第弐話

【漁河干物屋】の看板が、朝靄あさもやに濡れて良い雰囲気を演出している。


樹の腹がぐうと鳴っていたので、持っていた焼きたらを差し出した。


「何だこれは……!!噛めば噛むほど、旨味や霊力が溢れてくる……だと……!?」


『ふふふ、参ったか鬼よ!』なんつって。

この美味しさが解る親父臭い人間で良かったと、初めて思った。


こうやって他の人……鬼と焼き鱈を食べていると、共働きで帰って来ない父親を思い出す。

仕事で疲れた父が焼酎と焼き鱈で晩酌しているところに割り込んで、焼き鱈をねだっていたっけ…………。


「……お?やまがりンとこの!」

「あ、はい。その節は祖父がどうも」

店のシャッターの奥から、店主のやす爺ちゃんが出てきた。

会うのは大体2年振りである。

ちなみに山狩は祖父の苗字だ。

「何だ、彼女も一緒かえ?ええな、若さは」

「いえ、この娘は――――」

「どうも、私は許嫁いいなずけ最上もがみいつきと申します」


……はいィィィィィィィイッッ!?

ちょっと待て、そんな話聞いてないぞ僕は!


「ほぉ、そうかいそうかい、それなら心配ないさね!」

恭雄爺ちゃんも納得しないで!

嘘ですから、嘘!!


と、内心で叫ぶ僕に樹がこっそりとささやいた。


「――――嫌な事も、生きる為ならするさ」


その声は小さかったが、意志の固さは確かなものだった。

生きる為、か……。

僕はその時、とある矛盾に気付く事が出来なかった。

もっと早くその事に気が付いていれば、は避けられたかも知れないのに……。




僕はその後、樹が『これは良い!』とイチ推しした焼き鱈とアタリメを買った。

大量に買ったのに財布ふところはまだ温かい。

改めて爺ちゃんの価格設定の破格さに感謝。


店を後にして、樹は言う。

「まさかこれだけとは言わないな?」

まあ確かにこれだけではないけど。

「違う店じゃないと買えない物もあるんだ。

例えば……おでんとか?」

「あぁ、田楽でんがくみたいなアレか?」

厳密には違うと思う。

あんまりおでん食べないから分からないや。

「……だが、人間とは面倒なものだな?

わざわざ店を離したり、言葉を縮めたり。

この国は特に、昔と変わってしまったな」

「そうなのか?」

これは昔話モードか?と期待する。

実は僕、年配の人の話を聞くのが結構好きであったりする。

祖母の愚痴ぐちなんかよく聞いていると、これが中々どうして面白い。

当人たちの言葉の収拾が弾幕のように、放たれては弾けるさまが見えるのだ。


「ああ。私がまだ地上にいた頃なんか、今ある現代の言葉の大半はまだ無かった。

人々は化生をおそれ、ならわしを堅く守る者たちだった。

今はもう、ここに鬼の居所は無いのだ……」


そういう樹の顔は哀しげだった。

昔を想い続ける祖母に、何処か似ていた。

僕は思わず彼女の手を取った。

「居場所が無いなら一緒に造ろう!!」

止めどなく、言葉が溢れてくる。

感情の激流、思想の流星、至極勝手に紡がれる言の葉の散弾が、僕の目頭を熱くさせた。

何を言ったかも覚えていない。だが確かだったのは、僕が樹に向けて言葉を伝えたという事実だけだった。

気が付けば僕は泣いていて、樹は放心していた。2人は互いの顔を見て笑い、そして言い合った。

「……そろそろ戻ろうか」

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