タダカツ、蹂躙する
黒い壁。シルヴィアは迫ってくる男にそんな印象を抱いた。
そうしている間にも一歩、また一歩と踏み出す度に加速していく。雪崩のようなその男の登場に出鼻をくじかれた形となった野盗団は、動くことすらできずにいる。
追う者と追われる者が、たった一人の為に逆転したのである。
「総員、狼狽えるな!奴一人殺せばそれで済む話だ。いつものようにやればいい!」
その瞬間、浮き足立っていた野盗達がなんとか気を取り直した。ここぞというタイミングでの声掛けは、ただの野盗程度が出来ることではない。集団を統率する、場違いな程のカリスマを持ったトップが居る事がうかがえる。
そして先程まで自分と会話をしていた男が敵のトップなどではなかったことをシルヴィアは察した。なんて狡猾な男、と予想を超える敵の優秀さに驚きを隠せない。
「貴様が大将だなぁ!?そっ首、己に寄越せぇえ」
だが、そんな事情など迫りくる壁のような男には知ったことではなかった。そもそもなんの確認もせずにいきなり野盗を仕留めた程躊躇いのない男だ。敵とみなしたその瞬間から、落とすべき首としか捉えていないのである。
対する野盗団は、一人減ったことで五人での迎撃となったが、相変わらずの慣れた様子で陣形を整えた。前衛三人、後衛二人。最善の一手だ。迫り来る大男に向かって援護射撃を放ちつつ、近づいて切りつける。
そのデカイ槍も近づいて仕舞えば無用の長物に過ぎん、そう心算したのだ。必勝の作戦だった。弓を構える男は勝った、と確信した。しかし弓を引き、放とうとしたその瞬間に全ては決する。
迫り来る大男、タダカツはその背に括り付けてあった長槍を素早く構えた。タダカツは早馬のように駆ける勢いを殺さず、大きく右に振りかぶる。
そのまま走りながら、弦に溜め込んだ力を解放しようとする後衛二人を確認する。
次の瞬間、大口を開いた。放たれたのは獣の如き咆哮。唯の声に過ぎないはずのそれは、恐ろしい程の重圧を秘めていた。
周囲の誰もが動けない。タダカツの放つたった一回の咆哮が、この場を支配する者が誰なのかを雄弁に物語る。追う者は、タダカツ唯一人。他は全て追われる者に過ぎないことを、この場にいる誰もが理解した。
「どっせぇえい!」
気合の声と共に、そのまま流れるように長槍を横に一閃する。前衛三人は全く動けぬまま、その一撃を受けた。
沈黙が場を支配する。数瞬後、首三つが音もなく彼らの胴体を滑り落ちた。
「ひっ……。ひぃっ、化け物っ!」
野盗の一人が惨めにも逃亡を選択した。それまで対峙していたタダカツに背を向けて、少しでも長く距離を取ろうとする。その様は、何も知らない者が突如猛獣と出会った時とよく似ていた。背を向けること自体が自らの敗北を雄弁に語る行動に他ならない。そして彼にとっての最大の不幸は、タダカツを敵に回したことだ。
当然、そんな逃走を許すタダカツではないのだから。
「ふんっ」
振り切った後の槍を左手に持ち替えると、すぐさまぶん投げた。逃げた男を見もせず何処か投げやりな様子だったが、放たれた一撃はあっさりと背中を貫いた。
かくして数十秒にも満たぬ間に、総勢八名を誇る野盗団は物の見事に壊滅したが、最後に残った狡猾な男はまだ諦めていなかった。
タダカツが槍を投げたその瞬間に動いたのだ。手に持つ弓矢を無造作に手放すと同時に腰に括り付けた短刀を瞬く間に構えると、タダカツの喉元に鋭い一撃を放つ。余分な動きをすべて廃した突き詰められた合理性から、ほとんど予備動作もなく放たれた一撃はまさに必殺だった。
だがタダカツは更にその上をいく。あろうことか短刀を放とうとする男に向かって突っ込んだのだ。槍を投げた勢いを転用し、身体を縮めるように低い体勢をとったかと思うと、そのまま凄まじい威力のタックルを浴びせた。タダカツが持つ重さを全て威力に変えたのだ。体重移動における極致と言っても過言ではないだろう。
短刀を振るう動きの起点を潰された男は、受け身を取ることも叶わずに地面に叩きつけられた。
