第7話
空は穏やかに晴れ、澄み渡っている。薄いさわやかな水色。冷たいけれど清清しい。
気分が良くなって両手を後ろに組み、思い切り胸を反らす。背中がぎしぎし言っている。
「んー、気持ちいい」
そのままの姿勢で首だけ後ろに回す。
「俺、晴れ男なんだ」
少し後ろを歩いていたさくらがにっこりと私もよ、と微笑む。俺はそれだけで、世界一の幸せ者になった気持ちになる。
「さくら、行こう」
彼女の手を握り、少し強めに引っ張った。彼女の華奢で少し冷たい手の感触を左手にとらえながら、遊園地のゲートをくぐった。開園早々だと言うのに、園内には大勢の人で賑わっている。既に人垣が出来ているぬいぐるみのキャラクター達の横を、ふいと通り過ぎる。俺はもちろん、さくらも特に興味はないのだ。彼女は建物や大道芸人達やアトラクションをきょろきょろ見回している。
「さくら、ここ初めてだったっけ。他には行った事あるの」
彼女は形の良い眉を寄せて、少し考えた。
「・・・あるけど。かなり前に行ったきり。十年以上前は前かしら」
へえ、と言いつつ、やっぱり、と思った。彼女と遊園地はどことなく雰囲気が違う。例えば彼女の雰囲気は、雨、図書館、平日のカフェ、画材道具でいっぱいの仕事場。
それに、と思いかけて頭を振る。振っても一旦思ったイメージは、脳裏に断片となってぐさりと残る。それに、彼女を連れ出す男達は、俺と聖司を除いて、もっと年上で金持ちで、遊園地な雰囲気の奴じゃないだろう。
「面白いわね、遊園地」
さくらの言葉でふと我に返る。左手は彼女の手を硬く握り締めたままで。何で、と聞くと、彼女は私が行かない所だもの、と本当に楽しそうに答えた。俺は笑って、行こう、と手を引っ張った。
二月の遊園地は程よく空いていて快適だった。俺達はどんどん歩いた。どんどん観た。どんどん乗った。一緒に驚いて、興奮して、笑い合った。
「さくら! さくら、さくら!! 」
俺はさくらの手を強く引っ張った。
「ほら、あそこ開いたよ、急がないと」
彼女の名前を何度も呼ぶ。さくらがそこにいる事を確かめるように。呼ぶと彼女が俺の方を向く事を、どこにいても、何をしていても俺の方を向く事を確かめる為に。彼女が困ったように笑う。
「曜といると目立つわ」
確かに元々目立つ方、だと思う。例えば雑踏の中で女性とすれ違う時、時々俺を見る女性の視線を感じていたし、電車の中で偶然目が合った女子中、高生が黄色い声で騒ぐのも気が付いていた。前はそういう視線を気にしていた。でも今は、そんな事どうでもいい。ただ、さくらだけが俺を見てくれていたらいい。彼女が俺といる時は、俺だけを見て欲しくて、オーバーリアクション気味になってしまう。俺はいつもよりよくしゃべって、よく笑って、よくおどけて、よく走る(ここは遊園地だ)。そうしてさくらが笑うと、俺は体が溶ける様な安心を覚える。そうして、安心、する筈なのに、もう安堵は次の瞬間不安に押しつぶされそうになる。
聖司といる時も、彼女はこんなに笑っているのだろうか。こんな表情を見せるのだろうか。ふう、と俺はため息をついた。せっかくさくらといるのに。
「曜、ちょっと待って、さすが若いわね、こっちは辛いわ」
さくらが軽く息を弾ませて俺を引っ張ったので、駆け出しそうになった足を止めた。
「ちょっと休もうか」
すぐ傍にあったワゴンでアイスティーを二つ買い、空いていたチェアーに座った。目の前の通りを人々が楽しそうに歩いて行く。ほとんどがカップルだ。さくら、と声をかける。
「遊園地で良かった?楽しい? 」俺といて。
「もちろんよ。久しぶりだから、はしゃぎすぎてちょっとばててるけど」
笑顔で息を切らせている彼女を、俺はぼんやりと見つめた。何故だろう。会えば会うほどさくらを好きになる。そして、会えば会うほど苦しくなってゆく。二人でいても、いつももう一つの影が見え隠れする。二人でいる時は聖司の話は絶対しない。偶然彼の話が出ても無視するか、すぐ話題を変える。俺は意図的に、さくらはきっと俺に気を使って。
彼女の部屋には恋人の写真や誰かにもらったプレゼントらしき物も置いていないから、俺が行く時はいつも他に恋人がいた痕跡は見つからない。なのに、そこかしこに俺は幽霊のように聖司の気配は感じている。俺が行く時は、この部屋は俺だけを迎えてくれている事がわかっているのに、ソファに座るとここに聖司が座っているのか気になり、紅茶を飲むと聖司も同じ紅茶を飲んだか気になるのだ。さくらと話す時も、彼は笑うのだろうか。いつも俺に見せるような清潔な彼の笑顔を。
駄目だ。二人でいるのに、いつも俺達は三人でいる。三人の気配がある。
園内は陽気な音楽が流れ続けていた。
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