第2話 戦い
武装した集団が洞窟の前へと並び、次々に靴音を響かせて中へとなだれ込む。ほどなくして、松明に照らされ一人の男の影が浮かび上がった。血のように赤い髪に、大地の色を宿す瞳。浅黒い肌には幾つもの複雑な流紋が黒く刻まれている。前に並ぶ人間たちが刀を抜き、一斉に斬りかかる。だが男はひらりと身をかわし、鋭く正確な一撃を急所に加えていく。立ち上がれなくなるほどの一打だが、決して命は奪わず、必要以上の追撃も行わない。武器は持たず、防具すらも身に着けない。それが男の戦い方だった。
どれだけ後ろから新手が出てきても、男は疲れの色を見せず、攻撃の手を全く緩めなかった。あっという間に人間たちはじりじりと後退していき、入り口まで押し戻されていく。全ての人間たちが戦えなくなると、男は洞窟の奥へと姿を消した。
「
男は疲労を全く感じさせることなく、洞窟の奥を目指して足早に進む。少し開けた場所の岩の上。腰掛けて歌を口ずさむ少女を見つけて、男は破顔した。死に場所を探していた男が出会い、傍にいる権利を手に入れた美しい龍。誰にも鉱石へ触れさせず、洞窟へ立ち入ることすら許さなかったおかげで、傷つき壊れたかけていた子供はもうどこにもいない。赤鬼が命よりも大切にし、守り愛しむ鉱石龍は、その名にふさわしい美しい少女へと成長を遂げていた。
「凱! おかえりなさい」
「コウ。体に異常はないか」
「大丈夫よ。みんな、あなたのおかげだわ」
男の姿を見つけるや否や、コウが岩から飛び降りる。凱が帰ってきた嬉しさからか、少女の頬は薔薇色にそまり、薄水色の瞳がきらきらと光彩を放っていた。ねえねえ、と問いかける声はふわふわと甘く弾み、少女の細腕が凱の腕へと絡みつく。さらりと皮膚をくすぐる柔らかな髪は、春の雪解けを待つ湖の色をそのまま宿していた。
抱きつぶしてしまわないようにそうっと身を引き寄せると、コウはくすぐったそうに笑い声をあげる。抱き込む少女の温もりと柔らかさに、男は大きくひとつ息を吐いた。におい立つような甘い香りが鼻腔をくすぐり、体の熱を鎮めていく。こうやって五感で少女を感じるときだけ、自分は生きているのだと実感できた。戦いが終わったあと。コウを腕の中に閉じ込め抱きしめる時間が、何より幸せなひとときだった。
「――ねえ。ずっとそばにいてくれる?」
ほんのひとかけら。不安が混ざった声音を、凱は聞き逃さなかった。山へ入ろうとする者たちと戦った後、少女は必ずこうやって確認をする。人間と敵対すること、龍を守って戦うことが嫌になっていないか、龍は怯えているのだ。そうやっていらぬ心配をする様子も可愛いが、愛し子にいつまでも悲しげな顔をさせるのは忍びない。凱は抱く力に力を込め、そっと少女の耳元で甘く言葉をこぼした。
「ずっと傍にいる。この命が尽きるまで」
凱の言葉に、コウの表情がぱっと明るくなった。陰りを帯びていた瞳に光が戻り、抱きつく力が増す。鉱石龍独特の硬質な声は、透明さを残してほわほわと柔らかくなった。
男が幸せそうな息を吐きながら、柔らかな煌めきを放つ髪をすくいとり、口づける。この龍の全てを愛おしく思う。彼女なしでどうやって生きていたのか思い出せなくなるほど、コウは凱の全てであった。己の半身を抱きしめて、男はゆるりと口元を緩める。ずっとこの時間が続けばいいと、そう願いながら。
男と龍が出会って幾年月の時が流れた。出会ってすぐの、瑞々しくあどけない少女の面影はすっかり消え、コウは色香溢れる麗しき女性へと成長していた。ふっくら滑らかでどこも柔らかく、それでいてのびやかな肢体。柳のような曲線を描く腰はきゅっと引き締まりつつ、まろみを帯びている。春の日差しを浴びて輝く湖の色を宿した豊かな髪は複雑に編みこまれ、同じ色の瞳は昔の面影を残して煌めき色を変える。昔と変わらぬ、好奇心といとけなさを詰め込んだ青い宝石。吸い込まれそうなほどに透明で美しい双眸は、男が一番気に入っている色だ。
