第11話
それからずっと、仕事を理由に僕も曜もさくらさんには会えなかった。
そうしてカレンダーが三月に変わった頃、僕の携帯に彼女から連絡が入った。
久々に入った彼女の部屋は相変わらずこざっぱりしていて清潔だった。さくらさんは、昨日まとまった仕事を片付けたの、さっぱりしたわ、と微笑んだ。
柔らかな陽射しの中、僕と彼女はリビングでレモンティーを飲んだ。ぽつりぽつりと近況を話し合いながら。
紅茶を飲み終わった頃、さくらさんが静かに告げた。
「やめに、しましょうか」
何の事かすぐに分かった。
「曜とは、駄目なの」
「・・・・」
それが答えだと、僕は理解した。
「じゃあ、やめ、なんだね」
さくらさんは僕を見つめて言った。穏やかな眼差しで。
「好き、じゃないんでしょう」
私の事を。
少し考えた。
「好き・・・なんだと思う。さくらさんの事も」
言ってから後悔した。
さくらさんはふんわりと笑った。
儚げに。今にも消えてしまいそうに。
正直な人間になれ、なんて嘘っぱちだ。僕は正直な事で周りをどんどん傷つけてゆく。
さくらさんが口を開いた。
「やっぱり。私だけじゃないのね」
私ね、と彼女はゆったりと話し始めた。低い、美しい声で。伏せ目がちに。
「私だけを見ない人を探していたの。永遠の愛なんて信じられない。一人だけを愛し続けるなんて。愛なんて、いつか終わりが来るでしょう。そっちの方がよっぽど純粋で正直だと思う。・・・だから、やっと夢が叶ったと思っていたのに。・・・しょうがないわよね」
私だけを見ない人を好きになっちゃったんだから。
「ぜいたくすぎるわよね」
実際好きになったら、私だけを見て欲しいなんて。
そうして彼女は珍しくしまった、と言う顔をした。
「ごめん。・・・気にしないで」
私はそんな事言える立場じゃないのに。
そうして、儚げに微笑んで、言った。
「ありがとう」
玄関を出ると、
「じゃあ」
と、至極あっさりとさくらさんは別れの言葉を口にした。
僕もうん、と頷く。
何故か悲しい気持ちは起きなかった。
仕方がない、と思う。
僕はさくらさんだけが好きではないのだ。
三人のさくらさんが好きなのだ。
さくらさんが。
曜と付き合うさくらさんが。
僕と一緒にいるさくらさんが。
僕はさくらさん自身が好きなのではなくて。
さくらさんを取り巻く世界を、空気を愛したのだ。
アパートの扉が閉ざされる時、僕は一度だけ振り向いた。
そこにはまださくらさんが立っていて、僕と目が合うと、
彼女は笑った。
僕が今まで見た中で、一番幸せそうな笑顔だった。
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