夢を見るたびに、心の中が擦り減っていく。

 それでも僕は、生きると決めた。



「夏音! なつね、な・つ・ねっ!」

 朝から騒がしいなー。もう、このおてんば娘め。

 お前には情緒ってもんがないのか。俺は今、とっても感傷に浸っていて。


「ほら、早く起きないと、今日から朝練だよっ」

 こいつはいつだって元気印だ。

 低血圧とか、朝は気怠いとか、ぜったいにこの俺様の繊細さを理解してもらえない。


「起きた? おはよ」

 ぽわんとした顔が至近距離にある。

 くりくりとしていてタレ目なのが、愛嬌あるんだよな。

 この笑顔を見ていると、俺は生きていかなきゃと思えるから、ほんと仕方ない。

 そんなこと、口が裂けても言わないけどな。言えるかっ。


 引きずられるように布団から転がされて、タオルを投げられた。

 二階の洗い場で顔を洗う。水色のおにぎりの形の石が散りばめられたタイルの洗面台。

 レトロな設計のこの屋敷は、戦後、昭和の時代に建てられたものらしい。あちこちガタガタと立て付けが悪いが、やはり木の匂いがする家は落ち着く。


 浴衣の袖を濡らさぬようにくるくると捲ってから、水を掬う。

 水はもう温い。季節はもう春だ。

 故郷の川の水ならば、きっとまだ雪が溶けて間もなく、冷たいだろう。

 それを思い出して気持ちをシャキッとさせ、顔をパンパンとたたく。よし、水も滴るいい男だぜ。



 俺たちは一年前にここ、東京は上野にやって来た。

 高校入学に合わせて二人で上京してきて、そして今、この家に世話になっている。二階の襖で仕切られた二部屋を借りているんだ。


 階段を降りると、御御御付のいい香りがする。おみおつけ、おみそしるよりすきな響きだ。


「おはようございます。トリコさん」

夏音なつね、おはよう。相変わらず朝は弱いわね」

「もう、ほんとになかなか起きないから大変」

紗雪さゆきも苦労するわね。でも、いい男だから許せちゃうか」


 さゆきは俺の幼馴染で、生まれてからずっと一緒にいる。いつだってそばにいた。

「明日からはチューして起こしちゃおうかなー。もう解禁だよねっ」

「なっ、やめろよ。俺、自分で起きるから」

「ふぅーん。起きれるもんなら、そうしてもらいましょうか」

「夏音の貞操が奪われるのも時間の問題だわね」


 よそってもらったお椀を受け取る。

 あー、俺のすきな卵と絹さやのおみおつけ、最高だわ。

 このちょこっと半熟加減の黄身の具合。箸で割ると、中はとろっとしているのに、汁に流れ出ない絶妙なやわらかさ。

 トリコさん天才。紗雪、ちゃんと習っておいてくれよ。

「いつまでふぅふぅしてるの? たべちゃうよ?」

 ほっとけ、俺はねこ舌なんだ。


 ま、みそしるって言わないほんとの理由は、トリコさんがアラサーってとこにあるんだけどな。みそ……から、三十路が連想されて、ピキーンって髪が逆立つから!



 白鷺しらさぎ家に居候することになったのには、理由がある。

 白鷺鳥子しらさぎとりこさんは、紗雪の母が東京にいた頃から親交を深めている間柄。

 彼女はここで踊りの名取なとりをしてるんだ。白鷺流といえば、泣く子も黙る日本舞踊の有名な流派で、いずれはトリコさんが代表になる。


 だが、師匠にはもう一つの顔がある。

 それは、日本民踊推進委員の副会長という使命だ。俺たちはその民踊を習いにはるばるやって来た。


 さあ、今日も出かける俺たちを、玄関先で「いってらっしゃい」と送り出してくれるトリコさんの存在。

 故郷の母を思い出させる朝のひとこま。ありがたいっす。


 いってきまーす!




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