第10話
「また、描いてもいいかしら」
「・・・うん」
最近さくらさんは僕をスケッチばかりしている。
休日はおろか、たまに平日、学校帰りに寄った時も彼女は僕を描くようになった。どうしても描いた絵が気に入らないらしい。
彼女の部屋にいる間ずっと、僕はモデルになり、彼女は描いた。一時間も、二時間も。何枚も、何枚も。
その間。スケッチをしている間に見せる彼女の真剣な瞳を僕はどうしていいかわからない。
描いている間、彼女はほとんど僕を見ていた。スケッチとはそういう物なのかもしれないが、ほとんどスケッチ帳を見ずに、手を動かしている様は何だか不思議に思えた。
僕を見ている。
真剣な表情で、僕を見ている。
時々視線を合わせると、その狂おしいくらいの瞳の強さに、僕は思わず目を伏せた。
僕の全身に、びりびりするほど彼女の視線を感じる。
さくらさんはこんな風に僕を見なかった。
僕達は、僕達の恋は。
お互いを見るのではなく。
同じ方向を見ていたのに。
ある予感がした。
「さくらさん」
僕は、黙々と鉛筆を走らせる彼女に声をかけた。
「何? 」
彼女の手は動いたままだ。
「曜は描かないの」
「聞いてみたけど、やっぱり動かない事は苦手らしいわ」
「曜は綺麗だよ」
しゃっ、しゃっと言う鉛筆の音。
「知ってるよね」
スケッチを走る、彼女の手の無駄のない動き。
「曜を、描いてほしい」
彼女の手が止まった。
さくらさんはゆるゆると顔を上げて僕を見た。
「さくらさんがどう描くか、見てみたいな」
「・・・難しいわね」
どちらが難しいのか答えないまま、さくらさんは、ありがとう、遅くなっちゃったわね、今日はこれで、とスケッチ帳を閉じた。
彼女のアパートを出る時に、
「聖司君、これ」
さくらさんは小さな包みを差し出した。淡いピンク色のふわふわした紙で綺麗にラッピングされている。
「ありがとう」
今日はバレンタインデーだった。
「曜も喜ぶと思う。意外に甘いの好きだから」
「曜の分はないわ」
一瞬沈黙した。
「何で」
さくらさんは視線を逸らして答える。
「・・・バレンタインデーに会うのは聖司君だったから。遅くなってからだったら曜もがっかりすると思って」
「曜はそこまで神経質じゃないよ。いいよ、じゃあ僕の半分あげるから」
さくらさんが何か言いかけるのを、僕は遮った。
「・・・曜も彼氏だよね」
何だろう。僕は今、とても残酷な気分になっている。
さくらさんは静かに答えた。
「・・・そうね」
僕はいつも全ての事に何となく流されてきた。
なのに、恋に関しては何故こんなに強気になれるのだろう。
受け取ってしまえばさくらさんを安心できるのに。
彼女を幸せにしてあげられるのに。
それでも心の声が僕に警告する。
駄目だ。ここで受け取ったら。
愛しているのなら。
さくらさんの事を、本当に愛しているのなら。
受け取っては。
そうね、そうよね、とさくらさんは髪をかきあげ、努めて明るい顔で言った。笑顔がゆがんでいる。
「じゃあこれ、曜に渡すわ。後から曜にもらって」
その瞬間、僕はさくらさんが曜にも渡さないだろう事が分かった、きっと、誰にも。
ああ、音が聞こえる、からからと。
分かっていたけれど、いつかは、と。
だから僕はゆっくりと歩んできたのに。
あなたも同じ種類の人間だと思っていたのに。
どうして、さくらさん。
音が聞こえる。
破滅の音が。
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