「……凱、今日も外に人が来てる」
「そうか。すぐいく」
コウの言葉に短く返事をした男は、軽やかな足取りで外へと向かった。その後ろ姿を不安げに鉱石龍が見送る。彼女が分け与えた力のおかげで、百年ほど月日がたっても男の姿はほとんど変わっていない。昔と変わらぬ頑健な体としなやかな身のこなし。彼がその姿で力を持ち続ける限り、時間は永久に続くはずだと龍は信じていた。
男の姿が完全に見えなくなった後、コウは暗闇の中でひときわ大きく煌めく青い鉱石の前に腰を下ろした。その表面をそっと指でなぞると、青白い光が鉱石に宿る。中に映し出されたのは、外へと向かった男の姿だった。
「凱……」
食い入るように鉱石を見つめ、コウの口から男の名が何度も零れる。男は強い。負けることなど万が一にもないとわかっていても、心配だった。避けられるものなら戦ってほしくない。自分を護ってほしいと言っておきながら、なんと身勝手な願いなのだろうと思う。それでも、コウは願わずにはいられなかった。
そんなコウの杞憂をよそに、凱は手早く人間たちを昏倒させていく。どれだけ年月がたっても彼の強さは変わらない。それどころか、さらに強くなってさえいるように見えた。半刻もたたないうちに全ての侵入者たちを倒し終え、凱がくるりと背を向ける。その姿をみて、コウは安堵の息を吐いた。ああ今日も終わったのだと、そう思った。その時だった。
不意に、体へ大きな衝撃が走った。胸を刺し貫く痛みに、大きくコウは吼えた。悲鳴とも、叫び声ともつかぬ声。わけのわからない衝撃に混乱し、コウはひび割れた声で男の名を呼ぶ。
その声は外にいた男にも聞こえたのだろう。ほどなくして戻ってきた男の愕然とした顔に、コウは自分の姿のひどさを悟った。息をすることすら辛く、全身が砕け散ってしまいそうなほどの痛みに、ただ涙して男の名を呼ぶ。
「コウ! なぜだっ、外の敵は倒したのに!」
「いたい、いたいよ……っ、凱……!」
「もしかして、別の場所に穴をあけているのか……?」
男はコウを抱きしめながら、呆然と呟いた。龍は力を振り絞り、傍の鉱石へ手を伸ばす。青白く光る鉱石の中、山の斜面にぽっかりと空いた穴が浮かび上がった。その穴から鉱石を掘りだし、運び出す人間の姿が映る。どうして気づかなかったのだと己を責める男の手を取り、コウは小さく首を振った。決して彼のせいではない。彼に力を分け与えることに気を取られて、少しずつ削り取られていった山の異変に気付かなかったコウの責任だ。
「まってろ、コウ。すぐに助けてやるから」
「うん……凱のこと、しんじてるね……」
そう返すのが、精いっぱいだった。体をさいなむ痛みより、彼にそんな顔をさせてしまうことが辛い。こんな時、彼にどうしようもなく助けを求めてしまう自分が情けなくて、目の端から涙がこぼれた。
彼はいつからか、戦いから帰ってきた後にコウを抱きしめないことが増えた。そういう時は決まって、体のどこかにけがをしていた。その行動が彼なりの気遣いだということは、コウも理解している。けがを悟らせず、コウが心配しないように。それでも寂しかった。彼に気を使わせてしまうことがたまらなく悔しかった。自分は一方的に守られるだけの存在なのだと、そう言われているようで。
男はコウの頬を伝う雫を優しく拭い、体をそっと地面に横たえる。これから人間たちを追い払いに行くのだ。踵を返し、遠ざかっていく姿が涙で歪む。今日も彼はけがをしていた。血のにおいを滲ませて、コウが力を与えて維持させている体に鞭をうって、それでもまだ戦うといってくれる。すべては、コウがそう願ったから。ただそれだけの理由のために。
「どうか……どうか無事でいて」
藍玉の涙と共に零された言葉は男に届くことなく、そっと砕けて消えていった。
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