この時、タダカツが男の腰を抱えるように倒していて、馬乗りになった。
「かはっ……」
恐ろしい威力で地面に叩きつけられた男は、内臓をいくつか潰されて吐血した。次の瞬間短刀を握る右手を驚異的な握力で握り潰された。最早状況は決した。
「事ここに及んで逃げ出すとは見苦しいにも程がある。貴様は違っとったがの。貴様は大将首だったな?だが首はもういらん。貴様らの首なんぞ取っても恥だ。命だけ寄越せ」
「ぐっ……。ま、待て!助けてく」
「聞く耳持たん。さぱっとそこで死ね」
タダカツは命乞いをした男に最後まで言わせることなく、その頭を両手で掴むと何度も地面に叩きつけた。暫くは男の悲鳴が響いたが、やがて途絶えた。呻き声すら聞こえなくなるまで、何度も何度も叩きつけた。
最後には何かが潰れたような音がした。
静寂が辺りを包んだ。タダカツは男が確実に生き絶えた事を確かめると、ゆっくりと立ち上がった。その顔はは不快な目にあった、と言わんばかりに何処か苦々しげである。
「あの……助けていただいて、ありがとうございました」
シルヴィアは、目の前で繰り広げられた凶業に思わず引きつった表情を浮かべそうになるが、なんとかお礼を言った。話が通じる相手ならいいのだけど、と不安が募る。
「おう」
帰ってきた返事は一言だけ。それだけ言うと立ち止まって、表情を元に戻しシルヴィアをじっと見ている。
会話が広がらない。シルヴィアはたいして長く生きてはいないとはいえ、流石にこんな事態は初めてであった。何をどうすればいいのかサッパリだった。しかも突然話が通じるかも分からない蛮族に助けられたと思ったら、じっと観察されているのである。表情を固めたまま、シルヴィアはパニックの渦に飲み込まれた。
時間だけが無情に過ぎていく。流石にいたたまれなくなってきた頃、予想外にもタダカツが声をかけた。
「それで、主は一体誰かの?」
タダカツとしては、単純に気になったことを口に出しただけである。しかし、シルヴィアにとっては違った。得体の知れない蛮族に気を遣われた、と感じたのだ。
話が通じそうな様子にホッと一息つきそうになったが、気を遣うそぶりを見せたコイツこそがそもそもこのよく分からない状況を作った張本人だ、と思うと無性に馬鹿にされた気分になった。
勿論的外れな怒りではあったが、パニクって思考停止していたシルヴィアにとっては、気持ちに火をつけるという意味で都合が良かったのである。おかげで失われた会話が帰ってきた。
「私ですか?シルヴィアと申します。個人商人を営んでおります。……そういう貴方は?」
「む。己はタダカツという。最近冒険者になった」
つい先ほどまで続いていた沈黙からは想像もつかない程無難な会話だった。ともあれ調子を取り戻したシルヴィアは、商人としての損得勘定を冷静に始める。
取り敢えず、エリアルまでの護衛が必要であると結論づけた。目の前の男タダカツは都合がいい、と早速話題を振る。
「ところでタ、ダカツさん。この道を歩いていたという事は、エリアルまで向かわれるのですよね」
シルヴィアは思わず噛みそうになった。言いにくい名前ね、と内心ちょっと焦る。商売を通じてあちこち動き回ったシルヴィアだったが、タダカツという名前の響きはあまり聞き覚えがなかったのだ。
「おう。よう分かったの。ぎるどでえりあるまで歩けと頼まれた」
「なるほど、つまり治安維持の依頼を受けていらしたのですね」
「おう」
ここに来て運が味方している、とシルヴィアは感じた。逃す手はない。
「実は私もエリアルまで向かう最中だったのです。それで、もしよろしければエリアルまでご一緒していただけませんか?」
「あい分かった。己は構わん」
交渉はあっさり終わった。身構えていた自分が馬鹿みたいね、と何処か拍子抜けな気分にシルヴィアはなった。
ともかく、そういう事になったのである。
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